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紫楽宮の宮女達の話

 さて、まずはどうするか。

「九垓、お前はどこでその『願望絵』という情報を手に入れたんだ?」

「そこかしこの宮女達がこそこそと、今度はこちらの妃様よ……と話していたのを耳にしました。最初に聞いたのは紫楽宮しがくきゅうだったはず」

「その宮女達の顔を覚えているか?」

「はい、可愛いでしたよ」

「まったく……」

 呆れたというか、自分がそういうのに関心がないからか九垓の男ではないにしても男としてのそれを持っているというのに少し思う所はある。

「その紫楽宮にまずは行ってみるか……」

「はい」

 随分とすんなりと事が進み始めた。

 あの宮女、春鈴ではこうも行かなかっただろうと志遠はその紫楽宮に向けて歩き出した。

 道中、そのような話を聞かずに来たが、紫楽宮に着くと突然、きゃー! という叫びではない楽しそうな女子達の声に志遠は耳を傾けることになった。

「まあ! 志遠様もご興味がおありで?」

 まるでその中に居るような感じで後ろから付いて来ていた九垓は言った。

 わざわざ可愛らしく、口に手なんて当てて、何なんだ? こいつは……。

「違う。九垓のような気持ちで聞いてはいない。その話の中でそれに関する事があったらすぐに聞けるようにだ」

「なるほど……」

 黙りはしたが、妙な間が気になる。

「大体、お前は何を持って俺にそんな事を言う?」

「大いに一人でお泣きになったんでしょう? 鬱蒼とした所から一人で出て来たのを誰かとは言いませんが数人程度、泣きらしたあなたの顔を見た者がいるんです。だから余計に気になると言うか、少しはそっちの方に心が傾いたかと」

「馬鹿を言うな。俺はその時にどうこれから生きて行くか考えたくらいだ。そんなので気が変わっていたら、まるでお前だ。お前の切り替えの早さが羨ましいくらいにはこの心は全然変わっていないし、晴れてもいない」

「なら、尚更どこの誰かも分からぬその人に出会って、運命を覆せると良いですね」

「気安く言うな……」

 一人の宮女がてくてくと向こうの方から歩いて来た。

 いけない、永華を抑え、志遠でいなくては。どうも春鈴と同じで志遠は九垓と話すと口が汚くなる。

 それは九垓の砕けた物言いのせいか、雰囲気のせいなのか、考え方か、本音がぽろぽろと出てしまう時がある。

 一人称が変わるのもそのせいだろう。

 兄である天華の真似をして気に入ってもらおうとした時に習得した『俺』という一人称。九垓も普段は使っており、改めなければいけない時だけちゃんとする。それと同じで自分は前世よりも前の記憶を多々持つが、それ以外の所は今を生きる者と一緒だと思い、そうなってしまうのもそれに固執して生きて行くことが徐々に薄れて来ているせいではないかと考えるようになっていた。

「これは良い事なのか悪い事なのか?」

「迷ったら、聞けば良いんですよ。その為に人は居るんです。自分以外の人に頼ってこそ、活きるってものでしょう?」

「そういう話をしているんじゃないんだが、その宮女はどうやって手に入れた?」

 知らぬ間に九垓はてくてく歩いていた宮女を呼び止め、こちらに来させていた。

「いや、何、少し大事な話があると言っただけですよ。ね?」

「はい」

 少し照れているのはこうした事に疎いからだろう。

「そなた、願望絵というのを知っているか?」

 直球に訊いたのは淡い期待をもなくさせる為だったが。

 声にならない悲鳴のようなものをその顔に浮き上がらせた宮女に志遠は興味が湧いた。

「他にこの事を知っている者はいるか?」

「それは……」

 言葉に詰まらせる宮女に救いの手を差し伸べてくれる者を探してやるか。

「分かった。違う者に聞こう」

「お待ち下さい!」

 その宮女は声を上げた。

「あの、それは、言ってはいけないことになっているんです。運でしか行われない事に人の力が加わるのは良くないでしょう?」

「だが、それよりもひどいやり方をする奴を知っている。それに比べたらこれはまだマシだ」

 何を知っているんだろう? という九垓の顔を見もしないで志遠は紫楽宮の中にずかずか入って行った。

 その宮女はそんな志遠を止める為か付いて来た。

 皆、逃げて! とでも言うのか? それならそれでも良い。

 さっさとそれを見せてもらうのにも手間が省ける。

「何、心配せずとも大声でこの中に願望絵を知っている者はいるか? と問いはしない。そんな馬鹿な事をするくらいなら最初からそなたに確認などしない」

「ですが……」

 宮女はまだモヤモヤしているようだ。

「九垓、聞く相手は選べ」

「そのようですね。失礼しました。こう見えて志遠様は全ての女性に優しいわけではないのですよ。間違いが起きては困るという考え方でして、あなたが悪いわけではないのです。志遠様が全然女性に興味がないから、運命の人にはそんな事はしないでしょうが、あなたは違ったようです。残念、残念」

「おい!」

 九垓の言葉に志遠はさすがに怒りを露わにした。だが、その一言でその辺に居た宮女達の動きが止まり、嫌な予感がする。

「これは……あら、何て名前だったかしら?」

 そう言って表にひょっこり出て来た抹茶色の妃しか着れない綺麗な服を着た彼女に隣に居た侍女は耳打ちして教えている。

「ああ、そうでしたわ。志遠様、でしたわね……」

 にっこりとこちらを見て笑っている。

 穏やかそうな感じの綺麗な顔だった。

 まだ若い。それに見惚れる男は多いだろう。

 だが、志遠は違った。

「出て来てしまった」

 ちょっとした後悔とは裏腹に、この紫楽宮の主、鶯妃おうひは悠々とこちらにやって来る。

 あんまり会いたくはなかった。

 それと言うのも数年前に皇帝陛下の子を一人産んだは良いが亡くしている。

 ちょうどそれは永華が志遠になるきっかけとなる出来事であり、それ以来、陛下はこの後宮に来ていなかったのだが、浮光の美しさからまた後宮に来出して、夜伽を始めたと専らの噂が実は志遠に苦痛を与える為だとは皆知らないだろう。

「何をなさっていますの?」

 鶯妃はとうとうこちらにやって来てしまった。

 だが、彼女は自分の事を知らないだろう。

 産んですぐ皇帝陛下の異母弟に会うことなく終わったのだから。

 だから、こうして志遠は宦官となって彼女に向かい合う。

「鶯妃は知っているでしょうか?」

「何を?」

「願望絵という物があると聞きました。それはどんな物か見てみたいのですが、鶯妃はお持ちではありませんよね?」

「持っているわ」

 意外にもこの妃はあっさりと認めた。

 別に悪い事じゃないといとも簡単に一人の宮女の名を呼んだ。

「思思」

「はい」

 さっと出て来た宮女は春鈴と同い年くらいか? それにこの名前、どこかで……と志遠が思っているうちにその宮女はさっと鶯妃にそれを渡す。

 大事そうに両手で持つそれはそれほど大きくもないが、とても長い絵巻物のようだった。

 広げられたら、どれくらいになるだろう。

 こそっと隣に居る九垓に志遠は訊いた。

「あれはお前が言っていたそれか?」

「知りません。オレはただ聞いたことを言っただけですから。良いか悪いかはこれからです」

「そうだが……」

「どうかなさいました?」

「いや、それが願望絵かと思いまして、随分と長いのですね」

「人によりけりだと思いますよ。私の願望は多いのね。きっとあの子の分も入っているし」

 そう言う彼女の顔は少しだけ母になった。けれどそれはすぐ元に戻った。

「中身もご覧になりたいのでしょう? あなたには必要のない事でしょうけど、私にはとても必要だわ。それを踏まえて見てちょうだい」

 侍女がこちらまでそれを持って見せにやって来た。

 あの思思という宮女もまたその絵巻物を広げる手伝いをする為かやって来る。

「他の者は下がりなさい。これは願望絵。その願望がなければ見てはいけないの」

 主の言葉に従順に従って、この場には鶯妃と侍女、思思、志遠、九垓だけになった。

 それはすぐに広げられる物ではなかった。

「ほ~ぅ……」

 と九垓は声を漏らしたが、志遠は眉をひそめた。

 それは九垓の言っていた物に相違ない。

 けれどもっと詳細で、かなりの願望だ。

「どうです? 素敵でしょう? 次の皇后様の問題もまだ解決していない今ではとても必要な事だと思いませんか?」

 この女……。

 ジトッと志遠は鶯妃を見る。

 したたかに見えてそうではないとは偽りか、自分の欲しいままに映すもの。

 やはりこれは宮女よりも妃に選ばれた者の方が持っている可能性が高い。

「これはどうやって保管するのです?」

「簡単ですわ。このようにくるくると丸めて部屋のどこかに隠しておきますの。そうすると願望が成就されるようですわ」

「ほう……、それは流行っていると聞きましたが、誰が最初に始めたのですか?」

「さあ? でも、至る所でそうしていますのよ。もうこれはすがるしかない物でございましょう? この数年、どれほど待ち望んだか、あなたに分かりますか?」

「分かりますよ」

 この前世以前の記憶のせいでずっとそうだ。

 その人しかきっと愛せないのなら、他の者とした時に子を成すことが出来ようか。

 その悩みの解決はやはり、兄上に頑張っていただくしかないのだ。

 だから、志遠は九垓も呆れるほどにそれを突き詰めない。

 泳がし、機会があれば掴め! と思う。

 この妃も他の妃もそうだろう。

 皇帝陛下と思わしき顔のない人物と自分によく似た者とが夜伽をし、子を授かり産み育て……という一連の流れを絵空事のような美麗なる絵のみで表された物を以てしてまで運に打ち勝とうとしている。

 応援しないわけがない。

 そうしてくれれば自分には自由と助かる道が開ける。

 だから、志遠は言う。

「他に誰がこれを持っているのです?」

「妃のいない永庭宮と香彩宮ぐらいでしょうね、それを持っていないのは」

「では、その絵は誰が描いているのです?」

「それは……」

 言い淀んだのではない。

 明らかに先ほどの宮女とは違う態度に志遠は気付いた。

「何を引き換えにすれば教えてくれますか?」

「でしたら、また陛下をこちらに寄越して下さいませんか? それは公平に、もちろん運任せで結構ですので」

 そんな事を言っても所詮は彼女も同じ。願望絵を持っている時点で物語っている。

 湖妃に出来たのなら、私にも再度! というのがひしひし感じられる。

「分かりました。言いはしましょう」

 志遠様!? という驚き顔の九垓に笑いを堪え、志遠は言う。

「言えないのなら、お連れ下さい。後はこちらで勝手にやります」

「そうですか。では、思思、ご案内しなさい。あなたはあの者を一番よく知っているでしょうし、そこに出入りもしやすいでしょうから」

「はい」

 素直な宮女、思思は志遠と九垓の先頭に立ち、そこに連れて行く為、歩き出した。

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