別に何もないとだけ告げ、二人を帰したのだが、では雨露を付けましょうか? と言われ、いらないと言えば九垓にエ? というような顔をされた。
見事なアホ面だな……と言えば、顔芸をしているわけではないのですが、その身に何かあったらどうするのです?! とは言われなかったが、相手はこの春鈴だぞ? と言いたくなる。
「はぁ……それで、お前はまたそんなのを持ち出してどうしようと?」
「昼に持っていたのをお忘れではないということはもしかして、志遠様もこの気になる食材について知りたいというわけですか!?」
ほら、やっぱり……。書庫に二人だけだからと気楽なもんだ。
「違う。お前がこうやって来ることは知っていた。だから瀏亮の気持ちを汲めば、お前のいつも通りの感じを見せたくなかっただけだ。九垓もそう、お前に何を期待する?」
「そうですね……。そういえば、蓮の花はもう白だけになったのでしょうか?」
「そうだな、明日の昼以降また蓮摘みは行われる」
「それはここに書いてある蓮茶という物を作る為ですよね?」
「まあな……、蓮の種類が違うと味も違うらしいぞ」
「え? それは本当ですか!」
「あ、ああ……たぶん」
やけに春鈴の目が輝いた。
「それほど、どうしてお前は食に興味津々なんだ? いつだったかの時に話したいとか言ってなかったか?」
「そうですね、でももうそれを聞いちゃいます? そうすると私が勉強する時間がないのですが」
「お前……」
やっぱりからかわれている。何だ、この上からな感じ。俺がその存在を認めるとそうなる仕組みだったか? もう完全に忘れてしまっている。
冷静になってみてもどうして気付いて手にしていたのか前世以前の記憶を探してみてももう思い出せない。
「ああ、まあ、それよりも志遠様? 大丈夫ですか? そんな苦しそうなお顔をなさって……薬でも飲まれては?」
「良い!」
ついつい向きになってしまった。
こいつは分かっているんだろうか、時々そうして来て、それもいつもそうだ。俺が一人の時にこいつは一人でやって来る。
たかりに。
「お前は百合の花を知っているか?」
「むやみやたらにその名を言って良いのですか?」
その答えを知っているのはそういう事なのかもしれない。
「お前はどこまで知っているんだ?」
「はて、何の事でしょう?」
「これにはそういう物も記しているはずだ。その為の書庫だ。絶対に読んではいけない物ではないのは皆に広める為。お前、昼に食べ物関係だったら読めるようになったと言っていたな?」
「そうですね、ですがそれでは意味が違うものになってしまいます。あなたを心配するお二人のように」
「それはお前も分かっているんだな」
「はい、波妃様はいつだってそうでした。何かあればそういう風に考えてしまう。ですが、変ですね。九垓さんは良いとしても何故瀏亮さんもご存知なのでしょうか? あの方は以前それを知っていなさそうでしたのに」
そう言われてみればそうだが……。
「では、字を教えてください。志遠様」
「できない」
即座に言えた。
「それは瀏亮が気付いているということではないか? お前はいつそれに気付いた」
「今し方、ここに来るまでの間に。たぶん九垓さんの反応で分かってしまったのでしょう。ですが、ご安心ください!! 宦官様とて、する時はするもんです! どうやってだ? という顔をなされますか?」
「いや、良い。もし、お前が俺の探す者だとして、そうだとしたらきっとそうだ、その記憶が助けになる。あれはいつだったか、花街の女として生まれた時があった。その時の客として俺も行っていたろう?」
「そうでしたっけ? と言えば、あなたはご満足ですか?」
「お前、俺の事をずっと知っているだろう?」
それは夜だから言える事。
昼には言えない事。
「さて、どうでしょう?」
「とぼけるな」
「だとしたら、どうするのです?」
「もし、そうなら、すぐさま」
抱きしめたかった。
「よそう。お前が嫌そうな顔をするのだけはもう見たくないから」
それは今、目の前に居る彼女のものだった。
「そうですか……」
彼女は今それしか言わない。
他に言うことはないのだろうか。
追い詰めてみても何も起こらないか。
「そういえば、先ほど百合とおっしゃいましたが、あの百合は食べれるのですよ」
「急に何だ?」
「球根がです!」
「そうだな」
「驚かないのですね」
「当たり前だ。知っている。蓮茶もな」
「蓮茶まで!」
「そんなに驚くことか?」
「驚きます! 驚きますよ! やはり、志遠様は皇帝陛下に通じる方で間違いないようですね」
「それは何だ、俺がどういう者か正直まだ分からない所があるから調べようという魂胆だったのか?」
「いえいえ、違います! ただ本当にそうなのかな~と思ったことを確かなものにしたかっただけです!」
「同じ事だろう?」
「そう言われてしまうとそうなのですが。ただ蓮茶は私のような者は絶対に口にできない物です。そう、その近辺に
不味い。だが、それを知っている春鈴は? と聞き返したとて、今まで一度も飲んだことはありませんでしたのでそういう物かと思っていました! なんて言い返されれば終わりだ。
「蓮茶はな、本当はこの後宮で飲むには後ろめたさを感じるものだ」
「何故ですか?」
「あの見事に咲く蓮を摘み、殺風景にさせるあれは人によればかなり残酷な事だ。当初、あれはその百合の花でやりたいということだったそうだが、ここまで見事なものはどこにもなく、愛する妻が亡くなったその日時きっかりに彼女が一番愛した物を送ろうという心意気でこうした事が始まったという」
「そうまでした理由はそれだけなのでしょうか?」
「と言うと?」
「戒め、では?」
「何の為に?」
「人は信じがたい事を難なくしてしまう時があります。それは強い願いが出来た時です」
「お前にもそうした事があるのか?」
「はい」
素直過ぎるくらいにそう言った。
「そうか、お前のそれを聞きたいが今はやめておこう。またそうしたとしても違う話をされそうだ」
「あら? お分かりになるのが早いですね」
「お前とはもう付き合いが長いからな。もしかしたら九垓よりも長いかもしれない」
「そうなのですか?」
「ああ、きっとそうだ。それではその持っている物を筆にしてくれないか? 私もそんなに暇ではない」
「そうですね、では早速!」
彼女は食べ物関係ではめきめきとその力を発揮するが、他の事となるとてんでダメだった。
「どうしてそれができない?」
「さあ?」
一緒に首を傾げそうになるくらい汚い字が出来た。
これではまだ付き合った方が良さそうだ。だが、今夜はもうお開きにしよう。
「また見てやる」
「本当ですか?」
「ああ、これではいつも付き合わされてる瀏亮が哀れだ」
「そんなにですか?」
「ああ、お前に必要なのはそれ以外の事にも興味を示し、受け入れることだ」
「それが出来ていたら私はここには居ません!」
「確かにそうだな、その方が良くないか?」
「そうでしょうか、私はこのままでも良いのです。その方がお得ですし」
「何がだ?」
落とし所のない話に付き合う気はないと志遠は春鈴よりも早く席を立った。
待ってください! と言う春鈴の声は少しだけ響いた。