終
――この世界は、不平等である。
「はぁ、帰りたい」
場所は、駅の待合室。毎度お馴染み、痴漢騒動だ。
「だから、私はやっていないと言っているだろ!」
「でも……」
入ってきた時からこんな感じだ。
怒り狂う老人と、それに萎縮する女子高生。以前とは逆であるが――
「成程な」
秋羽は、二人の様子を見ながら、呟いた。
「大体、証拠はあるのかね!? 証拠もなしに言っているなら、それは冤罪だよ。『自白法』だか何だか知らないが、裁判起こすなら、こっちだって容赦しないからね」
「裁判、ですか」
裁判という言葉に、事の大きさを痛感し、女子高生がさらに肩を縮こまらせた。
「そうだよ。そうしたら、学校にも居づらくなるんじゃないのかね? 親だって……」
「私は……」
「まったく、不平等だな」
秋羽が、両者の間に割って入る。そして、女子高生を庇うように彼女の前に立つ。
「な、何だね?」
「お久しぶりですね、ご老人」
「は? 私は、君とは初めてで……」
「以前も似たような騒動起こしたでしょう。なあ、痴漢の常習犯のおじーちゃん。たしか、大人しそうな子ばかり狙っているんですよね。そんで、痴漢だって騒がれたら、裁判起こすって逆に脅して、泣き寝入りさせていましたよね」
「……っ」
形成逆転。
老人が押し黙った。
「おい」
秋羽は、後ろにいる女子高生に声をかけた。
「そう、お前だよ。お前が、はっきりしねえから、こういうエロジジイが調子乗るんだよ」
「ちょっと君、今の聞こえていたぞ」
老人が騒ぐが、秋羽は答えず、女子高生のみに言う。
「俺は、自白させるのが仕事だ。自白とは、真実を引きずり出す事だ。それで、お前は、どうなんだ? やられたのか、やられていないのか」
「私は……」
女子高生が言い掛けた途端、老人の態度が激変した。
「ち、ちょっと待ちたまえ。お嬢ちゃん、私もちょっと言い方がきつかったね」
「いやー、きついっていうか、脅迫じゃないですか」
「混んでいたから、手が身体に当たっちゃう事も……」
「いやー、いくら混んでいても、おっぱい、わし掴みはないっしょ」
「さっきから煩いよ、君は!」
老人が秋羽に怒鳴ると、秋羽はスマートホンの画面を彼に見せた。
「こ、これは……」
「SNSで、堂々と痴漢しているエロジジイがいるって、流れていましたよ。これ、あんただろ?」
「う、嘘だ……ちゃんと周囲を確認し……あ」
墓穴を掘るとはこの事を言うだろう。
ちなみに、彼の言っている事は本当の事で、これは
「ほら、言ってごらん」
秋羽は、優しい口調で女子高生に言う。
「何が起きたのか。自分の口で、言ってごらん。これは、君の身に起きた事だ。俺達じゃあ分からない。君が自分で答えを出すんだ」
「私は……」
裁判沙汰になる事への恐怖心からか、彼女は口籠もった。そして、縋るように秋羽を見上げる。
「だから、俺じゃ分からねえんだよ。お前の事なんだから、お前が自分で判断しろ」
「そんな事言われても、私はまだ学生だし……」
「はっ、学生だから何だ?」
秋羽は鼻で笑うと、女子高生に顔を近付ける。
「いいか? 法律は、平等だ。平等に、裁く権利と裁かれる権利を与える。資産家だろうと、学生だろうと、法の下では平等に、ただの人だ。そして、国民であるお前には、声を上げる権利が、ちゃんとあるんだ」
「私にも……」
「これは、責任の話ではない。権利の話だ。だから、もう一度だけ訊くぞ。お前は、このジジイに触られたのか? そうじゃないのか?」
秋羽が凄みのある問いをすると、老人が顔を真っ赤にして秋羽に掴みかかろうとした。
「何だね、君はさっきから! まるで私が犯人と決めつけて……」
「実際そうだろ」
「何の証拠があって……」
「見りゃ、分かるだろ。あんたからは傲慢さとずる賢さの匂いがする。逆に、この子からは訴えたい事があるけど、怖くて言えない。でも黙っていれば、誰かが助けてくれるかも、っていう甘えた狡さの匂いがする」
「……っ」
女子高生は、秋羽の言葉に目を見開いた。そして、スカートの裾を強く握り締めた。
「お巡りさん。貴方、言いましたよね? 法は、平等だって」
「ああ」
「じゃあ、誰も助けてくれなくても、法律は、私を、助けてくれますか?」
「それは、お前次第じゃねえの。声を上げない奴に、法律は、何も出来ねえからな」
「……そう、ですか」
女子高生は伏せていた顔を上げる。そして、老人を指差した。
「私、触られました! この人に、痴漢されました!」
涙目で訴える女子高生と、彼女が告白するとは思わなかったのか、驚愕する老人。
「……っ」
やがて老人は観念したように、肩を下げた。
対する女子高生は、胸を張っていた。オドオドした気の弱そうな顔はなく、強い意志すら感じる。
――まあ、ぶっちゃけ、俺、このジジイに会うの初めてなんだけど。
落胆する老人を見て、そんな事を考えていると、ふいに秋羽の袖を女子高生が引っ張った。
「あの、ありがとうございました。私、いつもやられっぱなしで、上手く自分の意見、言えなくて……でも、本当の事を言うのって、こんなにもスッキリするんですね」
「そりゃ、そうだろうよ。嘘と真実なら、真実の方が気持ちいいからな」
「私、これからは、なるべく本当の事を言えるように……」
「ああ、いい心掛けだ。そうなる社会に、出来るといいな」
秋羽の含みのある言い方に、女子高生だけではなく、老人や彼を宥めていた駅員さんも秋羽を見た。
「何故なら……この世は、不平等だからな。真実を語った所で、それが本当に正しいかどうかは分からない。そして、真実を告げる事で、傷つく奴もいるだろう。それでも……俺達は、本当を求めちまうんだよ。本当の言葉が、欲しい。本当の事を知りたいって」
*
世界は、不平等だ。
文明が発達して生活が豊かになろうが、社会や政治を取り巻く環境が変わり、身分制度がなくなろうが――、この世界は、不平等である。
それを「そういった星の生まれ」で片付くのならば、この世界は、社会は、一切の努力をしなくなるだろう。
ゆえに、この世界は――
*
「ゆえに、俺達は、足掻くしかないんだろうな」
*
自分の望む答えを掴むまで、がむしゃらに――。
何度絶望しても、必死に世界との関係を断ち切らないように――。
不平等で、不自由なこの世界で――
己が正しさを追求するために。
*
「あのー」
秋羽が去った後、女子高生が、駅員の男性に声をかけた。
「さっきのお巡りさんって何者なんですか? なんか、他の警察の人と違う感じがしたから」
「ああ、彼は、白石さんだよ。自白刑事の、白石さん……ちょっと変わり者の、自白させるのが得意な、ただの刑事さんだよ」