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圭璋様

 彼女は動かない。

 だから、それっきり何も言わない。

 それでも起こせば良いのに――と言う言葉を信じてか、彼女は力を使われたか一人で立ち、こちらを見た。

 それはまるで――まるで別人だった。

 ずっと探していた人だとすぐに分かるくらいに。

「美しいでしょう? 私は何もしてないわ、この月こそがそうしているのよ」

 そう言うと志遠に春鈴を見せた綺霞は一時的か姿を消した。

 それはこうなる事を面白がっているのだろう。

 でも、どうしようもなかった。

 何か言わなければ! と、相手は春鈴だと解っているのにこの口は止まらず言ってしまっていた。

圭璋様けいしょうさま――」

 ずっと魂の記憶と共に待っていたその人に自然と礼を尽くしていた。

「やめてください」

 彼女はそうは言うが、ずっとそこに突っ立っていらっしゃる。

 彼女自身が膝を折ることは絶対にない。

 それはその魂の存在を認めるかのようにずっと奥にある今までこの魂で生きて来た者を見る目で言った。

清穆せいぼく……でしょう?」

 それは核心めいていなかった。けれどその名前を呼ばれた時、自然と涙が流れていた。

 志遠でも永華でもなく、その存在として生きて来た者達が泣かせに来ているのかもしれない。

「そうです、あなたにこうしてまた出会える日を心待ちにしておりました」

 礼を尽くしたまま言っていた。

 彼女からは普段の春鈴の時には感じない色気というものをほんのり感じた。それは前世の彼女である公主だった圭璋けいしょうがさせているのだろう。

「その言葉遣いは良くないです。今はあなたの方がそれに合っているというのに」

 彼女は理解していてそうしている事になる。

 それでも、この魂は今ある事より、この全てを感じて嬉しくなっている。

「何故、今まで姿を現してくれなかったのですか?」

「よしましょう、その口調は。私はあなたが思うほど、こちらには出られない。そう約束したのです」

「誰に?」

「綺霞です」

「え?」

「あなたを自由にして救う為、そうしました」

「いつです?」

「忘れました。もう遠い私の記憶です。その為、新月もしくは赤い月のある時にしか現れないようになってしまった。そして食に走りがちなのもそれ故です。対価です。あなたの命よりも愛しいものはなかった。けれど、あなたは死んでまた生まれ変わって私に会ってくれた。それが私達の約束。ずっと離れたとしてもまた会い、愛し合う――それを綺霞は気に食わなかったのでしょう。魂諸共消えてしまっては困りますからね、それなら私の記憶を消してくれと言いました。けれど彼女は私にそうはしなかった。少しばかりのいじわるでしょうか、あなたにもそれがあるようにした」

 だから不確かなものだったのかと思う。

「あなたが生きて出会ってくれた時、少しばかり思い出すのです。そして、あなたが他の誰かを愛したと教えるのです。そればかりは悲痛な叫びが私の中に走ります。でも仕方のない事。それが普通です。もう思い出せない私よりも薄れ行く記憶に縛られるよりも今を生きる方が大事です」

「それは湖妃の事を言っているのですか?」

「いいえ、他にもあります」

「全然記憶にない」

「そう、それだけあなたの記憶は確かじゃなくなっている。私もそう。同じ時を過ごし過ぎている。だから薄れるのです、新たなものになろうとして」

 彼女はそう言うと志遠を見た。

「あなたが今の私を好きなのかどうなのかは分かりませんが、私はこうしてあなたに出会えて良かったです。でも、これからはいつもの春鈴に対するあなたで接してくださいね。私はあなたの所に居る宮女であって、圭璋ではない。あなたももう清穆でないように他の誰かでしょう?」

 そう言って、圭璋は消えた。いや、そこに立つ春鈴に変わったのだ。

「春鈴?」

「はい?」

「どうしてこうなっているか分かるか?」

「何となく……、あれですか? 私に礼の勉強をさせる為に?」

 こいつ、本当にさっきまでの圭璋様なのだろうか? いや、もう圭璋という人はこの世には存在しない。あるのはその記憶を持った魂だけで、清穆として会わなければこの春鈴にこうする必要もない。

 志遠はさっと春鈴の隣に立った。

「違う。そんな事をしなくてもお前はもう分かっているだろう?」

「そうですね、何回も波妃様に覚えさせられましたから」

 そうじゃない。礼の話は忘れろとは言わないが、けろっとそう言う所を見ると本当に一瞬のような出来事を完全に忘れているのかと思えて来る。

 その方が幸せなのかもしれない。

「さて、調べに行くか」

「はい、ですが夜な夜なでないとなりません」

「ああ」

 そうして志遠は春鈴を連れ、この騒動の原因を突き止める為に動き出すことにした。

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