夕焼けに雨か……と、ふとそれを見た時だった。
静々と志遠の部屋に入って来たのは九垓ではなく、確か旭の所の青年宦官だった。
何用だ? と問えば、上質な紙に何やら書いてあるらしい物を一つ無言で志遠に手渡した。
「これを読めと?」
「ええ。それだけで伝わるでしょうからと」
それは旭からの挑戦状か……と思い、それを開けば一言。
「分かった。これはこちらで燃やしておこう」
「はい」
それだけで分かる事だった。
あれは良くない。
その者が完全にこの永庭宮から姿を消した時、待ってました! と言わんばかりに九垓がやって来た。
「志遠様、先ほどの者は?」
「名は何と言ったか?
「はい」
志遠は一人歩き出した。
あの一件以来、旭には会えていない。
あの者が居なくなって辛い思いはもうないはずなのに、それにあれはその者が書いたのか? と問わねばならない。
奴はたぶん……そう思えば、簡単に探せられるものだ。
子供の頃からそうだった。
決まって旭は都合が悪くなるとそこにひっそりと座り込んでいた。
「その癖は抜けないな」
志遠ではなく、永華としての声にびくっと旭は反応した。
「どうしてここが?」
「分かるさ、ずっとそうだからな。私が忘れるとでも?」
「いえ、ですが、あなたはもう子供ではなく、そんな事も忘れたかと思いましたよ」
「忘れられれば良かったが、忘れられない。いつもお前は何か都合が悪くなると一人でここに居る。ここはあの兄上が絶対来ない所だからな……、私だってここには少し来たくない。母上が生きていたら絶対に止められていた所だ。皇太后は今は居ないみたいだな。公主の所にでも行っているのか?」
「はい」
実に正直に言うのはこちらが皇帝陛下の腹違いの弟だからだろう。
もしこれが志遠なら、こうはいかない。
「皇太后は心お優しい方だ。お前のその弱った心も溶かすのではなく、閉じておく為に自身の所をお貸し下さっている。こんな所は誰にも見られたくないのも分かっての行動だ」
「そうですね、子供の頃からです。こちらに居なさいと匿って下さった時から私は甘えているのです。こんなひっそりとした誰も来ないような路地のような建物の後ろでこうして座り込んでいる。立ち上がろうとする時、必ずあなたはやって来る。こんな私にあなたは気軽に話し掛けて良いのですか?」
「ああ、別にそれはもう終わった事だろう? あれでお前は何かやったのか? やっていない。だからあれが居るんだ。近々ちゃんとあいつにはそれが出来ているか確かめなければならない。お前だってずっとそれを隠しているのは辛いだろう?」
「ですが!」
「それに今日、紅運が私の所に現れた。それはお前が指示したからだ。一刻も早く解決しなければならない。あれはあの者が書いたのだろう? 最後の最後か、あの夜前後くらいの体力の文字がはっきりと分かるものだった」
「ええ、そうです」
「なら、私はお前から直接話を聞きたい。それでここに来た」
「それは!」
「志遠としてだ。あれに書いてあった『百合』とはこの後宮で禁じられてるあの百合か?」
はい、と素直に旭は答えた。
それはあの一件があったからかもしれない。
それにそれは本当に理由があって、そうなった花だ。誰しも悪いとは言わないだろう。今となってはだが――。