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第47話 あの夏の真相

【7月27日 再会:塚原 祐介】


 俺はその声を聞いてドアを物凄い勢いで開けた。ドアを開けると、その目の前には車椅子に座った人形のような少女が穏やかな表情で迎えてくれた。


 その目の前の車椅子に座った少女が、あの優姫だと俺の脳が認識するまでに数秒の時間を要した。

 なぜなら10年前、俺の最後に見た優姫は髪が女の子にしては短くて、いつも活発で、まるで男の子みたいなボーイッシュな女の子だったからだ。


 しかし、目の前の少女はどうだろう。車椅子に腰を掛け、片目が隠れるくらいまで長く伸ばされた色素の抜けかけた髪。真夏だというのに長袖のセーターにロングスカート。昔の優姫からは想像もできない。

 唯一、昔の優姫と共通していたのは、その美しくも独特な声だけだった。それほどまでに優姫の外見は大きく変わっていたのだ。


「本当に……本当に優姫なのか……」

「本当だって! ゆうちゃんは昔っから疑い深いんだから……」

 少女は口を尖らせて言う。この癖も、優姫独特のものだ。

 だが、それでも俺はこの少女が優姫だとは断定できなかった。10年も俺たちの前から姿を消していたんだ、今日いきなり目の前に現れた少女を優姫だとすんなり受け入れられるわけがなかった。

「……本当、なのか」

「お兄ちゃん、私もさっき知ったの。和彦くんがいきなり連れてきたこの子が優姫ちゃんだって……」

「でも……証拠でもあるのか? そいつが優姫だっていう……」

 俺は杏奈に疑いの目を向けながらそう言った。

 もしかしたら杏奈が俺を外に出すために茶番を演じてる可能性だってある。俺は杏奈さえ疑うような精神状態に陥っていた。

「しょうがないなぁ、じゃあ証拠。幼稚園の授業で、上手く描けなかった似顔絵を公園の砂場に埋めてたのは誰でしょうか?」

 その少女は自信満々の表情で言う。

 ……それは俺の事だった。確かに少女は俺の過去の行いを知っていた。

 俺は、幼稚園で描いた親の似顔絵を親に隠すために公園の砂場に埋めていた。杏奈にバレると親に告げ口をされてしまうので、俺と優姫だけで砂場に似顔絵を埋めに行っていたんだ。

「それとー……幼稚園の頃の遠足! ゆうちゃんお菓子を家に忘れてきちゃって大泣きしてたよねー、あれボクがお菓子半分分けてあげたんだよ?」

 それも覚えてる。

 遠足で……お菓子を忘れて大泣きしていた俺を慰めるため、優姫が自分の分のお菓子を半分分けてくれた事。その時、頭を優しく撫でてくれたのは確かに優姫だった。俺が杏奈に頭を撫でてやるようになったのは……元を辿ればこの時の優姫がルーツだ。


「……本当に、優姫なの……か」

 俺は確信する、目の前の少女は間違えなく優姫だ。確かに彼女は俺との思い出を鮮明に記憶していた。俺たちだけの思い出を。

「ああ。この子が正真正銘……10年前に誘拐された俺の妹、優姫だ」

 俺の声を聞き、ドアの横に立っていた和彦がそう言った。

「でも……でもどうして今になって突然……」

 俺は考えてみる。

 ……なぜ今になって優姫が帰ってきたのか。優姫が行方不明になってから毎日欠かさずニュースや新聞を確認しているが、事件解決の事など載っていなかったはず。一体、いつ事件が解決して優姫が戻ってきていたのか。


「実は……優姫が家族の元に帰ってきたのは……事件が起きてから3年後だった」    

 それに対し、和彦は静かな口調で答えた。

 事件から3年後……つまり、それが事実なら和彦は7年間も俺たちに優姫の存在を隠していた事になる。

「3年って……じゃあなんで! なんで7年も俺たちに優姫の事を黙ってたんだよ! 一体なんのために!」

 声を荒げて和彦に詰め寄る。

 俺たちが……10年前からどれだけ優姫を心配してきたか……それを分かっているのか。

 それに対し和彦は、少し困惑した表情で優姫の顔を見る。どう答えを返していいか分からないといった様子だ。

「それは……」

「……大丈夫、兄さん。ボクからちゃんと説明するから」

 心配そうな表情を浮かべる和彦に対し、優姫は笑顔で答える。7年間も隠してきたのには、何か理由があるようだ。


「2人とも、7年もボクの事を隠してたのは謝るよ。ごめんね。けど、本当はこれからもずっと2人には隠しておくつもりだったんだ、事件の事も……事件の被害を受けたボクの事も」

 優姫は平然とそう言った。それに対し、俺は言葉を失う。

 ……じゃあ、もし今日会えてなかったら優姫は、一生俺たちから隠れながら生きていこうとしていたのか。なんで、どうして。

「なんでだよっ! お前の事をどれだけ心配したと思って……」


「あの夏、ボクの事を誘拐したのは……32歳の変態児童性愛者だった」


 俺の声を遮るように優姫が言葉を発する。耳を疑うような単語で。

「えっ……」

「あの日……ボクは道路に転がったボールを取りに行ったんだ。覚えてる? あの日、神社の近くでみんなでサッカーをしていた事。それで……その道路に転がったボールを拾ったのが……その犯人だったんだ」

 優姫はそんな物騒な事を昔話でもしているかのように淡々と語っている。

「そして彼は笑顔でボールをボクに手渡そうとした。ボクは当然それを受け取る……はずだった。本来ならそうなるはずだった……けれど、現実はそうならなかった」

 しかし、淡々と口が回っていたのはここまでだった。次の言葉を発する時には、優姫の顔は恐怖の表情で一変し、何かを思い出したかのように手が震え始めた。

「彼は強引にボクの髪の毛を掴み、近くに停めてあったワゴン車に放り込んだ。それは凄い力だったよ、子供じゃ抵抗できないくらいの。それで、ガムテープで手足と目を拘束されて……そのまま彼の家まで運ばれたんだ」

 顔を歪ませながらも優姫は懸命に言葉を続けた。何度も恐怖がフラッシュバックしているだろうが、それに耐えながら。


「そこからは地獄だったよ。まるで家畜のような扱いだった。毎日毎日……昼夜関係なく彼の性欲のはけ口にされ、それが飽きたらひたすらサンドバックのように殴られる、蹴られる、いたぶられる……おもちゃのようにね。勿論おもちゃに人権は無いから、食事も彼の食べ残しを漁るしかなかったし、お風呂だって満足に入れなかった」

 聞いているだけで頭がおかしくなりそうだった。

 俺たちが普通に過ごしてきた中、優姫だけがこんな地獄で苦しんでいたなんて。

「犯人は精神的に不安定な人でね、気を紛らわせる為にボクを殴るんだ。最初のほうはそれだけで済んでいたけど、徐々にエスカレートしていって……最終的にボクは下半身の自由と左目を失った。壮絶な暴行の末……ボクというおもちゃはとうとう壊れたんだ」

 そう言って優姫は左目を完全に覆い隠していた長い前髪を手で上げて見せる。


 そして……俺は言葉を失った。無かったのだ、本来ならその場所に埋められているはずの眼球が。

 潰されたのか、くり抜かれたのか……俺は怖くてそれ以上聞く事を諦めた。

「……こんな事が3年も続いたんだ。ボクが……まともな人間に育つわけがないだろう? だから……こんな汚くて、醜くて、壊されたおもちゃ……倉田 優姫を……ゆうちゃん、あんちゃんに見せたくなかった。知られたくなかった。2人の記憶の中では……10年前の優姫でいたかった」

 優姫は涙ながらにそう言う。今まで、自分の心に溜め込んでいたものが全て涙とともに溢れ出てるようだ。

「だから……お前たちには一生、優姫を会せるつもりは無かったんだ……この前まではな」

 和彦が震える優姫の背中を優しく摩りながら言う。

「でも……どうして」

「それは……祐介、今の絶望したお前の姿を優姫が知ったからだ」

「えっ……」

 ……俺のため? 俺のために、優姫は……。

「事情は兄さんから聞いたよ……辛かったね。でも、ゆうちゃんが泣いていても何も変わらないんだ。残酷な現実だけど、それにうまく向き合って欲しかった。ボクと同じように。こんなボクでも、現実と向き合って今日まで生きてこれたんだって事、それだけを伝えたくって……今日、嫌われる覚悟でここに来たんだ」

 優姫は事件によって壊れてしまった自分を俺たちに見せる事を恐れていた。自分があの事件で何をされていたのか、それを俺たちにだけは知って欲しくなかった。

 それを知られてしまったら……もう2度とあの頃の自分には戻れないから。だから、せめて俺たちの記憶の中でだけは綺麗な優姫を保ちたかったのだ。

 なのに……優姫は俺を心配してくれて、励ます為に自分の過去をこうして伝えてくれた。そして、教えてくれた。人は、どんな絶望からも這い上がれるのだと。自分がその例だと。


「嫌うわけ……ないだろ」

「ゆうちゃん……」

「お前が3年間……その腐れ外道にどんな辱めを受けて、苦しめられてきたか……聞いているだけで殺意が湧いてくる。許せねぇ。だけど、それでお前の存在自身まで汚されたわけじゃない。身体に傷跡が残っていても……俺にとっての倉田 優姫という存在は綺麗なままだ。そんな事でお前を嫌うわけないだろ……」

 俺は涙声になりながらも優姫の小さな手を握る。

 その小さくて幼い手にも、煙草を押し当てた様な火傷、刃物で切り付けられ、肉を抉られたような生々しい傷跡が残っていたが、全く気にならなかった。それでも、優姫は美しい。

「ゆうちゃん……ボク、汚いよ。汚れてるよ、壊れてるよ……それなのに、嫌わないの?」

「違う! お前は綺麗なままだ……だから、そんな事、言わないでくれ……」

「……はは、優しいのも昔のままだ」

 俺は気が付くと優姫の両手を力いっぱい握りながらその場に泣き崩れていた。

「……優姫っ……」

「ちょっと……ゆうちゃん泣かないでよ……泣き虫なのも変わってないんだから……」

 そう言って優姫は優しく俺の頭を撫でてくれた。

 本当に、本当に帰ってきたんだ、優姫は。俺たたの元へ帰って来てくれたんだ。


「ゆうちゃん……凄く言いづらいんだけど……ここ最近、ずっと部屋に籠っててお風呂入ってないでしょ? 汗の匂いが……」

「あ、ああ……ごめん」

「……一緒に入る? 昔みたいに」

 その瞬間、俺の心臓が一気に縮み上がった。優姫の一言によってだ。優姫は昔から冗談っぽい奴だった。10年前もよく俺をからかう事があった。

 だけど……今、優姫から発せられたその言葉は……冗談だと分かっていても俺は動揺を隠せなかった。

 俺は……10年ぶりに優姫を女として見ているんだ。もう、ただの幼馴染ではなく1人の女として。

 この間まで部屋に引きこもって身近な人を失った悲しみに押しつぶされそうだったのに……今では優姫の一言で興奮まで覚える始末だ。自分が嫌になる。俺って……本当はどうしようもない屑なのかもしれない。峰岸に恨まれても仕方がないくらいに。

「冗談好きは……変わってないな」

「冗談……かなぁ。ボク、どうせこの身体じゃ一人で満足にお風呂も入れないし……ゆうちゃんにも手伝ってもらおっかなー、なんて?」

 優姫が頬を赤らめて少し恥ずかしそうに言う。

 ……これも昔から変わっていない。優姫は少しでも性的な事に関わると、すぐに顔を赤くしてしまう初心な女の子だったのだ。

「……おいおい、お前ら2人して顔真っ赤だぞ。それじゃ本当に……」

 和彦も昔のように俺たちの会話をからかおうとした、その時だった。


 バァン! 

「……っ!」

 和彦の言葉を遮って壁に打ち付けられる拳の音。

 一瞬でその場の空気が凍ったのが分かった。全員が金縛りにでもあったみたいだ。

「……お風呂湧いたから……お兄ちゃん」

 壁に拳を叩き込んだのはさっきからずっと黙っていた杏奈だった。顔だけは笑っていたが、その壁に打ち付けられた拳はガタガタと震えている。

「あん……ちゃん?」

 優姫が動揺した様子で杏奈の方を見る。

 まさかこんな冗談で杏奈がここまで激怒するとは思ってなかったのだろう。昔だって、こんな事で杏奈は怒ったりなんかしなかった。

「杏奈、お前……」

「え? お風呂、もちろん一人でも入れるよね? お兄ちゃん」


 その時の杏奈の目……それは部屋に籠っていた自分を鏡写しで見たように濁った目だった。

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