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第41話 自己防衛

【7月25日 途中経過:倉田 和彦】


「……ほどほどにな」


 俺はそう言って杏奈ちゃんからの電話を切る。

 声は明るく作っていたけど、やっぱり心身ともにかなり疲れている。

 俺に心配をかけないようにしているんだろうが……昔から杏奈ちゃんを知ってる俺からすればそんな誤魔化しは通用しなかった。全く、全てを自分で背負い込むのは昔から変わってないな。


「……誰から?」

 テレビの横の電話に受話器を元に戻した俺に、後ろから声を掛ける少女がいた。

 振り返ると、そこには車椅子に座った人形のような一人の少女が、うっすらと笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。

 この夏場にセーターを着こみ、ロングスカートを履いている少女。まるで他人に一切自分の身体を見せないようにしているようだ。

「……もしかして?」

 その少女の笑みは感情を表しているというより、強制させられて無理矢理作らされたような温度のない笑みだった。

 しかし、その表情とは裏腹に長い髪は不思議なウェーブがふんわりとかかっており、その整った顔立ちと合わさってとても神秘的だ。

「杏奈ちゃんだよ。大分疲れてるみたいだ……」

「……ふーん……あんちゃんも大分参っているみたいだね」

 その少女は予想通りだったと言わんばかりの口調だ。ちなみに少女の言う『あんちゃん』とは杏奈の事を指している。

「当然だ……自分の兄貴があんな状態になってるんだから……」

 俺はそう言って反射的に少女の顔から目線を逸らした。いくらこの少女のためとはいえ、杏奈や祐介が苦しんでいるのは幼馴染の俺としては心苦しくて仕方がない。

「でもさ、今のあんちゃんはもう……人間とは呼べないと思うけどなぁ。少なくとも心はもう、人間じゃない。人間としての心なんてもう壊れてる」

「……かもな」

 だが、幼馴染よりこの少女の『願い』を優先したのは俺自身だ。今さら俺が引き下がる事はできなかった。


 杏奈が人間の心を失おうとも、祐介の精神がズタズタになろうとも、俺はこの少女に全てを捧げると誓ったんだ。今さら後悔はない。

「……でも、やっぱりあんちゃんのゆうちゃんへの想いは本物だったね! お兄ちゃん為なら、他人を半殺しにして『足の指』やら『唇』を切り落としちゃうんだもん、怖~い」

 少女は興奮気味に俺に言う。ちなみに『ゆうちゃん』とは祐介の事だ。

 『あんちゃん』も『ゆうちゃん』も10年前、この少女が付けた呼び名だ。

「……なぁ」

「……ん? どうしたの?」

 俺の問いかけに少女はまた人形のような、気味の悪い作り笑いを浮かべる。

「その……作り笑い、やめてくれないか? なんだか……怖いんだ、その笑顔を見るのが……」

 俺は少女に少し厳しい言い方だが、そう告げる。

 しかし、俺のその厳しい言葉に少女は動じる事は無かった。

 ただ、言われた通りに作り笑いを崩し、代わりに困ったような表情を浮かべるだけだ。

「ああ、ごめんね……癖になってるんだ。ほら、辛気臭い顔してると顔が変形するまで殴られてたから! だから自然に笑顔を作るのが癖になってて……一種の自己防衛手段ってやつかな? おかしいよね! もう事件なんかとっくの昔に終わってるのに……」

 少女は自嘲気味に笑った。しかし、その顔は引きつっていた。

 それでも、今はこうして少女が自分から事件の事を話せるまでに回復したのが信じられないくらいだ。家族の元に帰ってきた時は、まるで感情の無い人形だったのに……。


「ねぇ。明日、あんちゃんとゆうちゃんの様子を見てきてくれないかな?」

「明日、か?」

「うん。もうそろそろ『頃合い』なんじゃないかな。ボクもそろそろ我慢の限界だし……それにさ」

 少女は目を静かに閉じ、小さくて短い溜め息を一瞬だけついた。


「ボクに残された時間もあまりないからね。そろそろ『壊れて』もらわないと」

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