目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
九垓の閃き

 志遠様が記された事は一行にも満たない。

 静風宮の宮女、春鈴。出自は良いが食に走り過ぎ。

 それだけだ。

 それで良いのか当時は甘々だったのか、それとも記す人数が多過ぎてそれだけで良しとしたのか――。

 補足としてはこの後宮入りもまだ年端も行かぬ頃、素性の知れないどこかの大人の男に「ここに入れば、いつでも美味しい食べ物が食べられる」という春鈴にしか効かない理由でだし、入った後は親恋しさからか何も喋らずだったのをやはり食べ物が食べたい! と喋るようになり、その後は食に関する所で働きたいと思ったようだが、つまみ食いの心配をされ却下。

 それでも仕事をしなければならないと、いくつかの宮でまた食べ物を! と走り回り、これじゃ困るわ! と追い出されるようにして、今の波妃に拾われ、静風宮の宮女に落ち着いていたようだ。

 ちなみに先日知り合った紫楽宮の宮女、思思は春鈴と同じ頃に後宮にやって来て、春鈴と同い年ぐらいだからという理由だけで食べ物に走ってしまう春鈴の世話を焼いていたらしい。だからこそ、あんなにもしっかりした宮女に成長したと思うが、噂ではあの鶯妃に耳打ちしていた侍女の他にもう一人いる生真面目だけが取り柄の三十ぐらいになる瀏亮りゅうりょうという侍女のおかげらしいが。

 今日もまた春鈴は外に誰も居ないのを確かめるとスッと出掛けて行く。

 その鼻の奥をくすぐる楽しい匂いに誘われて行ってしまうのか。

 仕方なく、九垓も後を付ける。

 ここ数日、春鈴に見つからないように彼女の行動を見ていて思ったのは願望絵をもう描いていないからか、自分の仕事をそそくさと終えるとさっと静風宮を出て、見えない食べ物の匂いでも辿るかのようにふらふらとどこかしらに行き、誰かに食べ物を分けてもらい、その場で食べるのではなく、持ち帰るというのを繰り返していた。

 今日もか~……と思いながら、物陰から見てるいるとどうやら今日は穴場らしく、何やら料理人と揉めている。

「達筆すぎて分からないのです」

「それはあなたが読む物ではありませんから」

「これは字が下手すぎて読めないのですが……」

「それはあなたが決めることではありません」

 ぴしゃりと言われてしまうと諦めたのか、出て行くことに決めたようだ。

 だが、思い直したのかまたその宦官の料理人の所に行き、料理の名前だけでも教えてくれと頼み出した。

「はぁ。これでは仕事ができないだろうに」

 こちらまで困ったような気持ちになった九垓は動いた。

「そこのお嬢さん、こちらの方に来て下さい」

「むむ、その声……はて? 誰ですか? あなたは」

「一度会っていると思うのですが、志遠様と一緒に居た」

「ああ!! 名前は確か……」

「九垓です」

「そうでしたね!」

 いつまで経っても思い出してくれそうになく、自分から名乗ることにした九垓は春鈴を捕まえるとそこを出た。

「さて、あなたは人の仕事を邪魔しているとお気付きですか?」

「いいえ、邪魔だなんて。私はただ料理の名札がもっと見やすくなるようにと思ったのです」

「そうですか……」

 これは本題が聞けるかもしれないと九垓は少し考えて春鈴に質問することにした。

「あなたはあれを何だと思って言ったのですか?」

「それは……」

 言葉に詰まるのを見ると本当に読めないのか。それとも本当に達筆だったか下手すぎてなのか分からない。

「間違いでも構いません。おっしゃってみて下さい」

「それが……」

 ごにょごにょと春鈴は言った。

「今までに見たことのない料理なので何を書いてあるのか分からなかったのです。あれは何ですか?」

「あれは……この国にいらっしゃるお客様にお出しする料理ですから、異国の物になりますね。肉料理でしたから『肉』という字は読めたでしょう?」

「う、はい……」

 本当だろうか……と九垓の目は光る。

「あと魚と甘味というのもありました」

「はい……」

 はぁ……これでは埒が明かない。

「あれを食べたいと思いましたか?」

「いいえ、それより何で出来ているんだろうと思いまして、お聞きしようとしていたのです。それが邪魔になるとは露とも考えず、申し訳ございません」

「謝るのは私ではなく、あの方に」

 はい……と言って、春鈴は素直に謝りに行った。

 その間に九垓は考える。

 これはまた難題かもしれぬ。そうだ! この手を使おう!

 一瞬の閃きとは怖いもので、即座に春鈴の前から姿を消した九垓はその足で志遠の所へとやって来ていた。

「どうした? そんなに走って」

「何故、お分かりに?」

「そんな息を切らしていたら嫌でも分かる」

「そうですね」

 久しぶりの志遠の部屋で少し緊張する。いや、これを言いたいが為に緊張しているのかもしれない。

「それで何をしに来た?」

 志遠の問いに九垓は答えた。

余暉よきを使いたいのです!」

「は? 余暉?」

 怪訝そうな顔を志遠はした。だが、怯まず九垓は言う。

「はい、今まで見て来ましたが、どうにも上手く避けているようで答えが見えないのです。だから、決定的な事をしたいと思いまして、あの余暉ならば出来るはずなのです! きっと彼女も知っているでしょう」

「何をしようと言うのだ? 余暉とは……宦官ではあるが、元料理人でもある。それを前にして春鈴をどうするのだ?」

「ですから……」

 耳打ちをし、志遠はもっといぶかしい顔になった。

「それでもなのです!」

 言い切った九垓を見て、そこまでしなくても良いと志遠の顔は言っている。

 だが、もうやめるわけにはいかなかった。

 九垓は志遠の為に動き出した。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?