【7月26日 相変わらず:塚原 杏奈】
「お兄ちゃーん……お昼ご飯だよ~」
「……」
私はいつも通りにお兄ちゃんの部屋の前までお昼ご飯を持ってくる。
「今日はねオムレツ! きっとお兄ちゃんも気に入る味だと思うんだよね!」
「……」
相変わらずお兄ちゃんは無反応。料理は食べてくれるけど、私の声にはほとんど反応してくれないままだ。
「しかも栄養バランスもばっちり! これ食べたらきっと元気になるよ!」
「……」
でも、いつまでもこんなお兄ちゃんを見てられない。私はこの時、ある決断をした。
「……ねぇ、お兄ちゃん?」
「……」
「お外、ちょっとだけ出てみない?」
そう、外にお兄ちゃんを出す事だ。
外に出れば嫌な事は忘れられるはず。もうお兄ちゃんにはさっさと峰岸の忌々しい記憶を消し去って欲しい。
あの女……死ぬ間際になってお兄ちゃんにちょっかい出してきて……こんな事なら硫酸だけじゃなくて、唇を切り取った後に惨たらしく殺してやれば良かった。
でも、今更後悔しても仕方がない。私に今出来る事……妹がお兄ちゃんにできる事。それは病んでしまったお兄ちゃんの心を少しずつでも和らげてあげる事。
「……なんで」
お兄ちゃんはガラガラに枯れた声で返答した。久しぶりに聞いたお兄ちゃんの声には、まるで生気が無かった。
「なんでって……お兄ちゃん最近は部活も行ってないし、運動不足かなって……それに部屋にずっといるのも不健康じゃん! ちょっとだけでもお散歩しようよ!」
「……断る」
「そんな事、言わずにさ! 久しぶりにお兄ちゃんと手をつなぎながら町を歩きたいんだよね~、美味しいお店の食べ歩きしながらとかさ! あ、じゃあ晩御飯は何か食べに行こうよ! こんな時くらい贅沢しても……」
私がお兄ちゃんに外食の提案したその時だった。
部屋の中からドアに向かって、ドガッ! っと何かが叩きつけられたような激しい音が響いた。恐らくお兄ちゃんが部屋の中から思い切りドアを蹴りつけたんだろう。
サッカーで鍛え上げられた蹴りによるその衝撃は、ドアそのものを蹴破ってしまいそうなくらい凄まじいものだった。
「……っ、お兄ちゃん……?」
私はまさかお兄ちゃんがそんな暴力的な事をするとは思っていなかったので、軽い放心状態だった。
音とドアが蹴り飛ばされる衝撃に驚いたのではなく、あの優しかったお兄ちゃんに、こんな威嚇のような仕打ちを受けた事にショックを受けているのだ。
「……行かねぇよ」
「で、でもさっ」
それでも私は必死に言葉を繋げる。頭は真っ白だ。
「俺が外に出ると……みんな不幸になる。西崎も、峰岸も……みんな不幸になった」
「そんな事ないよっ……お兄ちゃんは何も悪くない! 悪いのは……」
「峰岸の留守電を聞いてもお前はそう言えんのか! 俺があの時っ! 一緒にあいつと帰っていれば良かったんだ! あの時っ……俺があいつを1人にしたから……俺がっ……」
お兄ちゃんは結局、私の声を聞いても外には出てくれなかった。