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着飾ることをしない者達

 そんな中、春鈴はうんともすんとも言わず、ちらちらと目だけでそちらを見る。

 気にしている。

 知っているのか? この話を……。例の噂話か? それともこんな真っ昼間にする事ではないと、その行動で示しているのだろうか。

 その先に居る彼女達は全然この事に気付かない。

 これは普通の事ではない。

 だからこそ、それを見るか見ないかで分かる。

 どれだけその世界に浸っているかが――。

「どうした?」

「どうしたはこちらが言いたい言葉です。何故、近くに人が居るのにこういう事をされるのですか?」

「やっと言ったと思えば、取り繕う。まあ、その反応を俺は確かめている。これはとても重要な事だ。皆にとってな」

「それはどういう?」

「全ては繋がっている。もし、これが噂になれば彼女達を救えるし、俺はまあ居辛くはなるが、この立場から解放されるかもしれない。お前はどうなるだろうな?」

「そうですか、お逃げになるということですか?」

「違う。疲れたのだ」

「だったら、休めば良いでしょう。こういう事をしても何の得にもなりません」

「黙っていると思ったら、この状況から逃げられる方法を探っていたか」

「そりゃそうです! 私も少しは良い所の血が入ってるんですよ! 遡れば!」

「ほ~う、それはどこだ? 言ってみろ?」

「それは……あなた様よりは劣りますが……」

 ごにゃごにゃと言って聞き取れない。

「まあ、良い。俺はそんな血、どうでも良い。言っただろ? お前は知ってるはずなんだ。それが本当かどうかさえ分かれば良い」

「それは!」

 言ってはいけないとその反応で分かる。

 言葉を出したくても言えない何かがあるとその口の形の勢いから分かった。

 では、どうしてそうなっているのか……考えてはいけないと彼女は言っているような気がした。

 だから春鈴は違う話をし出したのだろう。知っていますか? と、こちらの質問には答えず、違う事を言う。

 それほど彼女は何かを隠している。

 それだけ分かれば今は良い……ということにしておくか。それに自分でも思う、少し早く行動に出過ぎたと……彼女達の報告ももう少し待てば良かった。

 次に狙われるのは自分だろう。

 志遠は自然を装ってその手を離してやった。

「ありがとうございます!」

「そう言う……」

 こちらの調子が狂うほど、彼女はさらっと言いのけた。

「何か気分を沈ませる事でもありましたか?」

「いや、では聞こうか? その『知っていますか』とは何の事だ」

「とある所でももうありませんでしょうが、この後宮で着飾る者は居なくなっています」

 危惧していた通りか。志遠は何も言わず、春鈴の話の続きを聞くことにした。

「驚かないのですか?」

「まあまあな……」

「それでは続けますが、以前まではそれはそれは至る所でバチバチとこの華美なる物はスゴイでしょう? とかいう女の戦いがあったのですが、今はとんとなくなっており、物静かです。いらっしゃるものがないからでしょう。最初はブーブーと文句を言う者もおりましたが、それは人だけの話でした。ですが、それが今となっては物にまで移っております。先日もいらっしゃると知れば、用がこちらにないのを知っていながらその機会が自分にも来るかもしれないと思って、それは無駄な着飾りようをなさっていたものですが、それがなくなっています。その為、入って来る物も実に質素です。ですが誰ももう何も言いません。それほどまでに人はこの異様さに慣れています」

 その異様さはこの後宮ならではだ。この外に住んでいる者ならそれが普通だと映るのだろうが、ここに居てはそれは自分がないのと同じ。それではここに居る意味がない。

「……それは深刻な問題だな。それほどまでにこの後宮で着飾る者が減り、自慢し合うこともなくなり、質素となれば、お前の手に入れたい物も手に入らないだろう?」

「え?」

「知っているぞ、お前、何かの情報と引き換えに美味うまい物を御用達の誰それからもらってるそうじゃないか?」

「それは!」

 明らかに動揺している。鎌を掛けてみただけだが当たっていた。

 何で知ってるんですか?! と取り乱すことはなかったが、観念したのか正直に春鈴はぽつりと言った。

「そうです、最近はこっそり試食があるからと言ってもらうこともなくなり、その感想を求められることがなくなり、質素だからこそ新しい物はいらないということなのでしょう。めっきり良い服を着て自慢する者も少なくなり、全然良いお菓子が手に入らないんです!」

「それはそんなに重要な情報じゃないな……」

「そんなぁ~」

 まあ、それだけ必要のない物が増えたとすると、ここも廃れるのが早いだろう。

 だが、だからこそ自分が尽力しなくてはいけない。

 やはり旭に言って早急に新しい妃候補を数人入れてもらい、ここを前のように戻す必要がある。それからどうしてある程度の所でいつも同じ結果になるのかも。

 それにしてもこいつ、気付いているのだろうか。自分がその『者』を使うことで自分より位が上かどうかが詮索されないように配慮しているのを、別に質素になったからと言ってどうにかなるわけではないが、目を付けられるのを避けているようだ。

「はぁ、その気遣いを自分のしなければいけない事に使ってくれればな……」

「それは文字の事ですか?」

「ああ……」

「最近は志遠様のおかげでだいぶ上達しまして、この前はそれで瀏亮さんに褒められるようになったのです!」

「それは良かったな」

 にこっと無意識に志遠は春鈴に向けて微笑んでしまった。

「はい! そのおかげでご褒美に美味しい上品なお味のお菓子をもらえたのです!」

 満足そうに言う彼女はとても嬉々としてそれを見せたいと思ったのかおもむろに服の中から絵を描く物を出した。だがそれは志遠が渡した物ではなかった。

 じっとそれを見る志遠に春鈴はハッと気付いたのか言う。

「あの、これは! あのような高級な物を持っているとですね、誰かに言われてここに居られなくなってしまいます! それは困ります。私はここに居たいのです、じゃないときっと家に戻れば嫁ぎなさいと言われてしまいます!」

「分かった」

 志遠は口走っていた。

「それが分からない物を用意しよう。お前が満足する物を用意できればずっとここは平和だ」

 それは自分がそれほどこの宮女に執着し出している事を示す。だが構わなかった。

 大事なのはその先にある事で今は目先のそれだけでも人に渡したくなかった。

「はぁ、私は侵されているな……」

「え? どういうことですか?」

「お前は良いな、食べ物で」

 じゃあ、志遠様は? とその目は言っていたが声では言わなかった。

 解っている。絶対に……。

 春鈴の事をもっとちゃんと知りたくなった。

 それは生まれがどうこうではなく、自分の前世以前の記憶の中にいるその女性ひとかどうかだ。

 確か春鈴は代々商人の娘、それがどういう事か良い所の出になっている。

 きっと食べ物で釣られて来た際にどこかの貴族の娘として書き換えられたのだろう。

 だが、その商人の家もかなり裕福だったと聞いている。

 おっとりとした家庭の中に居たらしく、のほほんと大事に育てられたのだろう。

 きっと遡れば本当に良い身分の奴と誰かは血が繋がっていて、春鈴にもそれが流れているかもしれない。

 それを信じよう。

 幸い、この方、許しを請う相手はもうこの世にいないわけだし。いざとなれば、いろいろと根回しは効く。その多くは噓で塗り固められているのだからそこを突けば良い。的確に迅速に自分のものにする必要性は今の所ないが、ただ一人逆らえない人がいる。その人に悟られないように振る舞わなければならない。いやもう一人いるのか……。

 志遠は水面にほんのり映るものを見た。

 そこにはぼんやりとしたものしかなかった。

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