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九垓からの報告

 立て続けに行くなど出来ず、しばらくは瀏亮から字を教えてもらい、誰もが認める者に早くなれと春鈴に伝え、ぶーっとふくれっ面をされたが意に介さず、志遠は自分の部屋に戻ると九垓を呼んだ。

 あれから少しは進展があっただろうかと訊きたい所だが、その姿を見れば苦労していると言った感じで、他の事などしてない風だった。

「銘朗宮の事でしょうか?」

「ああ」

「金目になりそうな物はまだ出て来ておりません。峰風と一つ一つ調べているのですが、どうしても響妃様の部屋だけは入れず、どうしたものかと悩んでおります」

「何故入れない?」

「分かりません。入ろうとすると物が足元に勝手にやって来て入らせないように邪魔をするのです。その中にあの願望絵もありましたよ」

「願望絵? それは禁ずる前の物か?」

「たぶんそうでしょうね。春鈴はあれから描いてませんから」

「ずいぶん自信たっぷりに言うな」

「それはそうですよ、まだ春鈴に志遠様はお与えになっていません。あれは良い絵を描くと評判の者なのですよ。そこだけは褒めてやらねば」

 そんな評価をしていたか、志遠はにこやかになりそうだった。

「そういえばそうだったな、楽器と花茶も必要だと言っていた。絵を描く物一式と一緒に春鈴にやってくれないか?」

「え? 用意はしますが、与えるのは志遠様でしょ? オレを使わないでくださいよ」

 チッ、内心志遠は舌打ちした。

「それはそうとお前は俺達が外へ行ってる間、銘朗宮だと思うが瀏亮は一人で何をしているか聞きたい。見張りをしているだろう?」

「まあ、してはいますよ。深潭しんたんが」

「よくもまあ、少年宦官に一人の侍女を物陰から見張らせようと思い付く」

「仕方ないでしょ! あの何万とある器の中から自分が借りた物も探しているのです! 見つからず大変困ってます! それに深潭はあなたの屋敷で雑用をしている場合じゃないと思うのです! こういう所で培うべきなのです! その力を!」

 そう力説する九垓も珍しい。

 深潭は志遠が山に行った時に捨てられていたのを見つけ、拾って来た子だった。

 こうなるのだったら、拾わなかったら良かったのか。それとも命だけは助けられて良かったと思うべきか悩む所だが、彼はその運命を生きたいという純粋な素直な心で受け入れた。

 そうして、彼は今、期待と共に生きている。

 確か年齢は九歳ぐらいだったか。

「お前がいきなり外へ行く前日になって、深潭を連れて来て下さい! と言って来たのには驚いた」

「私も暇になるだろうと思ってはいませんでしたのでそこら辺は考えました。どう考えても手が足りず、余暉も無理でしょうし、そういえば深潭がいたな……と思い出したのです」

 それまでは忘れていたのか? かわいそうに……。

「志遠様だって薄々感じているでしょう、あまりにここには人が居なさすぎる。その為いろんな事ができないでいます。少し数を増やされては?」

「長居する予定はないのだがな……、確かにこうも宦官姿に慣れてしまうと感じるようになるよ。それで? 深潭をここに置けと言うのか?」

「はい、余暉の所はまあ深潭が居なくても何とかなるでしょ」

「それはそうだが、深潭は後宮の宦官になりたいと言ってはいないだろう?」

「では、何の為にそれになったのです? 深潭はあまり口では言わない良い子ですが、その心の内には強く思っている事があると思いますよ、志遠様というより永華様のお傍で頑張りたいと、それがお分かりにならないのですか? 志遠様は」

 まったく、本当の事かどうかも分からぬことをペラペラと喋る。

「考えてみよう、それで深潭は何と言っていた? 夜遅くまで見張っていたのか?」

「それはさすがにさせられません。私が早めに帰って、夕方くらいには替わりました。その時に言っていたのはずっと刺繍をしていたそうですよ。黙々と自分の仕事を終えるとずっとそればかりでつまらなかったと言っていました」

「その刺繍の出来はどうなんだ?」

「そうですね、私も少し見ましたが……なかなか、この季節に合った爽やかな物になっていましたね」

 その物言いは良くないとは言っていない。普通という所か……それでも良い。

 刺繍をやりそうもない春鈴に教え込む技量があるかどうかが知りたいだけなのだから。

「そうか……それで旭は来なかったのか? いつだったか瀏亮の相手をしといてくれと頼んだんだが……」

「それは全然聞きませんでしたね。私も見ませんでしたよ。瀏亮はずっと一人で居たんじゃないでしょうか?」

「刺繍をしながらね……」

「ええ」

 だったら、何故旭が居た? あの時間に一人で、この後宮に何の用事がある? 湖妃の様子を見る為か? いや、それはない。そうだとしたら旭は絶対兄上と一緒に来るはずだ。もしや意中の人でも出来て?! いやいや、それはないだろう。そんな事になったら、兄上が怒るどころか旭の命が危ない。それを思えば、こちらが頼んでも来なかった理由にはなる。

 春鈴が志遠となった永華に初めて会った日にもそれはあった。ずっと思っていた、何の為に? と。

 あの時、旭は『少し用がありまして』と言った。

 つまり……。

 その数年が経っている今もこうして皇帝陛下は来ないのに、この後宮にやって来ている用は何なのか? と皇帝陛下の宦官である旭に聞かなくてはならない。後宮に居る宦官として、それだったら旭は答えてくれるだろうか。

「――どうしました?」

「いや……」

 この事を九垓に話しても良いのかと思った。

 まだ時期ではないか――志遠はすぐに違う話をしなければいけない気がした。

「その響妃の部屋に入れない話は皆知っている事か?」

「そうですね、銘朗宮の者でしたら……お食事やら響妃様が欲しいと願った時だけはすんなり通れるのですが、その時に見た者が言っていました。大事そうに何かを抱えているとか羅漢床には絶対近付かせないとか……」

「それは怪しいな」

「そうですよね、でも全然入れないのです。何のまじないやら」

「呪いか何かか……」

「それはさすがに……」

 九垓を委縮させてしまったか、志遠は少し反省し、後日そこに私も行こうと九垓に言った。

「本当ですか!? でも、それは志遠様としてですよね?」

「そうだが? 何か問題でも?」

「いえ、あの願望絵を見ればお分かりに」

「何だ? また子が欲しいと言っているのか?」

「はい、あの絵はそういうものでございました」

 つまり、それを描いたのは春鈴だ。

 何故、春鈴がそれを描けるのか――そっちの方が大きな謎なのだろうが今回はそこを避けていよう。大方、ご要望通りに描いたのです! で片付けられる可能性の方が高いし、入れ知恵したのは誰か? ということになる。

 これ以上の厄介は御免被りたい所だった。

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