今朝方、書庫からその話の物を自分の部屋に持って来た志遠は思う。
こうも当てはまるとは。
過去の誤ちがまた繰り返されようとしている。
黒い百合と赤い百合に例えられ伝わるあの話の真実はこうだ。
八十年前、曾祖父の時代。
密かに思い合う二人の女が居た。
後宮で楽しくやっていたが、ある時気付いてしまった。これではいくら経っても自分達の子供ができないと。
それほどまでに彼女達は相手にされていなかった。その寵愛を一心に受ける正式な妻である彼女に頼み込んでやっとどうにかなった時、彼女達はこれを自分達の子とした。絶対にそこには彼女達しか存在しない。つまりはその存在をなかったことにされた。父なんてものはないのだと、それは決して許される事ではない。
時の皇帝としては殺されるよりも無念だったろう。
そもそも何故そうなったのか? とまた今宵も書庫を訪れた春鈴に志遠が問えば、答えは簡単ですと言う。
「そうしたのはきっと寂しいからです。着飾る意味もなく、近くの人に求めるのは普通の事。私も近くに美味しい物を持つ人が居れば飛びつきます!」
それは話が変わって来るが、そんな者達でも傍に置いていたのはその華やかさだ。
次第にこの後宮もその華やかさを失うだろう。
そうすると衰退という文字が浮かんで来る。
何度それでこの地は国を変えて来たか。
争いもなく、幾度かそれで潰えた。
だからこの一説は国が変わっても残り続けているのだろう。
花々は着飾り、蜜を誘うが相手にされず、時にそれを飲み込んで踊り狂い、またその花は美しく咲き続ける。
枯れ果てるまでそれは続き、無邪気に人の幸せを永く願って植えられても、人を呪う為にあるのかもしれない。
その時の彼女達は百合の花を好んでいたそうだ。だから、それを思い出さない為にその花は金輪際この後宮に咲かせてはならないと禁じた。その色を持つのは他にもあるが、黒と赤の意味はその人の闇とその血だ。
たとえ由緒正しくともこの血が認められるのはこの国だけで他の所に行けば意味のないものになる。
ここに居てこそ、その力を発揮する。
全てはこの国の為にあるのだ。だから、本来蓮を見れば人はそれが恋だと知れる。
そして、百合を見れば長続きする幸せを感じ、月夜の蓮摘みとはそんな恋さえもないのだと現実を告げるものになる。
あれは何と言う目で見ていただろう。
利用した者には罰が下る。
恐ろしいと思ってもそれは抑えられないのだろう。
そんな百合や蓮でも美味しく食べれる所があるのに……と思った所で自分が春鈴に感化されていると知り、志遠は頭を悩ませた。
馬鹿馬鹿しい思考回路だ。
私はあの者達をどうする事もできないのに、だから報告をする。
そうして決定的な答えを他人に任せる。
それを素直に受け入れるのは簡単に生きられるからだ。
だが、今回ばかりは兄上も簡単には決めてくれなかった。
怒りを露わにしたかと思えば、証拠を持って来い! と言って、しばらく見張ることになってしまった。
それでも春鈴の字の汚さをどうにかする時間を割くことなく出来たのは九垓のおかげだろう。
「あの生々しいものをよく私に見せましたね。それで喜ぶとでも?」
「それは悪かったな、雨露でも良かったが、お前の方が適任のような感じがしてな……」
と言えば、うーん……と悩んでしまった。
それほどまでに事態は深刻で、見張るまでもないものを――兄上に他の女を紹介しろと旭に言うか悩み始めた所で本来自分がそこまでする事でもないと思えて来た。
途方に暮れて気分転換に外に出て歩き出したが、目的もない。
兄上がもっと楽に考えてくれる人だったら良かったのにと思ってしまうばかりで他の事に気付けなかった。
だから、そこに春鈴が居たことにも気付かなかった。
「おや、志遠様、どうしました?」
「お前の方がどうしただ……。ここはお前のような者が来る所ではないだろう?」
「そうですね、蓮を見に来ました」
「蓮? それはもう大方ないだろう?」
「はい、でも彼女達はあるかのようにしています」
どういう意味だ? と春鈴が見た方を見れば、そこには緑妃と明明が居た。
楽しそうに二人だけのお茶会をしている。
「どうしたらそう見える?」
「そうですね、あのにこやかな表情がそう見えてしまいます。知っていますか? 人は恋をしていると独特の雰囲気を漂わします。それは花のように匂い、酔っていて、それを嗅ぎ付かれれば終わりです。だから匂い消しとして香りの良い物を使います」
さらに説明しようとしているのを見て、志遠は思った。
こいつ、まさか……。
「それは蓮茶ではないか? と言いたいのか?」
「いいえ。そうではありません。身体から匂って来るものです。甘い香りが多いでしょうか、人はそれを良い匂いと言いますが、嫌う人もいる。志遠様はどう思います?」
そう言われて今一度見れば、彼女達はお互いに食べさせ合っている。そしてお茶を飲み、夜のような営みはないようで良かった。
「あのような感じ、だとしたらまだまだですね。私なら、もっと頂戴ともう少しだけ足を踏み入れてしまいます」
それは食い意地が張っているだけだろう。
だがしかし、もし自分がそうだとしたら――自分もまたあの彼女等と同じように巡らしているのだろう。
「おぞましいな……」
それは自分がだ。
自分は違うと思えたその以前を思い出してみても、今の自分は随分と汚くなったと思う。
だが、決定的にその頃と違うのはずっと思っている人とすでに出会えているかどうかだ。
それだけでこうまで変わるとは、人生は何とも奥深く、さまざまだ。
生まれ変わっても同じ記憶を共有していてもどこかしらは必ず変わってしまう。
それは同じ親から生まれないのだから決まって容姿は違うだろう。
環境も違うからか、たとえ出会えていても全く周りは同じ人というのは彼女の他にはない。
たとえ同じ道を辿ったとしてもやはり自分はその時の彼女次第であり、それ以外にない。
「とても難しい顔をなさいますね?」
「そうか……実現するには難しい夢を見ているようだ」
「はて?」
と思案ぶる春鈴の頬に志遠は触れた。
それは何とも手慣れていて、女性に触るなんて初めてです! と言っていない。
「何をなさるんです? とは言わないのだな?」
「言ってほしいのですか? 心の内は心臓がバクバクとしていて、こんなきょとんと顔をお見せしたくはないのですが」
「そうか……、だが何故、お前は嫌がらない? お前もそうされるのを慣れているようだ」
それは誰も知り得ない事。二人しか知り得ない。
「嫌えば良いのですか?」
「それは傷付く。だが、そうされるのを嫌うのをお前は知っているだろう?」
その真理はもう解けているようで全く解けていない。
もし解けているのなら、それは生まれる前から脈々と続く関係のせいだ。