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第13話

 場所は、とある住宅街の一角にある小さなアパート。

 二階建てで木造建築の古い建物だ。

 階段の塗装は所々剥げており、錆びている部分もある。

 築三十年以上は経ってそうだと思いながら、茉莉はアパートの階段を上がる。

 あの後、太郎から渡されたアイパッドに入っていたデータの一つに「元美術教師」の男の個人情報があった。

 ――名前は、安部あべ 恵介けいすけ

 学校を辞めた後、デザイナーとなり、例の赤ずきんのデザインで人気となった。

「しかし長くは続かなかったようだな……まあ、この『理由』を見れば、妥当か」

 太郎の情報は細かい。

 小学校の成績から、最終学歴である大学の成績まであり、もし警察でなければアウトな情報まで入っている。

「有名デザイナー様も、今は借金まみれのフリーターか」

 太郎の情報によると、業界からも盗作疑惑やゴーストデザイナー疑惑もあり、仕事はすぐになくなったようだ。

 ――波乱万丈だな。まあ、こいつのした事を考えたら、手ぬるいがな。

「安部さーん? いるんでしょう? 出てきてくださいよー。全然怖くありませんから」

 借金取りのように、茉莉は扉を叩きながら中の住人を呼ぶ。


「な、なんですか? まだ返済まで期限が……」


 観念したのか、扉から背の低い男が顔を覗かせた。

 僅かに開いた扉から、不潔そうなカビ臭さと煙草の匂いが流れてきた。

「警察だ! 中に入れろ」

「え? 警察!? 何で!?」

「いいから、入れろ!」

「だから、何でですか!?」

「警察だからだ!」

 相手が女性だから油断したのだろう。男の手が少し緩んだ。その隙を見逃す茉莉ではなく、ドアノブを掴むと強引にこじ開けた。ドアチェーンが切れる音がした気がしたが――きっと気のせいだ。

「ちょっ、何しているんですか!? ていうかチェーン!? 素手で!?」

 茉莉は扉を開くと、靴を脱いで中に入る。

「だから、警察だ。ちょっと聞きたい事がある」

「聞きたい事って……」

「それを今から話す。だからお前は、そこに直れ」

「は、はあ」

 四畳半もない小さな部屋。

 ゴミ袋だらけのせいで足の踏み場がない中、茉莉は僅かな隙間に無理矢理座り込んだ。

 対するこの家の主である恵介も、茉莉に言われておそるおそる床に正座する。

「え、えっと、刑事さんが、一体うちに何の用で……」

「鮮血ずきんちゃん事件について、知っているな?」

「え、ええ、まあ」

「殺害現場にあった赤ずきんちゃんのグッズですが、全て貴方がデザインした赤ずきんシリーズに由来しているようだが……」

「あ、あれですか!」

 恵介は僅かに嬉しそうに顔を上げた。

「そうなんですよ。教師時代に手掛けた作品で……まさか自分の手がけた商品が殺害現場に置かれるなんて……僕も驚いていまして」

 自分が手がけた商品、か。

 彼は気づかないが、その一言でこの部屋の空気がさらに重苦しいものになった。

「姫崎四季……」

 茉莉がその名を出すと、彼は明らかに動揺した。

「この名前、覚えがあるな?」

「えっと、それは……」

「四年前、美術室の窓から転落して亡くなっているようだが……」

「あ、あの生徒ですか。よく覚えていますよ。私の管理不足のせいで、転落事故など……今思い出しても、自分の不甲斐なさに腹が立つ」

 ――不甲斐なさ、ね。

「……本心か?」

「え……」

「私は刑事だ。嘘で塗り固めた真実を引きずり出し、悪い事をしながら、それを隠して安寧を貪る連中を白昼のもとに引きずり出すのが私の仕事だ。だから私の前で嘘をつくならば……」

 と、茉莉は一度言葉を切ると、彼にしか聞こえない声で低い声で囁いた。

「〈自主規制〉すっぞ」

「……っ」

 恵介は驚いて囁かれた耳を抑えながら立ち上がった。何故か、少しだけ頬が紅いのは謎だが。

「な、何なんですか、あんたは。け、刑事が、そんな事を……」

「黙れ、豚が! こちらが何も知らんとでも思っているのか!」

「ひっ」

 恵介は小さく悲鳴を上げながら――しかし何故か少しだけ興奮した目で茉莉を見上げる。

 ――おっといけない。

 少し感情的になっていた。これでは同期にまた後れを取ってしまう。

 茉莉は深呼吸をした後、いつもの丁寧な口調に戻す。

「姫崎四季は、校内でも有名だったようだな」

「あ、はい」

 急に変わった茉莉に驚きながら、恵介は頷いた。

「誰にも優しい、お姫様のような人だった……そしてとても繊細で、傷つきやすかった」

 太郎の調べで分かった事――

 姫崎四季は、幼い頃から童話と美術が好きだった。そして中学の時にその才能は既に発揮され、赤ずきんをモチーフにしたデザインを作り出した。

「赤ずきんのロゴの入ったリボンは彼女が作った。そして美術部の顧問だった貴方に見せにいき……盗まれた」

 信頼していた教師に自分の作品を奪われた。それだけでもショックの話だが、彼女の悲劇はここから始まった。

「当然、彼女は貴方に『私の作品を返してください』ってお願いにいった」

 そこで「盗まれた」と騒がず、目立たないように秘密裏に動いた所が姫崎四季らしく――そして、それが悲劇を生んだ。嫌な事をされても声に出せない、優しいけど臆病な女の子。それが姫崎四季だったのだから。

「しかし、貴方は逆に姫崎四季を『自分の作品を盗もうとした』『ガキが粋がるな』など暴言を吐いて、彼女を傷つけた」

 これは太郎が調べた結果、当時の学生からも証言が取れている。

 先生と生徒、どっちを信じるかは明白だ。特に彼のような男が相手ならば。

「当時から、成績の売買はあったようだな、安部先生」

「何故、それを……!」

「酷い話だ。真面目にやっている子や、自分の時間を犠牲にして必死に努力する子がいる中、貴方は金銭や行為による対価を支払った子の成績を高くつけ、逆に気に入らない生徒の成績を故意的に下げた」

茉莉は続ける。

「そんな事が日常的な貴方の事だ。当時から貴方のコマだった生徒を使って、貴方は姫崎四季をいじめるよう仕向けた」

学校は狭い。一瞬で、彼女の悪い噂が流れた。その噂を信じた生徒から四季は距離を取られ、精神的に追い詰められた。

「いじめは、相談出来る子と相談出来ない子がいる。いじめられている自分が弱く感じ、誰にも知られたくないと思う子がな」

 そして四季はまさにそれだ。

 ――私も、覚えがあるからよーく分かる。

「いじめられている自分を友達に知られるのを恥じだと思い、隠し通した。助けてって泣いて縋りたいのを押し殺し、毎日を笑顔で過ごし……だけど、味方どころか、日に日に増えるのは敵ばかり……気付いた時には、人類全てが自分を嘲笑っているように見えた」

 それもこの男の思惑だ。彼女は誰にも助けを求めない。それを知っていたからこそ、彼女を精神的に追い詰める事も出来た。

 四季の心が折れ、登校拒否や転校にでもなれば、それこそ作品は自分の物になる。

「噂好きの女子生徒にわざと流し、四季を精神的に追い詰めた。何が事故だ……姫崎四季を殺したのは、お前だ」

「しかし、そんな前の事をどうして今更……」

「あ!?」

 茉莉の態度から、自分の失言に気が付いたのか恵介が怯えた顔で視線を逸らした。

「終わっていないからだ……女子高生の連続殺人事件に、現場には赤ずきんのロゴの入ったリボン。それは世間的にはお前の作品……ここまで言えば、分かるだろう? お前を、容疑者にするためだよ」

「容疑者?」

「まあ、容疑者とまではいかなくても、当時の事は調べられる」

 今なら人の気持ちに疎い茉莉にも、なんとなくだが分かった。

「罪と罰はセットだ」

 同期の男の言葉を思い出しながら、茉莉は言う。

「罰は、罪を理解するための時間。悪い事をしたという自覚を持ち、罪と向き合うための時間。それが罰だ」

 人は自分に都合の悪い事は忘れる。それをさせないのが「罰」。

 罪を過ぎた事として忘れさせないため、「罰則」という形で「悪い事をした奴の証」が必要だった。

「可哀そうな奴だな。罪を償う機会を、自ら失うとは」

 茉莉は軽蔑した目で、恵介を見る。

「罪から逃れる唯一の方法が罰だったというのに。罰を受ければ、罪と向き合った事になる。しかし罰から逃れた貴様らは一生罪を背負ったまま生きるしかない。もう誰も、お前を許してくれないだろう……今更、反省したって遅いんだよ」

 軽蔑と同情の混じった眼差しで、茉莉は恵介に言った。

「……もしお前の中に、償う気持ちがあるというなら、証言しろ。姫崎四季の過去について、全部、自分の口で……当事者の言葉として、自分の口で吐け」

「…………はい」

 長い沈黙の果て、観念したように恵介は頭を下げた。


       *


 取り調べ室。

 菊乃が放った言葉により、室内に重苦しい空気が漂う。


 ――俺達が、殺した?


 これは、どういう意味なのか。

 ――考えろ。時間が限られる。

 ここで下手に問い詰めれば、せっかく見えかけた真相の尻尾がまた引っ込んでしまう。

 ――俺が、考えるんだ。

 思えば、彼女は最初から刺々しい態度だった。単純に、大人への不信感や容疑者候補だからというわけではなく、警察を敵視しているような――そんな気がした。

 ――姫崎四季が自殺だったとしたら、その原因となったのは……大人か?

 四季の自殺に関与したのが教師で、それをもみ消したのも教師だったら「大人」が敵と思っても不思議はない。

 いや違う。それだけじゃ、警察が敵とまではいかない。

 姫崎四季を事故と片付けたから、警察を恨んでいるのか?

 いいや、違う。彼女は賢い。それだけでは不信感は持っても、恨みの感情までも持たない。

 それに、本気で隠し通す気があるなら、赤ずきんのリボンを残したりしない。

 犯人が、現場にモノを残す事には意味がある。

 連続殺人であり、この後も続くという予告として使われる場合もあるが。

 ――この子は、違う。

 誰かに伝えたい事がある。誰かに気付いてほしい。誰かに――止めて欲しい。

 そんな聞こえない悲鳴が、聞こえてきた気がした。

 ――考えろ。彼女が伝えたい事を……何を隠して、何に気付いてほしいのか。

 彼女が残した言葉は少ない。信頼関係を築く程、長い時間を過ごしたわけではない。

 だから彼女が本当の事を言っているとは限らない。焦ったように見せた姿も、演技である可能性もある。

 それでも――


 ――見極める。


 それが、「自白班」の役目だ。

 人は嘘をつく生き物だが、その嘘の向こう側に必ず本心はある。

 だから考えろ。どこまでが本当は、誰が為の嘘か。

 ――考えろ、考えろ……

 限られた時間の中で、出来る事をやるために――考え抜け。


 愛想笑いの向こう側に素顔は眠っている。

 だから――


 秋羽はカッと目を見開き、菊乃を見る。

 この涙は「嘘」ではない。「嘘」でないなら、その涙に真実が宿る。


 と、その時――脳裏に菊乃の放った言葉が蘇った。


 ――「四季さんを殺したのは、貴方達じゃない!」


 ――まさか、あれは……そのままの意味なのか?

 脳裏に嫌な予想がよぎった。

「姫崎四季の、事件を……」

 秋羽は、慎重に菊乃の顔色を窺いながら問う。

「事故として片付けた……いいや、もみ消したのが、当時の警察だったからか?」

「……」

 彼女は答えなかった。

 ただ――無感動な目で秋羽を睨み付けていた。

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