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第33話 学校

 それから、兄さんは病室には来なくなった。ボクが来るなと言ったのだから、当然なのだが。

 父さんと母さんも仕事が更に忙しくなって顔を見せる事は完全に無くなり、ボクは病室で1人きりになった。

 メイクもネイルもしなくなった、リハビリもしなくなった。ただ、ベッドの上で時が流れるのを待つだけの日々。


「……ボク、何で生まれてきたんだろう」

 あの地獄から抜け出せば、また元通りの生活が戻ってくると思っていた。また無邪気に色んなものを楽しんで、喜べる生活に戻れると思っていた。

 けれど、現実は全く違った。ただ、ベッドに張り付けられて無機質に時だけが流れる世界。

 辛い。生きている事が辛い。単なる痛みや苦しみではなく、生きる希望を完全に失った時に人は最も不幸になるのだと思う。


 そして、それからまた多くの時が流れた。

 ある日、ボクは初めて病院を抜け出した。

 当然だが無許可での外出など認められていないし、今までは必ず兄さんが付き添ってくれていた。

 けれど、もういいんだ。外で危険な目に遭おうが、それならそれで良い。もう、ボクの人生はどのみち終わったようなものだ。

 ただ、終わりを迎える前にどうしても見ておきたいものがあった。

 それを見る為、ボクは1人で車椅子をひたすら押し続けた。


「……何をやっているんだ、ボクは」

 そして、病院を出てしばらく経った。

 辿り着いたのは、とある学校の校門だった。

 既に夕方の為、部活終わりの生徒達が校門から大勢、駅の方へ流れていく。

 ボクは近くの木の影に隠れ、ある人物を必死に探していた。言うまでもなく、それはゆうちゃんだ。

 兄さんと通っている学校が同じだと分かっていたので、あとは帰路に着く生徒達の中からゆうちゃんを探し出すだけだ。


 それからまた数十分、ボクは生徒達の顔を目視し続ける。記憶を頼りに根気強くゆうちゃんを探し続けていると、ようやくその時が来る。

 人混みの中で、ようやく見覚えのある顔を見つけた。


「……ゆうちゃんっ….」

 記憶の中の姿と比較すると、背も伸びて全体的に大人びているが、紛れもなくその顔はゆうちゃんの顔だった。丹精で整った顔は、あの頃と全く変わっていない。

「かっこいい……え、かっこいい……」

 ボクは思わず口元を押さる。

 想像はしていたけれど、想像以上の衝撃だった。あのゆうちゃんが、大人になっている。そして凄く逞しくて……かっこいい姿になっている。

 心拍数が上がり、呼吸が少し荒くなる。こんな感情、生まれて初めてだ。きっと、これが人を好きという感覚なのだろう。


 そして、再びボクはゆうちゃんの方へ視線をやる。すると校門から、遅れて1人の生徒がゆうちゃんの後を追ってくる。ゆうちゃんの友達だろうか。


『和彦! 明日、漫画の続き持って来てくれよ!』

『分かってるって! その代わりに明日のグラウンド整備、お前が代わる約束だからな!』 

『はいはい、分かってるって!』

 後からやって来たのは、兄さんだった。

 そもそも同じサッカー部なのだから仲が良いのは当然なのだが、この2人の並びを久しぶりに見た。

 なんだが、とても懐かしい光景だ。またこの2人の並びを見れるなんて、思ってもいなかった。


『おにーちゃーん!!』

『げっ、杏奈……お前、何でここに』

『げっ、て何!? わざわざ可愛い妹が練習終わりに迎えに来てあげたんだけど!?』

 そして別の方向から女の子が1人、手を振りながらゆうちゃんの方へ走ってくる。その女の子にもボクは見覚えがあった。

「あんちゃん……?」

 大きな瞳に綺麗な黒髪、間違い無くあんちゃんだ。あんなに小さかった女の子が、今ではこんなに大きくなっているなんて……あんちゃんも当然だけど、とても可愛らしく綺麗に成長している。

『頼んでねぇし……てか、可愛い妹……?』

『文句あんのかー!』

 冗談を言い合って、笑い合う3人。

 昔なら、あの中にボクもいた。

 あの日、人生の歯車が狂わなければ……今もボクはあの中にいたはず。皆と、無邪気に笑い合っていたはず。

「良いな……みんな。ボクだけ、仲間外れか」

 その光景を見て、ボクはポツリと呟く。

 今すぐ飛び出して、3人に自分の存在を知らせたい。けれど、それは出来ない。こんな姿を見られたくないし、何より失望されたくない。


『ちょっ、お前……やめろよ!』

『何? お兄ちゃん照れてんの? 女の子と手繋いだくらいでウブだねぇ。顔赤いよ?』

『中学生にもなって妹と手なんて繋げるか!』

『お兄ちゃん、私以外の女の子と手繋いだ事なんて無いもんね~。てか、無いよね? もし、あったらその女、お兄ちゃんと一緒に今すぐ殺すけど』

『殺すとか物騒な言葉使うな!』

『ははは! 相変わらず仲良いな、お前ら』

『どこがだ!』

 ゆうちゃんとあんちゃんがふざけ合うのを見て、ボクの心は更に深く抉られる。

 あんちゃんはゆうちゃんの妹だけど、ゆうちゃんにとっては最も身近で、大切な女の子だろう。

 そして、あんちゃんはゆうちゃんの事が大好きだ。

 心が凄く痛い。兄妹とはいえ、ゆうちゃんが女の子と仲良く触れ合う姿を見て、ボクは嫉妬をしていた。

 そして、それと同時に自分があの中へ入り込む隙間など、最早1ミリも残されていないのだと改めて思い知る。


『この中に、優姫もいたら良かったんだが』

 するとその時、兄さんの口からボクの名前が出た。その名前を聞いた瞬間、ゆうちゃんもあんちゃんも手を止める。

 そして、2人は悲しそうな顔で兄さんを黙って見つめる。きっと、どんな反応をすれば良いのか分からないのだろう。3人の間で沈黙の時間が少しだけ続く。

『わ、悪い! 変な空気にしちまって。俺、今日は店の手伝いあるから帰るわ!』

『あ、ああ……最近、繁盛してるよなぁ。和彦の所の和菓子屋』

『和菓子が余ったら遠慮なく持って来てくれて良いからね、和彦君!』

『はいはい、余ったら杏奈ちゃんに持って行くよ』

『それじゃあ、また明日!』


 3人がこちらの方角へ近付いて来たので、ボクは再び木の陰に隠れる。

 何だか自分がとても哀れで、恥ずかしい存在の様に思える。皆、ボクとはもう全く違う存在。ボクだけが、あの夏の日に取り残されている。

 今日、改めて思い知った。ボクがあの中に以前と同じ様に戻れる事なんて未来永劫、訪れない。

 もう、あの夏の日の4人には戻れない。

 それを改めて実感した時、ボクは車椅子の上で静かに泣いた。


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