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第22話 来訪者

 それから数日後、突如として病室へ来訪者が現れた。

 父さんと母さんが病室いるのを見計らってか、数人の男たちを引き連れた小柄な老人が病室へ足を踏み入れてきたのだ。

 そして、この老人こそが政界でも大きな影響力を持つとされるあの糸田の父……糸田議員だったのだ。

 勿論面会の約束など交わしておらず、護衛を何名か引き連れて突如としてボクたちの目の前に現れたのだ。


「この度は、誠に申し訳ございませんでした」

 そして、糸田議員は突如として床に膝を着き、深々と土下座をした。

 それを見て、父さんも母さんも固まってしまっている。沈黙のまま数秒が経過するが、糸田はまだ頭を上げない。

「報道は一切されていませんが、息子は既に逮捕され罪を償わせる為の準備が進んでいます。今までは確かに私の根回しもあり不起訴処分で済んでいましたが……これ以上は息子とはいえ、庇いきれない」

 糸田は声を震わせながら、嗚咽混じりで謝罪をする。側から見ればこれ以上にない形の謝罪だろう。

 けれど、ボクには分かる。この老人には反省も無ければ後悔も無い。この謝罪は単なるパフォーマンスだ。

 糸田という本物の狂人と3年間を過ごした代償か、ボクは正常な人間とそうでない人間の臭いを無意識のうちに嗅ぎ分けられるようになっていた。

 そして、間違いなくこの老人は後者だ。この老人からは、息子と同じ臭いがする。


「……もう、そんなパフォーマンスは結構です。そんな事を伝えにここへ来た訳ではないでしょう」

 病室の沈黙を、ボクの声が破る。

 皆、ボクが声を発するとは思っていなかったのか、一斉にボクの顔へ視線を向ける。

 そして、土下座をしていた糸田議員もゆっくりと頭を上げ、ボクの顔を下から見上げる。

「……こんな幼い女の子を、息子は……」

「口封じ、ですよね? ボクたちが事件の事を口外しない様に。その為にそんなに沢山の『お土産』を抱えて、こんな場所まで来たのでしょう」

 ボクは糸田議員の言葉を無視し、病室の入口付近に控えている護衛の男たちに目をやる。

 屈強な2人の男が大型のアタッシュケースを持って立ち尽くしている。言うまでもなく、あの中身は現金だろう。

 簡単な話だ、この老人……糸田議員は金でボクたち家族と和解……いや、口封じ・買収をする為にこの病室へとやって来たのだ。先程の土下座など、その為のパフォーマンスでしかない。


「……恥ずかしながら、その通りです。私は保身の為に今日ここへ参りました。単刀直入に申しますと……この『お土産』を納めて頂くのと引き換えに事件の事は忘れ、一切口外はしないとお約束頂けませんか?」

 すると、糸田議員は先程の表情から一変し、悪びれる様子も無くボクたち家族へそう言い放った。

 糸田 浩二の逮捕は一切報道されていない、つまり……ボクたちが真実を口外しなければ、世間に事件が公になる事はない。


「おい」

 糸田議員が振り返りもせず無機質にそう呟くと、護衛の男たちは歩き出し、父さんと母さんの目の前でアタッシュケースを開く。その中には、夥しい量の札束がぎっちりと敷き詰められていた。


「ふざけないで……お金で自分の息子が犯した罪を揉み消そうだなんて! ふざけないで!」

 しかし、母さんはその光景に不快感を示し、差し出された札束の1つを糸田議員へ投げ付ける。それでも糸田議員の表情は全く変わらない。

「止せ、由美子! 優姫がそれを望んでいるんだ!」

 父さんが母さんを押さえ付けながら言い聞かせるが、母さんの憎しみは留まる事は無い。

「母さん、良いんだ。母さんの気持ちは嬉しいけれど……そのお土産を受け取って、もう終わりにしよう」

 ボクが静かにそう呟くと、母さんはその場に力無く泣き崩れる。実の娘が理不尽にこんな姿にされたのだ、冷静でいられるはずがない。

 しかし、糸田議員はその残酷な現実すら当たり前のように札束で握り潰そうとしている。


「娘さんの事を考えれば、悪い取引ではないでしょう。娘さんの忌まわしき過去は封じられ、世間の好奇の目に晒される心配も無い。それに、今後の治療費、生活費……お金もかなり必要でしょう?」

 糸田議員は父さんの方へ視線をやりながらそう呟く。父さんがこの申し出を断らない事を確信した様子だ。

 糸田議員は実業家から政界へ進出した大物だ、彼にとってこの程度は端金だろう。


「……それを置いて、出て行ってくれ。そして、もう娘と家族には関わらないでくれ」

 父さんは糸田議員から目線を外し、視線を床へ向ける。

 アタッシュケースを受け取る父さんの手は、小刻みに震えていた。それが怒りなのかどうかは分からないが、父さんが必死に感情を押し殺そうとしているのは明白だった。


「交渉成立、ですね」

 そして、その様子を見た糸田議員は蛇のような表情を浮かべ、父さんと握手を交わした。


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