町に普通に居そうな娘の格好が可愛いと思えてしまうのはそれだけ似合っているということでそれはつまり春鈴にはそんな所がお似合いということで後宮はやはり居るべき場所ではないのか――などと志遠が真剣に考え始めた頃、旭は後宮の誰もが居ない鬱蒼とした森らしき所に入ってはそれを開け見る。
神が居れば良いのにと思った。
だけれどそれは生きた木に縛られ條々《じょうじょう》に触れ
今宵もまた……と思いながら旭はそっとそこを後にした。
後宮の外は、宮廷の外は――彼女にとって活き活きとするくらい珍しい所なのだろう。
よく知っている志遠でさえ、少し離れただけでそこは知っていた所とは違うような所だと思うほどだ。
「あら……」
道行く女の顔がこちらを見た。
何故かは知らないが、すぐに忘れるだろう。
人はこの顔を覚えない。
だからこそ、変装も必要ない。
それなのにここに着くまでの間、春鈴は「九垓さんは言ってましたよ、旭様が居なければ次に女の子にキャーキャー騒がれ、ステキだわ~! と言われるのは間違いなく志遠様だって。ご自分のお顔がどんなのか、ご存知ないのでしょうって」としれっと言って来た。
そう言われ思うのはもう少しまともな男からのものだったらそう思えるのにという所だ。
真昼間の町は活気に満ちていた。
人も多い。
その中でやはり目を引くのはあのお似合いの服を着た春鈴で、やはり後宮の宮女なだけはある。
同じ年頃の者と並べば間違いなく可愛い女の子であり、宮女にならないか? と声を掛けられるだろう。
だが、そんな事はあってはならない。
「春鈴、あまりうろちょろするな!」
「はい、でも、志遠様! これは何ですか?」
はきはきとそう言っては店の物を物色する。
はぁ、お前に金はないだろう。
無駄な買い物をしないと瀏亮に約束させられているからと所持金は全て置いて来ました! 宣言をしたは良いが、その涎の量が店の者を嫌な顔にさせている。
「まったく……」
あの詫びの事を思い出せば買ってやると言えなくもないが、それをして良いのかと思う。
雨露と目が合ってしまった。
「まあ、何だ、雨露も欲しい物があれば言えば良い。そうすれば私の良心が少し薄れるから」
「いえ、ありません」
それでは困るんだ。
「あ~! あれは! 志遠様! 見て下さい! 黄金の炒飯ですよ!」
嬉々とそう言って、その店に入ってしまった。
「これでは何もできない。そう思わないか?」
「はい」
「なら、買え与え大人しくさせた方が良いだろ?」
「ええ」
「じゃあ、これはその為のものだ」
その葛藤に何の意味がある。自分の中でそう思えた。彼女は別にそれをもらっているとは思ってない。ただ純粋に食べ物が食べたい! それだけだ。
――パラパラとした黄色い物を店の者は完成させた。
人はこれを黄色とは呼ばずに黄金と呼ぶそうだ。
「出来たよ」
「ありがとうございます! これが黄金の炒飯!」
にこやかに熱々山盛りのそれを受け取ると、口いっぱいに頬張る。
「ん~!」
初めて見たかもしれない。春鈴が食べる所を、とても良い表情だ。
「何ですか? 志遠様も食べたいのですか?」
「いや」
それは美味しい物だと春鈴が見せる表情ですぐに分かるが、食べたいと思える物ではなかった。
そんな事をしていれば何の為にここに来たと言われるだろう。
他に春鈴が気になる物があれば買い与えた。
別にそこまでしなくても良いと分かっているのに何故だか彼女には満腹になるまでそうしてあげたかった。
「は~たくさん食べましたね!」
「お前はな」
こちらの手持ちは無くなることはないが、それでもここに来ることはもうないだろう。
何の成果もない。
欲しい物がないのであれば、場所を変えるべきか。
しらみ潰しにこうやって行けば良いのか……元よりここを選んだのはあの旭がここら辺のお店だったんですよ……と言うからだ。
あれはきっとそう言って、絶対違う所で手に入れたに違いない。
わざとか……そう言うのをする者ではなかったのに月日がそうさせるようになったのか。
少し遠くに目をやれば、花街に通じる道がある。
そこにはさすがに行く気にはなれなかった。
だが、案外そういう所に転がっているかもしれない。
「ダメですよ! 志遠様」
「何が?」
ガシッと腕を掴まれて、眼下の春鈴を見れば、こちらをじっと見て行くなと言っているような気がした。
「あそこはいけない所では?」
「知っているのか?」
「ええ、まあ……」
「何故、知っている?」
「そういう話を聞いたことがあります」
「どこで?」
「言いません。ですが、食べてみたいと思ったことならあります」
「何をだ?」
「え?
きょとんと春鈴は言った。
びっくりした。こいつ、本当……困る――。
「ああいう所ならあるのだろうと思うのです」
「そういうのは後宮でも飲めるだろう?」
「でも、永庭宮にはそんな物を用意する妃はおりませんから絶対飲めません!」
「じゃあ、用意して飲め。俺が許そう」
「妃をですか?」
「花茶だ!」
あ~もう嫌だ! 何かを知ってそうな感じが嫌だ。
いっそのこと、お前は前世が公主か何かだったらどうする? と訊きたい――。
「そうだ」
ん? という顔を春鈴ばかりか雨露もした。
思い出した、どうして忘れていたのか、ずっと探し求めている女官かそれ以上の存在である彼女は前世、公主だった。
何故そんなことを突然思い出したのか自分でも分からない。
それにいつまでも春鈴に腕を掴まれているのも良くない。
どうして雨露は止めなかったのか問題になる。
別に危害を加えるような感じはなかったと言われればそれまでだが、仮にも俺は……。
「はぁ、放せ」
自分から言うしかなかった。
春鈴はすぐに志遠の言う通りにした。
彼女を丁重に扱うのは彼女が居なければ終わらない事があるからだ。
さて、どうするか……考えろ、何かを持って帰らなければならない。
「そういえば、この辺ですね。金の卵とやらがあるのは」
「何だ? その話は」
全然驚きもしなかった自分が一番の驚きだった。嫌気が勝っていたせいか、その春鈴から出た言葉が上手く入って来なかった。
「いえ、あの立派な黄金の炒飯が出来る元となったのがその金の卵なのでございますよ」
「言い方が変だぞ? おい」
「そんなことはありません」
どうしたのだろう? 急に何かおかしい。
春鈴の手は志遠の腕から完全に離れ、自分の顎の方に移動する。
考え込む為か。
「まあ、それが見れるのは運が良い人だけと言われてますしね」
「諦めるのか?」
「ええ、それは私が手を出せる物ではありませんから」
「何故、そう言う?」
「一文無しではお話にならないでしょう?」
あんなにたらふく人の金で食べておいて、それについてはそう言うのか。
「なら、また来た時にでも買えば良い。その時は自分で買えよ」
「ええ、もちろん! って、え? 買って良いのですか?! いえ! 来れるのですか? 私は!」
「お前がちゃんとその金の卵を探せる自信があるのならな」
「はい! あります! お任せ下さい! 絶対見つけて食べてみせます!」
その言い方は食い意地に火が付いたようないつもの春鈴のものだった。