倒流香炉を知ってるかい? 店の男は何とも軽快に話し出した。
白い煙が普通は上に行く所を下に流れるんですよね? と春鈴は言う。
そうそう、そんな倒流香炉の煙が
十代か二十代前半くらいに見えはしても年齢不詳であり、それはそれは麗しい妖艶な姿で全ての元凶ではないかと噂されるその姿を見た者はいるとかいないとかいうくらい全くその姿を人前には現さない仙女。
だが、それでも姿を現したとされるのはその白い煙が紅く染まったのを合図としているからであろう。
そのいつまでも若く年を取らない美貌の女の姿で、前世もこの世の事もあの世の事から未来までを占ったり、毒にも詳しく、呪いも出来たりと何でも出来るスゴイお方! という印象があるのは人が作った空想か妄想かは分からない。
そういえばと話を聞きながら志遠は思う。
何年か前も後宮の者達数人がその綺霞に会ったことがあると言っていた。
そういう者達は大体、その事件の首謀者という謎があり、確かその時の見た目は二十歳くらいの美女だったと記憶している。
今の世では会っていないが、きっとあの綺霞だろうと志遠は思う。
話す二人ともその綺霞には会っていないらしいことが分かった。
それでね――と店の男はようやく金の卵の話を始めた。
その倒流香炉は捨てられていたそうだ。
その当時、そんな噂の仙女、綺霞が姿を現したということになり、ここら辺は賑わったという。
その者だけに綺霞の声が聞こえるとされており、何でも一つだけ願いを叶えてくれるらしい。その礼に何を必要とするのかは定かではない。
そんな話を聞いた金の卵を作りたいと思っていたその店の者達はその倒流香炉を手に入れる為、必死になって探したが見つからず、たまたま捨てられていた壊れた倒流香炉を持ち帰ってみた所、本当にそのようになったと言い、
そして数年もしないうちに潤う身となったは良いが、その礼というものが何なのか分からず怖いと言っているそうだ。
どうにかこれをやめたいと思っても売れに売れている今、それは叶わず、怖いという恐怖の感情で支配されていると言う。
呆れた。志遠は同情してやる気にはなれなかった。
「その卵は食べても平気なんですか?」
「ああ、たぶんな。今までそれを食って死んだっていうのは聞いてないよ」
「じゃあ、これも?」
「ああ」
「毒はないのですね」
呆れた……。春鈴の食い意地を存分に知ってる身でありながら、その呆れを重ねてくれる春鈴に志遠はさらに呆れてしまいそうだった。
「これ、食べてみましょうかね?」
「
本当にそうしようとする春鈴の手から金の卵を奪い取ると志遠はそれを自分の服の中にしまい込んだ。
「食べたかったのですか? 志遠様は」
「違う。はぁ、よく考えろ。お前が実験体になる必要はない」
呆れて怒鳴ることもなく静かに言うと露店の男が黙っていられない! と、一つの金の卵を手に取って、間に入って来た。
「そう言わないで下さいよ! 大丈夫ですよ! 金の殻ってだけなんですから、ほら……中はこの通り、普通の卵でしょ?」
「半熟!」
ええ、そうなんですよ! と露店の男と春鈴のウキウキ会話は続く。よくこんな卵一つで会話が続くものだと思いながら志遠は連れて来た雨露を見やる。
変な奴はいないらしい。
襲って来る者がいないとするなら、その話は本当か……。
「その店の場所は?」
「え?」
「そこまで話せばもう言っても良いだろう?」
「ですが……」
「お前の所がどうなるかなんてその店次第ではないのか? その店がなくならないようにするのもお前次第」
大きな賭けだと志遠は自分で言っていて思う。
ここに九垓が居れば任せたのに――。
露店の男は目の前のさらに与えられた金に心奪われ渋々教えてくれた。
「隠し持っていたなんてひどいです!」
「あれは雨露の物だ。それを貸してもらっただけで後できちんと雨露には返す」
「じゃあ、今向かっているのはその金の卵を作っている所だと何で言わないんですか?」
「そんな大きな声で言ったら人に知られるだろう! まあ、言わなくても分かるだろ。俺達の向かう場所がどこかくらい」
今までを知っているなら――ちらっとまた春鈴がこちらを見て来た。
「何だ?」
「ということはですよ、私達は今無一文です!」
「そうだな」
「それじゃあ、そこに行った時、もう買えないじゃないですか! 金の卵!」
だから、そんな大声を出すな! と志遠は怒った。
「九垓さんを呼んでください! そうすれば、何個かは買えるかも!」
「客に売るとは思えない」
「どうしてですか?」
志遠の考えに春鈴は質問する。
「そういう所は大体大金をくれる所にしか売らないんだ。俺達みたいな一般人みたいなもんに売るとは思えない」
「じゃあ、その志遠様の顔で言ってみれば売ってくれるかもしれませんよ?」
その九垓らしい考え方に志遠は言葉を失った。
「どこでそんな事を覚えたんだ?」
「え、まあ、そういう事をしてみても良いかなーって、ちょっと思っちゃったんです」
と春鈴は志遠の顔を見ないようにして言った。
まったく……。あいつの悪知恵が春鈴に移った。あいつは雨露に任せ探し出すか……。
そんな事を思っていると鶏の卵を売る汚らしい店に辿り着いた。
とてもここが金の卵で繁盛してるとは思えない。
「ここですかね?」
「ああ、そうだな」
怪しさ満点すぎて、九垓が居たら足手まといだったなと思いながらその店の中に入る。
春鈴は雨露に任せることにした。
自分の身は自分で守るしかない。幸い、ここまで誰にも気付かれず、短剣を隠し持てている。何かあったらこれを使うしかないのだが、その店の者は先ほどまで話を聞いていた露店の男とは違い、まだ悪い人には見えなかった。
普通の人そう……と春鈴が聞いて来た話をし、店の者が戸惑った時、仕方なく志遠は人が変わったように下手に出た。
「あ~、俺も……その綺霞だったか? その者に会ってみたいのだが」
「神出鬼没ですよ?」
その店の者である四十代くらいの男は春鈴との会話を切り上げ言った。
「どうやって出るかなんて誰にも分からないんです。強く願っても、人より深く思っても、あれは
「何だ?」
「声が、出なくなりました。一瞬」
呪われているな――。そう思ったのは何故だろう。志遠はその者をそれ以上見る気にはなれなかった。
大丈夫ですか? と心配する春鈴をここに居させる気にもなれない。
「行くぞ」
志遠はさっさとその店を出た。
「あ、ちょっと! 待ってくださいよ! 心配にならないんですか?」
「良いんだ。そいつはそれが礼なんだろう」
「どういう事ですか?」
「良いんだ、気にしてはいけない事だ。それで、その金の卵をどうする気ですか? という目をするのはやめろ。雨露」
「はい」
礼儀正しく雨露は一歩、ぶーぶー文句言いたそうな春鈴より側に志遠に近付く。
志遠はさっと雨露にあの露店の男の所で買った金の卵を渡すと春鈴には聞かれない声でこそっと言った。
「あの汚らしい店の物も後日一つ買え。同じかどうか見る。買いに来るのは余暉で良いだろうと九垓を探し出し、伝えろ」
「はい」
「外の物は外に居る奴に任せた方が良い」
春鈴は少しばかり疲れたように見えた。
「では、帰るか。雨露は何か用があるらしいから残るそうだ」
「え? 二人きり……」
「嫌か?」
「いいえ! そんな! でも、良いのですかね」
「何がだ?」
「変な噂とか!」
「ないだろう。無一文の奴にお前の方が興味ないだろう」
「えーっと……」
何故困ったような顔をするのか志遠は分からなかった。
ただ春鈴は本当におどおどし出した。
もし、金があるなら何か買って与えれば静かになりそうだが、ここにはそういう所がない。
それにさっきの露店の男が良いだろう? と他の奴にあの大金を見せたら事が事だ。
調べられたら面倒だ、さっさとずらかるのが賢明だ。
「何事もなく帰れたら、今まで食べて来た物より
「本当ですか?!」
「ああ」
「旨い物は宵に食えですね!」
そう言って喜ぶ彼女はどこでそんな言葉を覚えて来たのだろうと改めて思う志遠だった。