呼び止める暇もなく、秋山菊乃は走り去った。
それを呆然と見送っていた秋羽は、突然横から耳を引っ張られ、軽く身体が傾いた。
「お前、何している!?」
耳を引っ張った張本人の茉莉が、さらに耳元で叫び、二重の痛みが生じた。
「とっとと追いかけんか!」
「そんな事言われても……もう行っちゃったし」
「このマイペースホワイト!」
ばしん、と肩を何度も叩かれた。地味に痛い。
「大体、お前は、何か掴んだんだろ!?」
「まあな」
と、肩を庇いながら秋羽は答える。
「結論から言うと、今回の事件は、殺人じゃない。自殺だ」
「自殺ぅ?」
正義がポカンとした顔で首を傾げた。
「本当ッスか? 現場、マジ凄かったんスよ。猟奇殺人って感じで、遺体なんて原型留めているのが不思議なくらい、ズタズタで……うぷっ」
当時の事を思い出したのか、正義は涙目で訴えながら、口元を覆った。
「ここで吐くなよ」
「そうは言っても、ズタズタのグチャグチャで……」
そう正義は訴えるが、既に茉莉の視線は秋羽に向かっていた。
「それより、白石。自殺でないとはどういう意味だ?」
「さっき、取り調べで言った通りだ。死因は全員絞殺。これは、全員が自ら首を吊って死んだから。そして遺体をめった刺しにしたのは、それを隠すため……あとは、メッセージ的な意味もあったんだろう」
「メッセージって……礼の、自殺した生徒の事ッスか?」
正義が問うと、沙綾が秋羽の前に出た。
「そうだよ。これは、彼女達からのメッセージ」
彼女は、言う。
「殺されたのに、その真実を隠された。だから、それをもう一度さらけ出すために、あの子達は、こんな事を始めたんだよ」
「……」
どこか、挑むような瞳に、秋羽は押し黙った。
その視線は、いつも真実をはぐらかす菊乃の瞳と少し似ていると思った。
「でも真実を訴えるには、他にも方法があるんじゃ……何も、自殺までしなくても」
「この方法以外、なかったんだよ。きっと、これは彼女達なりの罰」
或いは、そそのかした何者かがいたか――
「罰ってどういう意味ッスか?」
「姫崎四季が自殺した時。当時事故だと思ったのも、彼女達も一緒だったから。のちに知る事になった自殺の原因となった事件……それを知った時、彼女達は悔いただろうな。もし当時の自分達が、安倍恵介達が起こした事件について勘付いていれば、姫崎四季は自殺するのを思い留まったかも知れない。当時の自分達が、事故じゃなくて自殺ではないかと勘付き、大騒ぎすれば、マスコミや警察が不審に思って調べる者が出てきたかも知れない……もし、あの時、自分達が不審に思っていれば、行動を起こしてれば……そんな所だろ」
そこまで言うと、白石は背を向けた。
そして、そのまま彼女が去った先へ向かう。
「あ、白石さん」
「やめておけ」
同じく飛び出しかけた正義を、茉莉が止めた。
「確かに、この事件、単純だが複雑だ。そして、この複雑さを読み解けるのは、白石だけだ」
「でも、これって殺人じゃなくて、自殺だったんですよね? そこまで分かったなら……」
「確かに連続殺人じゃなくて、殺人に見せかけた自殺。そこまで見抜いた時点でミステリーなら、もう終盤だろうな。だがアイツが扱う事件はそんなに単純じゃない。ただ犯人を見つけ、トリックを暴き、事件を解決させる。それだけなら我々でも出来ただろう……」
「……『自白法』!」
正義も察したのか、目を見開いた。
「そういう事だ。『自白法』がある限り、たとえ真相が分かっていても、容疑者候補が自白しない限り、この事件は続く。それを迷宮入りにするかは、アイツの手腕にかかっている」
「あの人は……」
正義が、零すように言った。
「暴けるんでしょうか」
「出来るさ……何故なら、アイツは白石。自白させるのが、仕事だから」
*
――まったく、不平等だな。
白石秋羽は、大股で廊下を歩きながら思った。
去り際に、後ろで赤西茉莉が好き勝手言っている声が聞こえた。
――何が、自白させるのが仕事だ、だよ。
実際そうなのだが、そう簡単に言ってくれるな、と思う。
トリックは暴いた。アリバイも崩した。それでも、『自白法』がある限り、真相が分かっても真実を暴く事が出来ない。
――いつもそうだ。
子供を守る法律が、子供の成長を妨害し――子供の平和を脅かす。
子供の将来に影響を与えるから、と未成年の犯罪者を徹底した守るために出来た法律が『自白法』である。
『自白法』が出来る前は、確かに未成年の犯罪者への差別が絶えなかった。
未成年の犯罪者は、原則として名前が公表される事はない。それは被害者も然りだ。
しかし、やはり漏れる所は漏れる。名前が公表される事はないと言っても、それは新聞社やマスメディア界の話であり、警察側としては正式に発表する。警察側が発表せずとも、身近な誰かが捕まれば、いずれ世間には漏れ、被害者側も黙ってはいないだろう。
成人に比べるとメディアの露出が少ないだけで、未成年でも罪を犯せばそれ相応の罰を受ける。流石に無期懲役や死刑など重い罪にはならないが。
そして法律上の罰を終えたとしても、彼らには別の刑が待っている。それが所謂ネット私刑というやつだ。
新聞とは異なり、ネット上の記事は消えず残ってしまう。古い記事は期限切れという形で閲覧不可になる事はあるが、スクリーンショットなどで画像を保存する事が可能であり、そういった古い記事が数年後にSNSなどで出回るケースは多い。
所謂デジタルタトゥーだ。
少年院で服役し、己の罪を悔い改めても、人生のやり直しを世間は許してくれない。
盗みを働いた前科があれば、職場で窃盗すれば真っ先に疑われる。女性を暴行した前科があれば、危険視され――、故意であろうとなかろうと、殺人を犯した前科があれば刃物を持っただけで驚愕される。次第に行動を制限され――何もしなくなる。
中には、全くの冤罪というケースもある。
そういった子供の未来を守るために『自白法』が生まれ、未成年は自白以外でしか裁く事が出来なくなった。
しかし結局――大人の目論見は外れ、子供は悪い事をしても言い逃れをすれば逃げ切れると踏み、罪を罪とも思わなくなった。
――自白、か……。
本当に面倒な法律を作ってくれた。
この法律はとことん子供に甘く、大人に厳しい。
悪い事を、悪い事だとは思わない。
そういった連中が次から次に生まれ、悪事を働くようになるのなら、この社会は終わりだ、とすら思う。
事実、大人の世界でもいじめはある。むしろ、大人の世界のいじめの方が、子供以上に逃げ場がない気がする。
「まったく、本当に、この世界は、不平等だ」
誰に対するか分からない愚痴を零しながら、秋羽は警察署を出た。
――だけど、それでも真実を追究しなくてはならないんだ、俺達は。