【7月22日 留守電:塚原 祐介】
若槻という刑事の言葉で俺は朦朧とした意識から自我を取り戻した。『峰岸』という単語だけが俺の脳内に反響していた。
「今から10分前……つまり自殺の直前だ」
つまり、峰岸は死の直前に俺に何かを伝えようとしたのだ。最期に彼女は俺に何かを託そうとしたのだ。
「……みね……ぎし」
俺は喉から擦れた声を絞り出す。ひどく乾いた声だったが、俺の発した一言で杏奈も刑事たちも同時にこちらを向いてくれた。
「お兄ちゃん……?」
杏奈は心配そうにリビング前に転がっている俺の事を見つめている。俺は軋んだ身体に強引に力を入れ、無理やり立ち上がろうとする。
頭はガンガン痛むし気分も最悪だが、それでも峰岸の残した声を聴こうと思った。
あいつは最期の言葉を俺に宛てた。そして、俺は期待していた。もしかしたら峰岸が俺を許してくれているんじゃないかと。最期に、それを俺に伝えるために留守電を残してくれたんじゃないかと。
「……流してください、留守電」
俺は若槻の方にフラフラと近づいていくと、一言だけそう発した。
「……言われなくてもそうする」
若槻はそう言って怪訝そうな顔を浮かべながら携帯の画面をタッチし、留守電の再生を始める。
数秒の沈黙の後、峰岸と思われる女の子の声が流れ始めた。
『……塚原先輩、これを聴いてる頃にはあたし、もう死んじゃってますね、きっと。でも、最後にあなたにだけ……言っておきたい事があるんです』
携帯から無機質に流し出される峰岸の死の直前の肉声。その声には昔のような峰岸の明るい様子は無かった。
しかし、俺がお見舞いに行った時とは違い、もう怒りや憎しみを込めた様な声でもない。
もう、全てを諦めた後の声だった。
『お見舞いの時、あたし酷い事を言いましたよね。あれ、あの後本当に後悔しました。本当は先輩のせいでこんな事になったわけじゃないって分かってたのに……あたし、最低ですよね。自分勝手な理屈で先輩に酷い事を……』
留守電の峰岸は沈んだ声でポツリポツリと言葉を紡いでいく。その痛々しい肉声を玄関にいる全員がただ黙って聴いていた。
『先輩、最後の最後まで出来の悪い後輩で本当にごめんなさい。どうか、あたしの事は忘れてください。だって先輩は何も悪くないんですから。そして、これからも西崎先輩のお見舞いと千羽鶴の続き……よろしくお願いしますね』
そこで峰岸の声は途切れてしまった。玄関は冷たい沈黙に包まれる。
……正直、俺は安堵した。
峰岸は確かに言ってくれたのだ、『先輩は何も悪くない』と。
その一言で俺の今までどんより曇っていた心が、一気に晴れ渡っていくのが分かった。
そうだ、俺は無意識にこの言葉を期待していたんだ。俺はきっと峰岸にそう言ってもらって楽になりたかったんだ。峰岸がああなったのは俺のせいじゃないんだと。
そして、今その言葉を受け取る事ができた。やっと罪の意識から解放される。
「……うっ……」
そう思っているうちに、自分の目から熱い何かが溢れてきているのが分かった。
「……峰岸さんは、優しい子だったんだよ……やっぱり。だから最後にお兄ちゃんを安心させるために留守電を……」
杏奈が俺の震える肩に手をそっと置いてくれる。
どうやら俺は無意識に肩を震わせながら泣いていたようだ。自分の感じていた罪悪感がやっと拭われた喜びからだろう。
「……ああ、そうだ……峰岸は優しい子だった……本当に」
峰岸は最後に俺を許してくれた。その事実だけが俺にとっては最も重要な事実だった。
峰岸が自殺した悲しみなど忘れ、ただ自分が許された事実に安堵していた。
しかし、俺はこの時に勘違いをしていた。
峰岸の留守電はこれで終わりではなかったのだ。