九垓が春鈴の楽器を手に入れる為、後宮を出て行った頃だった。
銘朗宮の誰かが耐え難くなったのかこう言い出した。
あれはこの後宮によく来る絵描きの爺さんの手下が金の卵を何かしらの器に入れ、銘朗宮に持って来て、あのように器が溢れ返っているのだと。
それを聞かされれば、人は半信半疑でも動く。
すぐに名高い絵描きの爺さんは罪をなすり付けられたと身の潔白を訴えた。
それは聞くに筋が通りすぎていて、爺さんが無関係だと主張している。
陛下もこのまま続けても無駄だと分かっているのに無視し続けている。
正しい答えなど、その者から絶対聞こえて来るはずもないのに、噓から出た実はない。
「そろそろ行くか……」
「どこにです?」
戻って来ない九垓の代わりに瀏亮を呼んだが今しがた別の事をしていて手が離せないので私が来ました! と言った春鈴がお茶の用意をしながら答えた。
これなら別に志遠の部屋に来ても何も文句は言われない。
そう思うとほっとする。
また少し不安を感じて春鈴を目にすれば、その手際の良さに感心し、志遠は答える。
「金の卵を探しに、外へだ。ここしばらくは出るに出られなかったからな」
わーい! と無邪気に春鈴は喜んだ。
喜ぶなと言いたい所だが、それほど彼女は楽しみにしていたようで何を食べようかと声を出さずにほくほく笑顔で考え出している。
まったく、呆れた……という気持ちと同時に春鈴はそんなに金の卵を欲してはいないようで安心した。
「お前は金の卵に興味がないのか?」
「いいえ!」
とても食い気味に志遠に近付き、春鈴ははっきりと言う。
「食べたらどうなるだろう? という所では興味がありますが、その金の部分には興味がないのは確かです」
それは何と言うべきか困る。
そもそもあの金の卵を食べたいと思うのは春鈴だけでは? と思えるし、普通の思考ならそれより金の方に執着しそうなのに。
「お前は実に分かりやすいな」
「そうですか?」
「ああ……」
春鈴の淹れるお茶は初めて飲むが美味しかった。
「この普通に美味しいお茶はですね、瀏亮さんにも褒められた物でして安全です!」
「どういう意味だ」
また飲もうとした手が止まる。
「いえ、時々そんな事を志遠様はおっしゃりますから、危険はないよと先に言ってみたのですが」
「お前なりの心遣いは感謝するが、言わなくて良い事は言わなくて良いんだ」
「はい、分かりました。これからはそうします」
しゅんとして出て行こうとした春鈴に聞いて良いのか少し躊躇ったが志遠は口を開いた。
「どこで知るのだ? 春鈴は、知り得そうにない物まで知っていそうな気がする」
何を言っているのだろう? という顔をされたがすぐに理解したらしく。
「人に聞いたり、気になる物を見たりですかね……」
と言った。
それは絵を見ると言うことなのだろうか。さして気にせず出て行く春鈴を目だけで見、自分も雨露に言わなくてはと席を立った。
「あとは金の卵を何としてもだが――」
それさえ見つかればどうにかなる事ではないけれど、手掛かりにはなって、手元にない! そんな手下は知らん! と意固地に拷問に耐えるあの爺さんも救える道が見えて来るかもしれない。
そんな事を考えているとは口が裂けても誰にも言えず、雨露に話してから旭に一言また外に出ると告げ、志遠は再び二人を連れ、そこに向かった。
前に来た時と何も代わり映えはないが、どこに潜んでいるか見当もつかないので用心するには越したことはないが、春鈴のその行動はとてもじゃないが目立つ。
はぁ、と一つため息をついてはあれも良い、これも良いと美味しそうだとその顔は訴えている。
今日はちゃんと持って来ているのか? と問えば、何のことです? と言う。
言わなくて良い事は……とは言ったがそういうことじゃないと叱るに叱るのも面倒になって来て、結局は志遠は春鈴の食べたい物をこれで買って食え! と許してしまった。
また同じだ……俺の金が……とはならないが、こいつは少し頭を使ったのか、それとも本当に忘れました! なのか泣くに泣けなかった。
「雨露、あいつを見張れ。変な事をしたらすぐに連れ戻すんだ、ここは危険だからな」
こそっと言ったことを雨露は頷き一つで答える。
それだけで安心する。
一行はどんどんと治安の悪い方に行っている。
それと言うのも春鈴の食べたい欲がどんどんと食べたことのない方へと流れ、手を付けていないのはこの辺だけですね! となったからだ。
悪いのは春鈴の食欲のせいにして進むのも良くない気がして、そうなるように志遠がわざと導いたのだが、やはりここは薄暗い。
それだけにありそうな気がして来た。
探し、誰か罪のない者が救われるならそうしてやった方が良いに決まっている。
さて、それがここにあるのか――意味のない時間潰しだけが一番許せない事だが、こうも出て来ないとなると何かが影響していると言わざるを得ない。
「あれぇ? そこにおいでは志遠様ではないですか?」
聞き慣れた声に立ち止まった。
奴を見ればすぐに志遠は声を掛けていた。
「何をしている?」
「嫌だなぁ、ちゃんと
それは彼なりの気遣いだった。
「そうか、それで何か収穫は?」
「そうですね、春鈴の方は雨露に任せて少し話しますか」
軽い感じで言ってくれた九垓はささっと店を変え、志遠の席も確保する。
それで? と話を聞けば、九垓は簡潔に答える。
「例の物の為に向かう途中、誰か知らない者に金の卵をこそっと勧められましてね。そいつはこれがあれば夢が叶い、煩わしいものが一瞬で消えるだのと言っていました。どこで手に入れた? と聞けばあやふやで、そいつを見張れば正解に辿り着くかと思えばそんな風には見えず。もっと先の方へ行かなければいけないと判断し、山郷離れた所にもあるんですね~と暢気に言って、そんな所に住む名の知れた琵琶作りの者が作ったという美しい琵琶を一つ送ってくれるように頼んで来ましたよ」
「そんな上等の物はいらないのだが」
「まあまあ」
「一度もまだ聞いたことはないんだぞ? それを弾きこなせるのか?」
「さあ? まあ良いじゃないですか。素敵な音色を響かせてもらいましょうよ」
春鈴への挑戦状なのでは? とも取れる言葉が返って来た。
「はぁ……」
志遠はがくりと
「どうしました?」
すぐさま九垓は志遠を心配し近付く。
「大丈夫だ……ちょっとな……」
考えがまとまらない。
そんな山郷にまで金の卵が広まっているとなるとこの辺は完全にもう……。
「だんな、だんな……」
とこそっと横から声が聞こえて来た。
何だ? とそっちを見れば、背を低くした小太りの男が一人注文は? と志遠の顔色を窺う。
「何でも良い」
そうですね~と九垓が適当に注文する。
「お前はどうしてここに居る? 寄り道か?」
「嫌ですよ、ちゃんとそうなってる理由を探していたんです。あと花茶に絵を描く一式はさっき済ませました。この辺にはそういうのにも通じた店が多くてですね、志遠様のような方が来る所ではないのですがね」
ちらっと九垓が目だけで志遠を見た。
「志遠様は志遠様で探しているのでしょう?」
「ああ……」
「それはコレですか?」
おもむろに料理を運んで来た小太りの男が出して来たのは小さめの金の卵だった。
「どうしてこれを?!」
「――売ってますよ、普通に」
そう答えたのは店中の物を食い荒らす為に呼んだ春鈴がどれもこれも美味しいと満腹になった頃だった。
「裏の裏の道でさぁ……そこにあるんです。夢みたいな事が叶った店がね」
それを頼りに行くにしても、人の数が増えるのは良くない。
こう細い道だと何かがあった時に対処しにくいし、二手に分かれるか――と考え、春鈴にはその身を守る雨露が必要だし、お金の件では自分が必要だ。なら、九垓はさっきまで一人だったのだから平気だろうと皆に伝えると。
「どうしてですか! オレも行きますぅ! なんて言わないので、安心して下さい。志遠様がその道を行くなら、オレは違う所でまた探しますよ。一緒に帰るも変な話です。オレとはここで会ってないってことにしましょう」
「女遊びでもなさるのですか?」
事も無げに春鈴は言う。
「違う! まあ、しても良いが、それはしない! 一緒になったと知れば怒る奴が出て来る。そういう世界なんだ、これは」
はぁ……と嫌な目で春鈴は九垓を見る。
それだけで何故か元気になれた志遠はまた二人を連れ、話を知っていそうな者に聞いて回ることにした。
金の卵には変な匂いもないから春鈴は分からないだろうと思っていたのだが、あ! と声を上げたと思えば、来て下さい! これはっ! そうなのでは!? と声が掛かった。
何だ? と行けば、看板が出ていた。
「金の卵とありますよ」
事も無げに春鈴は言った。
「お前……」
ふるふるわなわなと志遠は身がそうなるのを感じた。
何故だ?
そこには金の卵など何もなく、あるのはその看板だけであり、それは誰もが普通に読める字ではなかった。
遥か昔というのか、それなりの歴史がある中でも一時しか使われていなかったもので、そんなものを