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第9話 そして、悲惨な事件から冒険は始まったんだ

 4日後、パパレイの村に着いた。家の前ではママが出迎えてくれた。が、様子がおかしい。すごく深い魔力を感じる。ママ、よくそこに立っていられるね。ボクは馬車から降りることすらためらわれたのに。


 「お嬢。これはえらいことだぞ」


 オーキッドがボクを制して先に降りた。そして、抱え上げて降ろしてくれた。シャウナはまだ触れていないから気がついていないのだろうか? ボクの家を中心に、強烈な魔力を感じる。頭の中にねじ込んできていた、あの感触と一緒だ。


 ママはアルアラムが同行していることを知って、すごく恐縮していた。とりあえず、お上がりください。汚いところですが…とか言っているけど、そんな場合じゃない。早くこの魔力の源を見つけ出して、閉じるなりなんなりしないといけない。放っておいたら何かが起きてしまう。


 だけど、魔力を感じないアルアラムたち(トウマ以外に馬車を管理するために衛兵を3人連れてきていた)は、先にうちに上がってしまった。気は急くけど、息が苦しくて何も言えない。ボクの様子がおかしいことに気づいているのは、オーキッドとトウマだけだ。シャウナにも伝えないと。荷物を降ろしていたシャウナに目を向けると、まだ気がつかないのか「せっかくだから、とりあえず上がらせてもらって、ひと休みしようか」と言った。


 オーキッドの手を借りないと、足を踏み出せないくらいの圧迫感だった。いつもひと息で駆け上がっていた階段なのに、上り終えた時には息が切れていた。自分の家の広間に腰を下ろした時には、くたくただった。ママはお姉ちゃんたちに手伝わせて、お茶を出す準備をしている。


 「おかえり、マリシャB。なんだか体調がよくなさそうね。長旅だったし、まずはゆっくり休みなさい」


 違うんだ、ママ。そんなことしている時間はないんだ。パパはどこだろう。それに、お兄ちゃんはと目の端で探していると、パパが帰ってきた。


 「おお、よくいらっしゃいました。いつもマリシャBがお世話になっています」


 アルアラムにあいさつしている。「あれがお嬢の父親か?」とオーキッドが聞くので、声は出さずにうなずいた。口を開くと、悲鳴を上げてしまいそうだった。オーキッドは立ち上がるとパパのそばに行き、恐ろしげな風体からは想像もつかない丁寧なあいさつをした。そして、落ち着いて聞いてほしいと前置きして、この家の周辺はよくない魔力に覆われている、あなたの娘さんはその影響を受けて、体調が良くないと言うことを、わかりやすく説明した。


 パパは驚いた顔をした。パパもママも魔力はほとんどない、普通の人だから、魔力を感知することができない。うちの周囲がこんな恐ろしげなことになっているなんて、長らく気づいていないだろう。ボクの魔力を褒めてくれたおばあちゃんは魔力を持っていたけど、ボクが10歳の時に死んだ。生きていれば、こんな状況になるまで放っておかなかったはずだ。お兄ちゃんはどこだろう。体調が悪いと聞いていたが、もしかしたらお兄ちゃんもボクと同じように、この魔力の影響を受けて伏せっているのかもしれない。


 「実は…」


 少し気まずそうに、パパは話し始めた。2カ月ほど前に、お兄ちゃんが遺跡で何かを掘り出してきた。部屋にこもってそれを研究していたが、日を追うにつれて出てこなくなった。食事は部屋の外に置いておくといつの間にか食べているのだけど、ここ10日ほどは食事すら摂っていない。


 お兄ちゃんの部屋は母家の外にあって、地下にある。遺跡好きのお兄ちゃんが、石を運んで自分で作ったのだ。階段を降りると短い廊下があり、左手に扉がある。その奥に5〜6人ほどが入れる部屋を作っていた。天窓があって、日中はそこから明かりを採っていた。


 「天窓から覗いても、真っ暗で何も見えない。ドアを蹴破ろうにも、作りがしっかりしていて、簡単に破れないんだ。呼びかけても返事もしてくれないし…」


 娘は魔法使い、息子は引き篭もりとあっては、部族長のメンツも丸潰れ。パパはどこにも相談できなくて、困ったことだろう。


 「地下か。それっぽいな」


 オーキッドはうなずいて、トウマを見た。意を察したのか、トウマも立ち上がった。この2人、お兄ちゃんの部屋に蹴破って入るつもりだ。


 「ま、待って!」


 意を決して声を上げた。自分の声じゃないみたいな、甲高い声が出て、ビックリした。


 「ボクも行くよ」


 悪い予感しかしなかったけど、これはボクが立ち会わなければならないことだ。オーキッドやトウマの背後に隠れながら見届けるものではないという、強い確信があった。


 地下室への階段は、狭かった。「こんなに狭かったかな?」と思ったほどだ。ボクの背が伸びたのかもしれない。階段を降りて行こうとしたオーキッドは、途中で体がつかえてしまった。


 「俺が行こう」


 トウマが代わったけど、それを制してボクが先に降りた。この階段を作った時も、その先にある部屋を作った時も、ボクはそばで見ていたし、手伝いさえした。すごくよく知っている階段、通路のはずなのに全く知らない、初めて踏み込んだダンジョンのように思えた。強い魔力のプレッシャーがあったことも影響していただろう。だが、昔と違うと思わせたのは、匂いが全く違っていたせいもあった。


 ここは山際からは遠く、海辺からも離れているので、こういう石造りの建築物のそばでは、純粋に石の匂いがする。ところが、今は森の匂いがする。年に一度の伐採で立ち入る、侵略してくる森林の匂いだ。水と枝と葉の匂い。肺に押し入ってくるような濃い空気は、かき分けないと前に進めないように感じた。


 「気をつけろ、マリシャ。何か変だぞ」


 背後からトウマが声をかけてきた。


 その後のことは、いろいろと断片的で、細かいところまで思い出せない。あとでトウマなりオーキッドなり、そばで見ていた人に聞いてほしい。


 通路に降り立った瞬間、ガンという大きな音がして、左側の壁が吹き飛んだ。部屋の壁だった石が一斉に飛んできて、避ける間もなく次々にぶつかってきた。顔にも肩にも腕にも腰にも、いろいろなところにね。痛いと思っている暇はなかった。次の瞬間、室内から根っこがあふれ出してきた。何を言っているのかわからないって?そうだね。自分でも何を言っているのかわからないけど、とにかく壁が崩れた向こうから、無数の木の根っこがあふれ出してきたんだ。


 ボクは最初の壁の崩落で右側の壁際まで吹き飛ばされて、押し寄せてきた木の根っこでさらに壁際に押し込められた。その時、トウマに買ってもらったスカートを履いていた。ああ、せっかくのお気に入りが汚れてしまうって、そんなことを考えていた。


 木の根はボクの体に絡みついてきて、胸が圧迫されて息ができなくなった。このまま死ぬのかなと思った。本当に死を意識するほどの恐怖に襲われた時、人は自分の父親や母親に助けを求めると本で読んだことがあったけど、その時、ボクが考えていたのは、せっかく家族を危機から救いたいと帰ってきたのに、何もできなかったなということだった。


 「マリシャ!」


 トウマの声がする。空間をびっしりと埋める木の根っこの間から、何度もつないでもらった手が伸びてきた。この手を取らないと。だけど、ボクの腕は根っこで縛り付けられたようになって、動かせなかった。


 これが夢に見た、木の化け物だった。ボクを絡め取ったまま、化け物は通路を抜け出し、地上へと出ていく。根っこがボクを包み込んで視界がなくなる。最後に一瞬、見えたのはオーキッドやシャウナ、アルアラムの姿だった。驚いていた。まあ、そりゃそうだよね。無理もない。ボクは根っこで完全に囲まれて、何も見えなかった。


 悲鳴が聞こえる。何が起きているんだろう。誰も傷ついていなければいいけど。自分がこんな状態なので、それは望むべくもないと思った。今になって地下通路で石がぶつかったところが痛くなってきた。こめかみあたりに当たった石で切れたのか、目の縁からほほにかけて、血が流れているのを感じる。冷たい液体が流れ落ちている。腫れてきたのか左目が開けられない。全身を絡め取られて、圧迫されて息もできなかった。


 次から次へと上がる悲鳴、大きなものが倒れる音。この強烈な魔力を噴き出している木は、まるで生き物のように動いている。どうやって動いているのか、内部にいるので見えないが、右側に進んでいるのがわかる。また悲鳴。何かがぶつかる音。もうやめて。この光景は何度も夢で見てきたけど、夢の方がマシだった。実体験はリアルすぎて、気がおかしくなりそうだった。誰かの怒号が聞こえる。そしてまたぶつかる音。木がミシミシと軋み、再び動き出した。


 今度は速い。ガサガサと揺れるたびに体があちこちにぶつかって、圧迫が強くなって息が詰まる。いっそ気を失ってしまえば楽なのにと思ったが、そんな気配はなかった。木はどんどんスピードを上げていく。まるで走っているみたいだ。木が走っているというのは、こうして文字にすると意味がわからないけど、中で絡め取られているボクの感触では、木が走っているとしか言いようがない。その証拠に、悲鳴や怒号が少しずつ遠くなっていく。たぶん、ボクのうちから離れていっている。


 離れてくれ。そして、これ以上、誰も傷つけないでと祈っていた。

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