目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第2話

 6月6日、午前10時10分。

 場所――都内、赤羽駅。


 今年の春は早かった。

 桜を愛でる時間すらなく、突然の台風や大寒波の影響などで咲き始めた桜は満開になる前に散ってしまい「3日花見」と呼ばれる程だった。

 それだけならよくある事だが、5月に入った途端気温が急激に上がり、6月の今は7月中旬の平均気温に加え、湿度は6月なみだ。

 その上、梅雨の気配はなく、ずっと快晴の日が続いており、夏を前に夏バテのようになっている。


 ――ふ、不平等だ。


 白石秋羽しらいしあきばは口癖を、心の中で呟いた。


 世間を騒がせた「鮮血ずきんちゃん事件」から2か月が経過し、もう世の中の興味は別のものに移りかけていた。

 あの事件によって『自白班』の活躍は大きく報道され、一部のメディアでは取材をしたいと申し出た所もあったが、警察の威厳の関わるという事から『自白班』の責任者である茶園豊ちゃえんゆたかが全部断った。

 ――まあ初夏ういかさんが出たら、放送禁止用語連呼し、警察というよりキャバ嬢の営業トークにしかならないからな。

 そして確実にPTA方面からクレームが殺到する。

 ――俺も、余計なこと言わない自信がないし。

 だから秋羽が不平等だと感じている事は別にある。


「はあ!? ミカが嘘ついているっていうわけ!?」


 場所は赤羽駅構内にある、駅員室。

 普段は駅員が事務処理や休憩をする時に使うため、室内は狭く、作業机と業務書類や電車の時刻表などが置かれた小さな本棚、そして中心部に机とソファがあるくらいである。

 そこで、染めた事の分かる生え際の黒い赤茶色の巻き毛を指でいじりながら、ソファの上で胡座をかきながら少女は言った。

 彼女の着ている制服は近所の公立高校のものであり、白いブラウスには学校の校章が刻まれている。たまに電車内で見かける同校の生徒と比べると制服を着崩しており、胸元は大胆に第三ボタンまで開かれ、学校指定(だと思われる)の赤いリボンはただ襟にかけるだけで結ってはおらず、膝丈のスカートは膝より上の位置、と第三者からでも校則違反だと分かる目のやり場に困る格好をしている。

 ――ぶっちゃけ、こういう子って、根に持つから面倒なんだよな。

 秋羽がそんな事を思っていると、ずっと黙っていた駅員さんが救いを求めるような視線を送ってきた。仕方ない。これも仕事だ。好き嫌いとか言っていられないからな。

 秋羽は小さく溜め息を吐いた後、彼女の正面に座る。

「とりあえず状況を確認するから、学校と名前、教えてもらっていいかな?」

 一瞬だが少女は文句を口にしようと反抗的な視線で秋羽を見たが、秋羽の格好や駅員の態度からどういった役職の人間か理解したのか、素直に応じてくれた。

宮田みやたミカ。大聖たいせい高校の二年」

「はい、ありがとう。それで、駅員さんの話だと、君がそこのおじさんに痴漢されたって話らしいけど……」

「そうなの! あのおじさんがミカのお尻触ったの!」

「違います! そんな事していません!」

 入口付近で怯えるように立っていたサラリーマン風の男はすぐに否定する。口調は緊張のせいかどもっており、見るからに気が弱そうだ。

 聞くところによると、彼が今回の容疑者にしてらしい。

四十代前半と思われる会社員の彼は、ちょうど目的の駅で電車を降りたところ突然彼女――宮田ミカに腕を掴まれ、「今、痴漢しましたよね!?」と大声で詰め寄られたそうだ。そして騒ぎを聞きつけた駅員さんに連行される形で駅員室へ連れてこられ――今に至るそうだ。

 いきなり痴漢呼ばわりされた彼は当然無罪を主張しており、対するミカも被害者だと言い張っている。

 電車の車両という小さな空間の中で、しかも朝の乗客が多く目撃者もいない。

 最近では痴漢冤罪も多いため、こういう事件には慎重に進めなければいけない。特に、相手が女子高生――『未成年』なら尚の事。

 ――まあ、だから俺が呼ばれたんだけど……。

「ていうか、ミカ、いつまでこうしていればいいわけ!? 痴漢されたって言っているんだから、早く誠意っていうの見せたらどうなの!?」

「いや、だから『自白班』さんに来てもらったわけだから。もう少し我慢してくれないかな」

 待たされて苛立ち始めたミカを、駅員さんがやんわりと止めた。


       *

 今現在、少年法改『自白法』によって未成年が容疑者とされた場合、決定的証拠があろうがなかろうが、当人の自白によって裁かれる。

 容疑者が犯行を認めない限り、その容疑者はどんな場合でも無罪とする。

       *


 そのため、こういった痴漢や窃盗といった小さな事件でさえ、『自白法』によって被害者だろうが容疑者だろうが、護られているわけだ。

 そして、そういった法律を利用する人間も当然出てくる。その主たる人物は社会的に地位のある大人ではなく、当事者である未成年の彼らなのだから、法律も何のためにあるのか分からなくなる。

「ちょっと、おじさーん。あんた、自白させる人なんでしょー? なら早くミカが痴漢された可哀想な被害者だって事証明してよー」

 しばらく考え込んでいた秋羽の思考をすくい取るように、ミカが挑発的な視線を送ってきた。

「とりあえず、もう一度状況を教えてくれるかい?」

「はあ? 何度言わせる気? だからミカが入口付近の柱に掴まっていたら、そこのおじさんが満員電車を利用してミカの胸を鷲掴みしてきたの。マジ最悪~」

 ――あれ? お尻触れたんじゃなかったけっか?

 状況設定に矛盾が生じ始めた。おそるおそる会社員と駅員さんを見ると、先程から同じ状況なのか会社員は諦めたようにため息を吐き、駅員さんも困惑した表情を浮かべた。

 再度ミカへ視線を戻すと、彼女は秋羽達の心情を察しているのか、にんまり、と嫌な笑みを浮かべた。

「冤罪も立派な犯罪だって? だから何? どうせミカが嘘でした、って言わない限りそのおじさんは痴漢になるんでしょ。火のない所に煙は立たないって言うもんねぇ」

 ああ、やっぱりこのパターンか。

 ――この手の悪知恵のついたガキは面倒くさいから、担当するの嫌だったんだよな。


 『自白法』によって未成年の容疑者が犯行を認めない限り犯罪にはならない。

その情報が公表される事もなく、彼らの経歴には一切傷がつかない。

 逆に、未成年にはめられて犯罪者に仕立てあげられた場合は、その情報が事細かに公表される。たとえ証拠がなくても、〝未来の日本を背負うだろう子供の未来のために〟、犠牲となる大人も多い。

 今回のような痴漢冤罪は代表的な例だ。未成年に痴漢冤罪を訴えられた場合、冤罪である事を未成年者が認めない限り、証拠がなくても訴えられた人物は冤罪ではなく、本物の痴漢となる。窃盗も同じだ。コンビニで高校生が商品を盗んで店員に注意されたとしても、その高校生が認めない限り窃盗にならず、逆に冤罪で訴えられてしまうケースも多い。ニュースなどで最近そういった事件が多く、彼女もそういった情報から悪知恵を得たのだろう。

 全ては未成年者を中心に回っており、真実など簡単に捻じ曲げられてしまうのだ。

 本当に、タチが悪い。

 彼には悪いが、一番手っ取り早く収めるのは、出すものを出してしまえば公にならずに済む。特にこういった子どもはそれが狙いで冤罪を繰り返す。そういった意味ではその場しのぎで、何の解決にもならないが。

 どうしたものか、と秋羽が考えていると、ふいに絶望した顔でこちらを見ている会社員と目が合った。

 今から出勤のようだが、それにしては荷物が多い。もしかしたら大切なプレゼン前だったのかも知れない。筋肉のない細い腕で大きな鞄を左手で持ち、右手には傘が握られている。

 と、その時――靴下とズボンの間に包帯のようなものが見えた。

 ――もしかして、この人……。

「あの、足どうされたんですか? 包帯巻かれているようですが」

「あ、ああ、先日階段から落ちて捻挫してしまって。歳のせいか小さな怪我でもしんどくてね。こうやって傘を杖代わりにしてはいるものも……」

 本当は杖を使いたいくらい足に負担がかかっているようだが、それだと大袈裟だと感じて傘を杖のように使っている、という事か。確かに天気予報でも晴れといっていたから、妙だと思っていたが、そういうわけか。

 一人納得した秋羽は次に、ミカに視線を戻す。

「おい、JK。さっき、、満員電車の中で、入口付近に立っていたって言ったよな?」

 突然口調の変わった秋羽の一瞬ミカは表情を強張らせたが、すぐに不機嫌そうな顔になった。

「そ、そう言っているでしょ! 柱に掴まっていたら、突然その人がミカの真横から……」

 おっと。また立ち位置が変わった。

「だけど、お前が言うように、柱付近に立っていたJKを狙った痴漢行為なら、当然この人は片手が空かなくちゃいけない事になるけど……」

「当たり前じゃない。片手でつり革に掴まって、もう片方の手でミカの……」

 はい、ビンゴ。

「ちょうどいい……ひとつ教えておいてあげよう。嘘をつくこと自体は犯罪ではない。だけど、そのせいで他人に不利益を生んだら、それは犯罪になるんだよ」

「だから……っ」

 ミカは何か反論しかけるが、秋羽の射抜くような視線に思わず口を閉ざした。

 秋羽は続ける。

「お前は気付かなったようだったけど、その人は足を捻挫していて傘を杖代わりにしないと立っているのも辛い。そんな彼が片手で君の身体を触るのは難しい」

「べ、別に何か掴まっていればそんな事……」

「両手が空な状態ならそれは可能かも知れない。だけど、この人はこの通り大荷物を抱えている。つまり、電車の中で彼は片手で荷物と傘を抱え込んだ状態で、お前と同じように柱に掴まる必要がある。柱は同じ場所に二本並んではない。せいぜい入口付近の座席の近くか、車両の真ん中だ。だから、捻挫した足を引きずっているような彼は車両の真ん中か、お前と対照的な位置にある柱に立つ事になる。満員の状態なら、お前の隣や背後には彼ではなく、別の人物が立つ事になる」

「それは、柱に掴まった場合でしょ! 普通につり革とかに……」

「俺もお前と同じで電車で掴まるならつり革より柱派でね。つり革って結構肩に不可がかかるから、疲れている時とか荷物が多い時は遠慮したい。それに、手元が空かないからスマホとかいじれないからね」

 おそらく彼女も似たような理由で柱に掴まっていたのだろう。簡単に黙った。

「じゃあ、JK。もう一度教えてくれるかな? このおじさんは、何処に立っていたのかな? 隣か? 正面か? それとも後ろか?」

「……っ」

 もう反論の言葉が出てこない。

 誰が嘘をついている事がはっきりしたせいか、会社員の人はホッと息を吐き、駅員さんはこういう状況に慣れているのか疲れた笑みを浮かべた。

「み、認めない! 絶対に認めない! どんなに証拠があっても、ミカが認めなければ痴漢よ! そういう法律にしたのは、あんた達でしょ! 大体……」

 逆上してソファから勢いよく立ち上がった彼女にそっと近づき、秋羽は彼女にしか聞こえない声で、耳元で囁いた。

「おい、いい加減にしろ……クソガキ」

「……え……」

「痴漢だなんだ騒ぐが、痴漢っていうのはクソが下心持ってやるから痴漢なんだよ。お前みたいなガキに下心も何もねえよ。鏡見てから言え、【自主規制】」

 秋羽の豹変に、徐々にミカの顔色が青ざめていく。

「大体な、法律はお前みたいな豚を護るためにあるんじゃねえ。平等に、国民を護るためにある。そして、この国の民はお前一人じゃねえんだ。分かったか!?」

「は、はい!」

 突然秋羽に至近距離から怒鳴られたせいか、ミカは思わず返事をした。彼女の返答を聞き、秋羽はにやり、と先程彼女がしたようなあくどい笑みを浮かべた。

「自白……したな?」

「え……違っ!」

「いいのか? お前の彼氏が聞いたら愛想つかされるんじゃねえか? 拓也たくや君、正統派だしな」

「な、何でその事……!」

 驚愕する彼女に、秋羽は桃色のスマートフォンを見せる。無論秋羽の所有物ではなく、すぐにミカは自分の制服のポケットを確認するが、もぬけの殻である。

「いつの間に……」

「ほら、さっきお前、訴えるとか言っていたじゃん? そうなると、当然最初に自白担当した俺も裁判まで付き合わなければならなくなるんだよ。だから、証拠品に被害者の人となりを把握しようと思ったけど……」

「ちょっ……!」

 ミカが止める暇もなく、秋羽がスマートフォンを操作する。そして、スマートフォンの画面を指先で何度か触れると、簡単にロックが解除された。

「何で!?」

 まさかスマートフォンのロックが解除されるとは思っていなかったのか、彼女は面白いくらいに目を見開いた。

 ――まあ、これは俺の力じゃなくて、俺の友達ももたろうの仕業だが。

 そして、その彼女に、彼女にしか見えないようにある画面のみ見せる。

 ますますミカの顔色は青ざめていく。その彼女に顔を近づけ、彼女にしか聞こえない声で囁く。

「結構あくどいね。これ五件目なんだ。今までの連中は簡単にお金出してくれたみたいだけど、誰もが豚に金落とすと思うなよ、小娘」

 彼女は顔を真っ赤にして立ち上がった。

「な、何よ! 偉そうに! あんた、『自白班』がこんな事して……」

「おいおい。何か勘違いしてないか? 俺達『自白班』は自白させるのが仕事だ。お前らの悪戯を容認するためにいるわけじゃない。何故なら、自白とはすなわちお前達が面白半分で隠した真実を確かにするために存在する。分かったらお仲間に被害者面して語って、同じ目に遭わないように忠告する事だ。冤罪は、立派な犯罪だからな」

「……っ!」

 顔をカッと赤く染めたミカは秋羽からスマートフォンを奪うと、出入り口にいた駅員に鞄を振り回してどけると、駅員室を出た。そして、完全に去る前に、こちらを振り返り――

「クソ警察!」

「おいおい、随分と汚い言葉を使うな。そんな事ばっかり言っていると、お母さんに、叱られるぞ?」

「は? 意味分かんないだけど! 今時お母さんとか、マジキモい!」

「キモイだ? 何言ってんだ、お前」

「……っ」

 秋羽は低い声で呟くと、大股で駅長室の扉まで進み――彼女が扉を閉めるより先に足で扉の開閉を邪魔し、さらに両手で扉を掴み、無理やりこじ開けた。

 そして、至近距離から彼女を見下ろし――

「お母さんを大事にしないなんて……悪い子だな」

「……っ」

 秋羽の言葉から、何かを感じ取ったのか、彼女は逃げるように後ろに下がると、そのまま走り出した。

「死ね、クソが!」

 使い古された捨て台詞を残して。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?