その言葉に反論はないのか春鈴はただ黙るだけになった。
これではいけない。どうしようかと思っていると何やら辺りが急に騒がしくなった。よく見れば、途中で思思と代わり、ここまで連れて来てくれた宮女はいつの間にか居なくなっていた。
その者が知らせたか?
そう思いつつ、志遠は口にする。
「どうした?」
「波妃様が慌てているのかもしれません」
何故だ? と志遠は問いはしなかった。
春鈴が落ち着いて話していたからだ。
そっちの方が興味がある。
「お前はそうじゃないようだな?」
「はい、私はこれからどうなるのでしょうか?」
「どうもしない。それで何か効果があったのか?」
「知りません。私は志遠様の言う通り、人の願望のままに絵を描くだけでございます。
「それはお前にとって褒美だな。それが悪いかどうかはそれが呪いになるかどうかだろう?」
「呪いではありません! おまじないです!」
「まじないとは? どういう事だ?」
「それは……」
春鈴は初めてちらっと部屋の外を見たが誰も来ないことを確認すると言った。
「この絵の最初は波妃様に当てた物でした。あの満月の下での事を覚えておいでですか? 浮光様の所に陛下が来られ、その翌日でしょうか、体調が良くないと波妃様は寝込んでしまい、何か心が晴れる物をと絵を描いたのでございます。それがどこの誰かの口から流れ、見る見るそれは密かに広がり、『願望絵』と呼ばれていたかは定かではありませんが、何か描いてくれと言われるようになり、波妃様に言われた時だけ描くようにしていました。それがあの日、湖妃様がご懐妊されたと知るや、波妃様はそれはもう見るからに崩れ落ちたかのように体調がよろしくなくなって、このままではいけないとどうにかそのお心を保ってもらう為、夢を見ていただくことにしたのです。だからこうした物になったのです。でも、それはこんな物ではなかった。なのにまた誰かが言ったのでしょう。波妃様に差し上げてすぐは何も起こらなかったのに、数日後には他の宮の妃から依頼のような形でお話を頂きました。そして、私はそうです。志遠様の言う通り、とうとう餌で釣られてしまいました!」
今にも泣きそうに春鈴は声だけでなく顔でもそうさせ訴え掛けて来る。
「この部屋はどうした?」
「それは……元々ここは私の部屋でしたが、見る見るこのようになりました。汚いですか? 少しは片付ける意識をしているのですが……」
「この硯やらは?」
「波妃様が全て用意して下さいました。良かれと思って、次々と。いろいろしてくださいますので助かっております」
「そうか……」
少し考えてから志遠は口にした。
「どれくらい来ていなかったか分かるか?」
「はい?」
「私の所に食べ物をもらいに来なくなっていたから何かあったかとは思っていたが」
「それは次第に描いてくれと言われる数が増え、そういう時間さえ必要で、志遠様の所に行かなくても上等の物は手に入るようになっていたので……」
「それに毒があるとかは考えない浅はかさ……」
「え? 毒が入ってるのがあったんですか?! 全然気になりませんでしたけど……」
「例えばの話だ」
「何だ~そうか~良かった~」
いや、全然良くないのだが。
はぁ、食べ物と引き換えに描くなどバカか?! と怒ってやりたいが止めておこう。
それより気になる事が出来てしまった。
「波妃には何も言わなくて良い。呪いだったら、どうにかしなくてはいけないがまじないでは人を幸福にさせる力を切ってしまうことになる。それはこちらも避けたい。不幸にならないなら良い。だが、これ以上、それを描くことは禁ずる。陛下にも言わなくては」
「え?!」
「当たり前だろう。それを言っても何が変わるのやらだが」
「陛下には黙っていてください」
「それは出来ない。変な事があったら言うようにと言われている」
「そんなぁ……」
「大丈夫だ、何かあったら私がお前をもらうから」
「え?」
「な?!」
何故、九垓までそんな反応を? 志遠は全然解していなかった。
だが、少し経ち分かった。
「ああ……もらうと言っても永庭宮の宮女としてだぞ? そろそろあの宮にもそう言った者が必要だからな……」
「誰かが入られるのですか?」
「いや……体裁を取り繕う為だ」
ほっとしたようなぽかんとしたような表情をする春鈴を置いてけぼりにして、志遠と九垓はそこを一旦去る事にした。
支度を整えやって来た波妃に出会いたくなかった。
きっと鶯妃よりも厄介を持ち込むに違いない。
あれはまだ人に飢えている。
「さて……」
どうやって陛下をねじ伏せるかはもう大体考えてある。
それよりも事実として確認しなくてはいけない事が出来た。
九垓は気付いているだろうか。
願望絵を描く春鈴の部屋には一切の文字がなかったことを。