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第52話 居場所

【8月1日 嫉妬:塚原 杏奈】


 あれから毎日、優姫はお兄ちゃんに会いに来ていた。


 朝から晩まで……ずっとお兄ちゃんの傍で……。

 お兄ちゃんは優姫が帰って来てから明らかに私への興味が薄れた。話しかけても適当な返事が返ってくるだけだし、目もほとんど合わせてくれない。

 今日も2人で昔のゲーム機を引っ張り出してきて朝からずっと対戦してる。優姫がゲームはリハビリに良いとか言って無理矢理お兄ちゃんを付き合わせているんだ。


「ねぇ、お兄ちゃん。今日のお昼何が良い?」

「ん、何でも」

「……もうちょっと考えてよー」

「ん……あるもので適当に」

「……分かった、じゃあお蕎麦茹でるね」

「おう」


 お兄ちゃんはそう言ってまた優姫とのゲームに熱中し始めた。

 ……もう、私の知ってるお兄ちゃんは奪われたんだ、優姫に。奪われたものは奪い返すしかない。


 私はそう決心して鍋の中に水道水を大量に流し込む。そしてそれをコンロで加熱し、沸騰するのをひたすら待つ。


「仕方ないじゃん、あんたが邪魔なんかするから……」

 私はキッチンからゲームに夢中になっている優姫を睨み付ける。

 本当ならお兄ちゃんの隣には私がいたのに。お前さえいなければ、ずっとお兄ちゃんの隣は私の専用だったのに。

「……してやる、殺してやる」

 その瞬間、鍋の中のお湯が激しく沸騰し始めた。

 これは、私のお兄ちゃんを取り返すのに仕方のない事なんだ。優姫、いくらあんたでも私からお兄ちゃんを横取りしようとするなんて許せない。

 あんたがこのまま行方不明になっててくれたら……殺さないで済んだのに。

 仕方ない、あんたも『供物』の一部にしてあげるよ。あんたのボロボロの身体でも、そのくらいの役には立つでしょ。


「もー! 勝てないよこんなの!」

「優姫は運動も勉強もできたけど、昔からゲームだけは駄目だもんな」

 キッチンの方まで2人の楽しそうな声が聞こえてくる。私1人だけ、違う空間に取り残されているみたいだ。

「うるさいなー、じゃあもう1回ね! 次は負けないよ!」

「……おいおい、まだ諦めないのか。負けてばっかりじゃつまんないだろ、もうゲームはやめてもいいのに」

「んー……ぶっちゃけ勝ちたいってよりは……ゆうちゃんと一緒にはしゃいでたりするのが楽しいだけかな! 友達と一緒にはしゃぐなんて、今まで出来なかったから……」

 優姫がまたお兄ちゃんを誘惑してる。

 そうやって事件の被害者である事を理由にお兄ちゃんの同情を誘って……あんたは私からお兄ちゃんを奪おうって事か。


「優姫……お、俺は!」 

 それに対し何か声を掛けようとするお兄ちゃん。

 ……嫌、それ以上聞きたくない。お兄ちゃんが私以外の女に優しい言葉をかけるなんて……そんなの絶対に嫌だ。私だけに、私だけに優しくしてよ、お兄ちゃん。


「お兄ちゃん!」

 私はお兄ちゃんの言葉をわざと遮るようにして2人の会話に割って入る。

「……お昼、出来たよ」

「お、おお。サンキュー。じゃあ、これ終わったら食うか」

「うん、ちょっと待っててね、あんちゃん」

 けど、私の声に一瞬だけ反応してくれたかと思うとまた2人はゲームに夢中になり始めた。

「……お兄ちゃん……っ」

 私は2人に聞こえない大きさの声で無意識に呟く。もちろんお兄ちゃんは気付かない。ただ、私に背中を向けてひたすらテレビに映し出されたゲーム画面を睨み続ける。


 そして、その隣には優姫がいる。


 お兄ちゃんと同じく私に背を向け、楽しそうな笑い声をお兄ちゃんと上げながらゲームを夢中になってプレイしてる。

 その私に向けられた2人の背中は、私は必要ないって遠回しに言われてるみたいだった。もう、お前の居場所は無いんだって。優姫に、お兄ちゃんの隣は奪われてしまったんだ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。なんとかしないと、早く何とかしなきゃ。このままじゃ、私は本当にお兄ちゃんから見捨てられる。捨てないで、捨てないで、お兄ちゃん。お願いだから……。

 私は小刻みに震える腕に必死に力を入れて熱湯が大量に入った鍋を持ち、キッチンから持ち出す。そして、背中を向ける2人の真後ろに立つ。


「……ん? 準備出来たのか。それじゃあ、そろそろ……」

 お兄ちゃんはこちらを振り返る事すらせずに素っ気なく言う。私はそれを無視する。

「……優姫ちゃん、ちょっとこっち向いてくれない?」

「え?」

 私が用があるのは優姫だ。いや、優姫の皮を被ったこの雌豚だ。お前も峰岸と同じ薄汚い雌豚だ。

 私は優姫が振り返るのを確認すると、熱湯が大量に入った鍋を座っている優姫の頭上に持っていく。


「あんたがいけないんだ」


 そう一言だけ言って、私は腕に思い切り力を入れて思い鍋を逆さにひっくり返した。

 重力によって熱々の熱湯は、鍋の底から優姫の顔へ降り注ごうとする。

「……優姫ッ!」

 隣に座っていたお兄ちゃんがようやく振り向いた。そして、高温の熱湯は勢いよく目の前の人間の皮膚に注がれてしまった。その熱湯はあっという間に皮膚を醜く爛れさせてしまう。


「ああああああああああっ!」

 部屋に響く悲鳴。でも、それは私の考えていた人間の悲鳴ではなかった。

 熱湯を被り、皮膚を醜く爛れさせてしまったのは……お兄ちゃんだった。

「ゆうちゃん! ゆうちゃんっ!」

 熱湯を背中から被り、床にのたうち回るお兄ちゃん。それを見て、自分がした事の重大さに気が付く。

「ああああ……杏奈っ! お前っ……お前!」

 憎しみの籠ったお兄ちゃんの怒声。

「ごめ……っん、違うの……っ、違うのお兄ちゃん!」

「くっそっ……お前……優姫に何をするつもりだった! こんな熱湯、頭から被ってたら死んじまうだろうが!」

「ゆうちゃん……ボクなんかを守って、こんなひどい火傷を……っ」

「ああああああっ……」

「大丈夫だよ! すぐに救急車呼ぶから! あんちゃん早く……」

 優姫が近くの電話の子機を取るように言ってくる。でも、私は一切動かなかった。


「……お前のせいだ」

「……あんちゃん?」

「お前がっ! お前が私からお兄ちゃんを奪おうと何てするから! こんな事になってるんだろうが! いつまでも良い子ぶってんじゃねぇよ! クソ女!」

「今はそれどころじゃない! 早く救急車をっ……がっ!」


 私は優姫の首を両手で掴み、締め上げる。

「……お前を殺してから、私がお兄ちゃんを看病する。だから、お前は安心して死ね!」

「あっ……がぁ……」

「優姫! 優姫っ……」

 お兄ちゃんが優姫の名前を呼ぶ。

 けど、そんなのは気にならない。まずはこの女を殺さなきゃ。

「ごめんね、お兄ちゃん。ちょっと待っててね。すぐに後片付け終わらせちゃうから」

「っ……ぁ……っ」

 私はそう言って優姫の細い首を絞め上げる。


「はは……これで、これでお兄ちゃんが戻ってくる……私の所に」

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