銘朗宮の事は次第に皇帝陛下の耳にも届くことになった。
その金はどこから誰が持って来たのか、それが偽りなのか本物なのかが論争となり、志遠もその場に居た宦官として呼ばれ、九垓はごたごたしている銘朗宮にはなかなか入れなくなり、暇をしていた。
それが分かったとて、銘朗宮の者々は捕らえられたまま処分を受け、その後はどうなるか知れたこと。
その命救う為に動く者がいるとは思えなかった。
つまりはこれ以上借りた器を探す必要がないとすると何かする事はないかと思い出せば、いつだったか志遠に頼まれていた物を用意することだった。
どんな物が欲しいのか春鈴に志遠が直接聞けば良いのだろうが、それだと後々面倒を起こしそうだし、絵を描く物一式は清風宮で見た物より上等の物を用意し、波妃よりも春鈴の事を志遠は可愛がっているとして示せるだろう。
花茶の方は適当に志遠に出すくらいの物より劣る物で良いだろうし、楽器の方は? この永庭宮に春鈴が来てから一度もそんな
本当に弾けるのだろうか。
そんな疑問も含め、一度確認しようと疲れて自分の部屋に戻って来た志遠に九垓は訊いた。
「お疲れのようですね、お茶でも用意しますか?」
「ああ、頼む」
「……少し、お聞きしたい事があるのですが」
「何だ?」
「いえ、お茶の用意をしてからで」
「別に良い。お前がこんな時に私の部屋にわざわざ来るということは失くした器が見つかったか、金の卵の事か、春鈴の事だろう?」
「はい、春鈴に渡す物についてです」
「それで、お前の考えを聞こうか?」
「はい、普通は志遠様が選ばれるのでしょうけど、そうなったら、事が事です。あなたがそんな事をなさっていると耳にすれば驚き、ちやほやされて大変です」
それはそうだ……と志遠は思う。
自分は皇帝陛下の異母弟で今度生まれる者が男でなかったら自分がそれになる存在だ。その者から素性を知らせてないとはいえ、何かを渡したのなら何かあるのではないかと思われてしまう。下手をすれば湖妃のようになってしまうだろう。それは避けたい。だから、表向きは九垓に用意させ、最終的に渡す物の確認は自分でする。
あの話で九垓がそれを理解し、そのように動いてくれるのは大変ありがたかった。
その他の九垓の考えを聞き、志遠は口を開く。
「その花茶を余暉に任せるのは良いと思うが、あの春鈴がそれで良いと言うだろうか?」
「と、言いますと?」
「舌が肥えてなければ良いが」
「分かるものでしょうか?」
「さあな?」
「では、もう少しだけ良いのにしておきましょうか?」
「うーん……」
悩み始めてしまった。
そこまでする相手ではないのに、まったく――と思いつつ、九垓は他の物についても再度確認する。
「では絵を描く物一式はそれでよろしいでしょうか?」
「まあ、良いには良いが……春鈴はそんな所を気にしないだろう」
「ですが、誰にもらったのだろう? というのはすぐに噂になります。それもここは永庭宮、誰もがそれは噂の種になりそうだと狙っているのですよ」
「どんなものをだ?」
「それはまあ……」
言えないと九垓は志遠から視線を外したが、言うには言った。
もぞっと。
「
「ここでもそうか……」
「はい、そうですね。瀏亮にもらった物というのも考えにくいでしょうし、そういう物を送るのですから」
「それはまた、とんでもない物を送りそうだな、お前なら」
「そうだとしても、まあ、最終的に判断するのは志遠様ですよ。それがお気に召さなければ気に入る物をオレは見つけるまで。それがオレの仕事です。志遠様は金の卵の事とかでしょう?」
「そうだが……」
「あとは楽器の方ですが、志遠様は何が良いとか春鈴から聞いてないのですか? それが分からず用意ができません」
「俺もそれは何も聞いていない。この期に及んであの妃に聞くのも嫌だしな、知ってる者はいないか――」
部屋に二人だけ……考えても仕方ないと思えば同時に声が出た。
「あ!」
そうだ、あの宮女だ。
あの宮女なら知っているだろう。
聞いて来い、それで用は済む。
そうは言いはしなかったけれど、要するにはそういう事だ。
九垓は一人、そんな宮女を探しに紫楽宮の近くまでやって来ていた。
まあ、ちょっとお話聞かせて下さいだ。何の怪しみもないだろう。
それに近々またあの春鈴と雨露を連れ、金の卵を探しに外へ出るらしい。紫楽宮には縁のない事だが、何かしらの情報がないか探るのも良いだろうと世間話程度に聞くのも視野に入れ、九垓はその宮女を待った。
待てど、待てどやって来ない。
今日は紫楽宮に客人でも来ているのか、他の者でさえ、この通りを通らない。
九垓はじれったく思い、もう少し近付こうと歩いてみることにした。
そうするとどこからともなく、音が聞こえた。
あれは琵琶か? 美しい音色だ。
こういう音色を春鈴もさせることができるのだろうか、それさえも知らないとその音の方に行けば、一人の宮女と鉢合わせた。
「おまっ!」
「なっ!」
どちらも言葉にならず、しかめっ面をする。
気の利いた言葉を志遠や旭なら言ったかもしれないが、それをする相手ではない。
「思思だったか……どうした?」
「いえ、それはこちらの言葉です。どうして永庭宮のあなた様がこちらに? 何かご用なのですか?」
「ああ……」
いかにも不機嫌そうだが丁寧な対応に一時九垓は見惚れた。
「何です?」
「いや、あの音色は誰が?」
「あなたには関係ないでしょう。春鈴じゃなし、あなたに聞かせるものではありません」
「どうして春鈴が聞く? 必要か?」
「春鈴は波妃様から教わっているのです。けれどどうしても上手く弾けないからとこうしてあなたのようにひっそりと聞きに来たりしてましたよ」
「ほ~う……」
それは良い事を聞いた――と思えば、鼻の下も伸びる。
「あなた、本当に……そんなに好きなのですか? あの方が」
「いや、弾いてる者に用はない。ただそれが聞けて嬉しいのだ」
「嬉しい?」
きょとんと解せない顔を思思はした。
「ほら、最近あの金の卵騒動があったのを知ってるだろう?」
「ええ」
「それがあって、いろいろと大変でな、あんな音色を聞かせたら少しは皆落ち着くんじゃないかと……」
「へ~、そんな事を思われるなんて……あの器探しの事であなたも大変なようですね」
そんな事まで知っているとは……後宮の噂話の広まりようはすごい。
「そうだ、それを探しに行きたくてもいけないでいる。誰がどうして……だらけだろう? あそこは今」
「そうですね」
「それでカリカリしてたりする。あの音を聞かせて和むならそうして、気を楽にしたい所だ」
そんな事を言い、九垓はそこを後にしようとした。
「もし、春鈴がその金の卵を手に入れたとかあったら――と思っていたのですが、なさそうですね」
「それはその疑いがあるということか?」
「いいえ。あの子はそれ以上に食べ物を欲しますから気にするのは当然でしょう?」
「そうだな」
鼻で笑えるくらいには思思の思う事はない。
「心配するな、春鈴はこの件に噛んでいない」
言っていて、少しは噛んでいるか……と思ったがそれは思思には関係のない事だ。
それを知って逆に思思が大変な目に遭うかもしれない。
「それ以上、詮索はするなよ」
「それは……はい、分かりました」
素直に応じ、思思は紫楽宮へと向かって行った。
さて、一番聞きたかった事も聞き終え、九垓はさっきまで鳴っていた琵琶より良い音が出せる物を探すべく歩き出した。