ムスラファンは君もよく知っている通り、大きな国だ。そう、西域のほとんどを占めている。騎士カインの末裔を自称して、いまだに西の砂漠の奥地へと侵攻を続けている。1000年前に魔族は西へ逃げて行ったんだけど、全滅したという報告はないんだ。
だから、ムスラファンは今でも西に軍隊を送り続けて、その途中にある人間の国にも侵攻して、西域の統一を進めながら魔族を追い続けている。何しろ、逃げている者の中には、かつて人間を滅ぼしかけた4人の魔族のうちの一人がいるんだから。そりゃあ、やめるわけにはいかないでしょ。
あくまでも噂の域を出なかったけど、西の砂漠の果てには日没都市と言う街があるらしい。ボクの冒険譚は、その日没都市の話だ。やっとこの名前を出すことができた。名前の通り、日が沈む西の地平の果てにある街なんだ。西域に遠征している兵隊さんの間では、有名な話だ。人間が決してたどり着けないという街があって、4人の魔族のうちの一人は今もそこに隠れ住んでいるってね。
ムスラファンは西の端の方に行けば、そんな感じで戦線が広がっていて物騒な感じなんだけど、王都キサナドゥーは安全で華やかな街だ。ああ、よく知っているよね。多分、大陸一の大都会だと思う。人もたくさんいるし、立派な建物がたくさんある。ムスラファンは西だけではなく北や東、南にも国土を広げているから、大陸中の人や物が集まっている、大陸一の蔵書を誇る大学があって、ボクはそこで建前上は天文学の勉強をすることになった。
なぜムスラファンなのかというと、南方に比べると魔法使いに寛容だったからなんだ。ずっと戦争をしているから、戦うための道具として魔法が必要なんだ。砂漠の奥地では魔族と戦うので、そこでは魔法が必要だ。周辺の小国には魔族を兵士として雇っていた国もあるし、そういうところも魔法を武器として使ってくるからね。
もちろん守護者たちは眉をひそめていたよ。でも、ムスラファンはイースの力ではどうしようもないほど、大きな国になってしまっていた。守護者はたくさんムスラファンに入っていて監視の目を緩めていなかったけど、もうどうしようもない状況だったんだ。
ちなみに学費はムスラファンの王様持ちだった。表向きは南方の学校で優等生だったからなのだろうけど、たぶん魔法使いだからということもあったと思う。今、人間の魔法使いは貴重だからね。戦争に役立つ人材を囲い込みたいと言う思惑もあったんだろう。だって、わざわざ王子様が面会に来たからね、大学に行く前に。
当時、3番目の王子様が大学の学長だった。フルネームはアルアラム・シャファーン・ムスラファンって言うんだ。知ってるって? そりゃそうだよね。
それにしても長い名前だよ。みんな「アル」とか「アルアラム」って呼んでいた。後で知ったんだけど、お兄さんが2人いてアルトリアとアルバースと言う名前だから、こちらも「アル」なんだ。だから、アルアラムと呼ぶのが一番、いいのかしれない。ボクはアルって呼んでいたけど。
アルアラムは西域の人なのに、北国人みたいに肌が白いんだ。金髪で、パッと見た感じがまるで北国人だ。西域の人はみんな褐色の肌で、髪の色も黒くて縮毛なんだけど。あとで知ったけど、お母さんが北国のクラクフの出身なんだ。そうと知った時には驚いたなあ。ムスラファンに攻め落とされて住民は追放、王族は処刑された、有名な事件があった国だったからね。
それは余談だけど、とにかくアルアラムはいかつい印象のある西域人らしからぬ、見た目は美しい人だった。背も高いし、顔もいい。スッと通った鼻筋に、ここだけは西域人っぽい褐色の瞳。白地に褐色の瞳だから、すごく目がきれいに見える。西域の正装だった。袖のゆったりとした白いシャツに、こちらも裾にたっぷりと余裕のあるズボン。腰には幅の広い、儀礼用の宝石で装飾した短剣を差していた。ベージュのマントをまとっているので、ただでさえ白い肌がより白く見える。
「こんにちは、マリシャ」
ささやくような声で呼びかけられた時は鳥肌が立った。たぶん、ものすごくモテるだろう。いや、間違いなくモテる。結婚相手探しには苦労しないだろうと思ったね。ただ、ちょっと接してみればわかるのだけど、アルアラムはやや人柄に難があるんだ。嫌な人ではないんだよ。ただ、なんと言ったらいいのかな、男らしくないんだ。優しくて気遣いのできる人だし、頼り甲斐がないわけじゃないんだけど。うちに来た時に、お姉ちゃんたちはキャーキャー言っていたけど、ボクは面会が終わった後には、なんだか女の子としゃべっているみたいで、変な人だなあと思ったんだ。
アルアラムはわざわざボクの家まで会いに来て、大学長として歓迎すること、暮らしには困らないように住居や食事を用意すること、気が向けばいつまでいてもらっても構わないし、研究者として大学に残ってもらっても構わないと言う話をしてくれた。
王家に生まれて、きちんとした教育を受けて、まっすぐに育った人なんだなという印象を受けた。少なくとも家庭内で厄介者として育ってきて、屈折しているボクとは違うなと思ったね。3番目の王子なので、大事な仕事は2人の兄に任せて大学の学長やお気楽な外交を担当しているのだと言っていた。2人の兄は戦場を経験しているが、自分はしていなくて頼りないと言うことを、聞いてもいないのに自分から話していた。後ろめたさがあったのかな。
でも、アルアラムに戦場は似合わない。優しくて虫も殺せなさそうだし、よくも悪くも上品なお坊ちゃんだ。仮に戦場に連れて行っても、あまり役に立たないだろうと思えた。
ムスラファンに出発する日の朝、お兄ちゃんの部屋を訪ねた。カインは「なんか追い出されるみたいなのに、何もしてやれなくて申し訳ないな」と言った。そんなことはない。ボクが魔法使いになることを、なんの躊躇いもなく受け入れてくれたのは、おばあちゃんとお兄ちゃんだけだ。だから「ありがとう」と言った。
お兄ちゃんはその時、学校を卒業して、遺跡を調査する仕事をしていた。南方には遺跡がたくさんあるんだ。何しろ昔は北国に隠れて魔法を研究していた地域だからね。守護者の知らないような洞窟や祠が、たくさんある。お兄ちゃんは魔力があるから、気配みたいなのを少し感じることができる。昔の魔法使いたちが使っていた道具なんかを掘り出してきて、学校に持っていく仕事をしていた。すごく面白そうだ。
もしムスラファンに行っていなければ、お兄ちゃんと同じ仕事をしていただろう。「お前のいない間に、すごい遺物を見つけて、魔法のすごさを改めて世間に証明してやるよ」と息巻いていた。のちにその通りになってしまうんだけど、あの時、「そんなに張り切らなくてもいいよ」と言っていても、きっとお兄ちゃんはあれを見つけてしまっていたと思う。
パパレイの村は南方の西の端にあるので、王都キサナドゥーまでは馬車で4日くらいで着いた。ムスラファンの衛兵さんたちとの道中は南方から出たことがなかったボクにとって、刺激で一杯だった。南方は木造の建築が多いけど、ムスラファンに近づくにつれて石造りが多くなる。それも白い。地面の色が変わっていくのも面白かった。黄色い湿った砂から白っぽいサラサラの砂に変わっていくんだ。南方は緑が多くて、花がたくさん咲いていて、建物は黒っぽくて、すごく色彩豊かな地域なのだけど、西に行くにつれて、風景が白っぽくなっていくのは面白かった。
人種が変わっていくのも面白かったな。西域人は南方人と同じ褐色の肌だけど、骨格の作りが違う。南方人は男女ともに顔も含めて全体的にシルエットが丸っこい。西域人は顔の彫りが深くて、背が高い。特に男性はゴツゴツとした体格で、迫力があった。女性はみんな美人ばかりだ。男性と同じく背が高くてスタイルがいいし、彫りの深い顔立ちには、うっとりする。あれが普通なんて、本当にうらやましい。ボクはよく「小さくてかわいい」と言われたけど、小さいことしか取り柄がないし、顔立ちだっていつまでたっても大人っぽくならないので、うらやましくて仕方がなかった。
南方は男も女も黒っぽい服装が多いけど、西域に行くにつれてカラフルになっていくのも面白かった。南方は男性は半袖シャツに短パン、女性は半袖ワンピースと形状も平凡だ。ところが、西域は形もいろいろで半袖だったり長袖だったり、長ズボンやスリムなスカートだったりするのも興味深かった。それから西域はいわゆる末裔が南方より多かった。異様に背が高かったり、肌の色が緑っぽかったり。魔力を持っている人も南方より多くてワクワクした。話しかけて、どんな魔法が使えるのか聞いてみたかったけど、やめておいた。いつか胸を張って自分が魔法使いであること名乗れる日が来たら、聞いてみよう。今はまだその時じゃないなと思っていた。
他に異国に来ていることを実感したのは、食べ物だ。南方は海が近いから新鮮な海産物が多いのだけど、砂漠の国であるムスラファンは肉と小麦が主食だ。南方ではあまり食べない肉。特に、岩塩を振って炭火で焼いた羊肉を初めて食べた時には、感動して頭が真っ白になった。おかわりしたかったけど、衛兵さんに「コイツ、どんだけ食うんだ」と思われたら恥ずかしいから、その時はしなかった。