【7月25日 お兄ちゃん:塚原 杏奈】
それから3日後も同じようにお兄ちゃんの部屋の前に立つ。
「お兄ちゃん、おはよ! ……ってもうお昼だけど……」
「……」
私はあれから3日間ずっとお兄ちゃんの部屋の前で元気良く言葉を発した。けれど、その元気な言葉に対して何か反応が返ってくる事は無かった。
「あっ! お兄ちゃん昨日のご飯は全部食べてくれたんだ! 偉いね!」
「……」
まるで子供を相手にするような言葉遣い。もちろん返事は無い。
「今日も部活は……行けないよね」
「……ぁぁ」
消え入りそうなくらいの小さな声。それでもお兄ちゃんにとっては精一杯の声量。
「……じゃあ、和彦くんに連絡しておくね」
あの日から……峰岸の留守電を聞いてから、お兄ちゃんは部活どころか部屋から一歩も出ていない。
食事は私が部屋の前まで運んでいるけど、私が1階に降りたのを確認した後じゃないとお兄ちゃんは部屋のドアを開けない。お風呂だって入っていない。
お兄ちゃんは誰とも接触をしようとはしなかった。自分の部屋で、ずっと1人の世界で今も苦しみ続けている。私は、あの日からお兄ちゃんと顔を全く合わせていなかった。
私はリビングへ戻ると電話の受話器を手に取り、和彦の家に電話を掛ける。お兄ちゃんが部活の練習を欠席する事を、部長であり幼馴染である和彦に連絡するためだ。
「……もしもし、塚原です」
『ああ、杏奈ちゃんか。毎日悪いな、電話させちゃって』
「ううん……とんでもない。それで、お兄ちゃんなんだけど……」
『……まだ、時間が掛かりそうか?』
和彦は少し低めのトーンで言う。
一応、和彦にも今回の状況は伝えておいた。何日も連続で真面目なお兄ちゃんが部活を休んでいるのだ、隠していてもいずれは不審がられてバレてしまうだろう。だから、最初から伝えておく事にしたのだ。
「……うん。少しずつご飯は食べてくれるようにはなったんだけど……部活は」
『そうか。じゃあ顧問には俺から伝えておくから、まずは祐介をしっかり休ませてやってくれ』
「うん……分かった」
『……それと、杏奈ちゃんも気を付けろよ』
「え?」
「杏奈ちゃんも相当疲れてるだろ。看病も適度に、な」
和彦の意外な言葉に、私は気の抜けた声が出る。
和彦は昔から鋭かった。子供の時から隠し事は全て見抜かれていたような気がする。どうやら私が心身共に疲労困憊である事は、幼馴染の和彦にはとっくにお見通しだったようだ。
「……へへ。でも大丈夫。こういう時は妹の私がしっかりしなきゃ。お父さんとお母さんも、神様もきっと天国から見ててくれてるから……もっと頑張る」
『……ほどほどにな』
そして私は和彦への電話を切った。
和彦、わざわざ心配してくれてありがとう。だけど、ここで私が休むわけにはいかないんだ。お兄ちゃんを救えるのは、妹の私だけなんだから。
両親の祭壇の前で、私は両手を合わせながら改めて自身の心にそう言い聞かせた。