この国はいくつかの大小さまざまな金の卵から
そこからこの国は大きく発展して行くのだが、美食家だった先帝である我が父の代に食の文化は一気に栄えた。
それよりも前、志遠がこうなる原因となった頃にだけ使われていた字は今、もしかしたら誰もが読めるものになっているかもしれない。でなければ春鈴が読めるはずがないのだ。
試しに志遠は雨露に看板の字が読めるか? と訊いた。
「いいえ、あれは誰もが読めるものではありません」
「だよな……。あれは物好きな奴が時々、その歴史を知る為に得るぐらいなのに」
ぶつぶつ言っていても
志遠はあっけらかんとしている春鈴に念押しで訊いた。
「お前、この字が本当に読めるのか?」
「はい、食べ物のことでしたら自然と読めますよ」
「だが、この字は……」
「何の苦労もございません。食べ物の事でしたら無性に知りたいと思い、頑張れるのです!」
「そうか……」
春鈴の熱弁は志遠の心をすぐに駄目にした。
幸い、ここの露店の者は見当たらず、どんどんとそうなって行ってしまう。
甘いと分かっているのに止まらない。
「では、あの時、九垓が用意したあの紙の字は何故読めなかった?」
「あれは手掛かりである物の名前の最初の一字を取って、その並びの通りに繋げて読めば良いのですが、それを見る前に手掛かりを見てしまったせいで瞬時に分かってしまいましたから意味がありませんでしたね。でも、私は読めるのです! 食べ物のことでしたら! それ以外は全く読めないわけではないのですが、そうしておいた方が良かったですし、それに今も食べ物に関していても書くのは少し苦手です……」
それは波妃への思いも含まれた春鈴の言葉だった。
「そんなにまでして――食べ物への執念か……」
「はい。まあ、あの九垓さんの字は今使われている字です。普通は皆読めて当然。でも私は読めない時がある。それはとてもそこに食べ物への思いがないからです」
「思いがあれば読め、なかったら読めないのか? その手掛かりがなかったら読んでも分からずでお前は大変な事になっていたかもしれないな……」
「そうですね。でも、大丈夫だと思います」
何故そんなにも優しい自信が入ったような口調で言えるのだろう。私が助けると思っているのだろうか。
「嫌な物は時にそれを口にする前ではなく、見た瞬間から伝わって来ますから」
「そんなものまでお前は分かるのか?」
「はい!」
元気に言うのは良いが、噓だろうな~という思いも入り込んで来ていた。
だが止まらない。
「ちなみに波妃がお前をちゃんと育てていたとしよう。そうしたら、お前はちゃんと読み書きができていたか?」
「それが波妃様の願いであればそうしましょう。けれどあの時、波妃様はお望みではなかった。すがりたい気持ちをぶつけられず不安になられていた。私はお望みのままいるしかありません。そうでなければ私はあそこから追い出され、この金の卵のようにないものとして扱われていたでしょう」
「どういう事だ?」
「この字のように――ということですよ」
こんな話をここでして良いのかは分からないが、誰もとやかく言って来ないのだから良いだろう。
雨露もこれが内密の話だということは分かっているはず、無言を貫き、聞いていないかのような反応だ。
安心するつもりはないが、これは彼女の生死に関わる問題だ。
そこそこ、コソコソ話にしておきたい。後宮では絶対できない話なのだから。
一息つくと三十代くらいのここの露店の者であるらしい男がやって来た。
「ふう、お客さん、すみませんねー、用を足していたもんで」
別にそんな情報は良いという顔を志遠はしてしまったが、気にせず春鈴は言う。
「あの! 早速ですが、金の卵を一つ下さい!」
それは何とも勢いのある注文だった。
思わず露店の男もほっこりとなる。
「ええ、良いですとも! 読める者だけに限って、うちは売っているんです」
「何故だ?」
志遠の質問に露店の男は春鈴から金を受け取ると神妙な顔で言う。
「知らないんですかい? この卵はね、特別なんですよ。誰にでも――って言うけどね、それだとすぐになくなっちまう。だからうちの店ではアレが必要なんです」
「アレとは、そこの看板の文字か?」
「はい」
露店の男は目立たぬようにその場にしゃがむとそこに隠してあったのか鶏の卵くらいの大きさの金の卵を一つ手に持つと、その辺にあった紙で無造作にそれを包み、立ち上がり、春鈴に渡した。
それを受け取ると春鈴は嬉しそうにして言った。
「これはどうやって出来ているんですか? ここの店以外でも売っているということですか?」
「ああ、そうですよ。作っているのはうちじゃないが、うちはこんな小さな店でしょう、だからそんなにもらえない。たくさんもらえるのはやっぱり大きい店だ。そこに行けばいっぱい買える」
「本当ですか!?」
「ああ」
やったぁ! と喜びそうな春鈴を静かにしろと目だけで言って志遠が訊く。
「もらっているのはどこだ?」
「それは……」
その顔は言って良いものか考えているようだった。
「別に知ったからと言って迷惑は掛けない」
「いやいや……こちらはそうはいかないんで。これを作ってる所なんですよ、それを言ったらうちに来なくなるでしょうが!」
それはそうだなと思うがこちらはもうここには来る必要がない。
言えるものは全部聞かせてもらおうと春鈴に渡していた金全てを使うことにした。
「春鈴」
「はい!」
志遠に声を掛けられて春鈴はビクッと姿勢正しくなった。
そうしなければいけない声だったからだ。
「有り金全部この者に渡せ」
「へ?」
それは春鈴とその露店の男が同時に出した声だった。
「それで聞かせてもらおうか? その作ってる所やらの話から何まで。そういう金だ、好きだろ? そういうのは」
春鈴は今まで見たことのない志遠の顔に何とも困ったような表情をした。
そこに居たのは志遠ではなく冷酷そうな永華の方だった。
「ほら、春鈴渡すんだ。また金ならくれてやる。この金の卵一つの値段を考えればそこにある金はとてもじゃないが謝礼も含めて良い額になると思うのだが」
とてもじゃないが下世話過ぎて本当は春鈴に聞かせたくない。
だが、ここは心を鬼にして何としてもその情報を引き出して来なくては罪がない者がどんどん増えてしまうかもしれない。
「良い話だろ?」
「まあ……そうですね……一度改めさせてもらっても?」
そう来るならと春鈴の持っている全財産を雨露を使って渡そうとした時だった。
「分かりました! このお金は私の物ではありません! それと同じ事なのです! どうやってその金の卵が作られているのか教えてもらおうじゃないですか!」
何故そうやって調子に乗ってしまうんだ、この宮女は。
「お、良いね~その気前の良さが良い」
何故か露店の男も乗り気で、ついでに言うなら春鈴はこの露店の男に気に入られた感じがする。
そんな事に気付いてないからか、春鈴は良い笑顔をその露店の男に見せ、露店の男も同じようにして笑い合う。
意気投合したのか、露店の男は春鈴にだけ聞こえる声で言い始めたが、こちらはそういうのに慣れている。
耳を澄ませば聞こえて来る。
この金の卵がどう作られているのかが――。