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第34話 疑い

【7月22日 最悪の目覚め:塚原 祐介】


 翌朝、俺は最悪な形で朝を迎える事になった。


「お兄ちゃんっ……お兄ちゃん起きて!」

「ん……なんだよ一体、朝からうるせぇ……」

 杏奈が切羽詰ったような声で俺を起こしに寝室にやってくる。

 昨日は峰岸の事で色々考えてしまってまともに眠れなかったのに、こんな朝っぱらから叩き起こされるなんて最悪だ。

「おい……もう少し寝かせ……」

「警察……警察の人が来てるのっ……私たちに聞きたい事があるって……どうしよう」

「……っけ、警察?」

 俺はその単語を聞いて飛び起きた。何が起きたのか分からないが、その単語を聞いて焦らないわけがなかった。眠気はとっくに吹き飛んでいた。


「今……来てるのか」

「うん……玄関で2人待ってる、お兄ちゃんと私、一緒に話を聞きたいって」

 杏奈は怯える小動物のような目で俺を頼るように見つめてくる。今にも泣き出してしまいそうだ。

 ……大丈夫だ。お兄ちゃんに任せろ。俺は心の中でそう呟き、杏奈の頭をそっと撫でた。

「……安心しろ、正直に話せば問題ない。俺に任せろ」

「うん……だよね」

 俺と杏奈は2人でゆっくりと玄関までの階段を下った。


 玄関にはスーツ姿の中年の刑事が1人、若手の刑事が1人の合計2人が立っていた。

 中年の方は不機嫌そうな表情を浮かべ、若手の方はその後ろで落ち着かない様子だった。


「あのぅ……お待たせしました」

 杏奈が待たせてしまった事を申し訳なさそうに頭を下げる。

「お待たせしてすいません、兄の塚原 祐介です」

 俺もとりあえず頭を軽く下げておく。新入りの刑事の方はそれを見て軽い会釈を返してくるが、中年の刑事の方は相変わらず仏頂面だ。

「すいませんね、朝から押しかけちゃって。今日はね少し、御兄妹2人に聞いておきたい事がありましてね?」

 中年がガラガラの声で話し始める。なんというか、その人を小馬鹿にしたような喋り方と比例して不快指数の高い声だった。

「聞きたい事……とは?」

「……分かるでしょう? 最近、御自分の周りで起こった事を整理してみてくださいよ」

 中年は俺を馬鹿にしたような口調でそう言った。もう分かってるくせにと言いたげな様子だ。

 ……最近、俺たちの周りで起こった事。それはすぐに頭に思い浮かんだ。西崎の轢き逃げ、峰岸への暴行……刑事の指す事とは、この2つの事なんだろうとすぐに分かった。


「……西崎と峰岸の事ですか」

「そうそう。ここ最近、連続して凄惨な事件が起こってるでしょ? ……あんたらの周りでさ」

 中年の方が俺達の方をジロジロと睨みながら言う。あの濁った目でジロジロと見られるのはあまり気分は良くない。

 杏奈も自分を蛇のように嘗め回す中年の視線に耐えられず、玄関から後退する。

「ちょっと若槻さん……あんまり子供を怖がらせるような事は……」

「うるせぇ、黙ってろ! 新入りの出る幕じゃねぇんだ」

 口を挟んだ新入りの刑事は若槻という中年刑事に一蹴され、そのまま黙り込んでしまった。

「西崎の方は手足、目、口、しかも耳まで塞がれたまま道路に捨てられてたみたいじゃないですか。何も聞こえない、見えない、無明の恐怖の中で彼は大型トラックに無残に轢き潰されたんですよ。そして、ついこの前の……峰岸っていう中学生の女の子だっけ? 硫酸で顔を焼かれたのは……どう考えても異常でしょ?」

 若槻がジロリと杏奈の顔を覗き込むようにして言う。

「……はい。本当に、私も心が痛くて」

 杏奈は若槻から少し怯えながら目線を逸らして言う。杏奈は昔からこの男のような高圧的な態度の人間が苦手なのだ。

「心が痛む……ねぇ」

 若槻は目線を必死に逸らそうとする杏奈の顔を下から覗き込みながら言う。それでも杏奈は目線を合わせようとしない。よっぽどこの男の視線が怖いんだろう。


「よくもまぁ、そんなセリフが吐けるもんだねぇ、お嬢ちゃん」

 若槻が突如、ドスの効いた声で杏奈にそう言う。玄関の空気が、一気に重苦しいものへ一変した。

「……えっ、どういう……」

「あんた、あんまり警察を……大人をナメないほうがいい……お前が事件の直前に西崎に電話したんだよなぁ?」

 中年が突如大声で杏奈を怒鳴りつける。

 俺も杏奈も驚きで身体がビクッと震えたのが分かった。

「車に潰された携帯のデータ復旧には苦労したがな……そのおかげで、あんたが事件の直前に西崎に電話してんのはもう割れてんだよ、分かるか?」

 若槻がジリジリと杏奈の方へ詰め寄っていく。杏奈はただ黙って後ろへ下がるだけだ。その足元はブルブルと震え、杏奈の恐怖をそのまま表していた。


 ……杏奈が事件の直前に西崎に電話? 

 どういう事だよ。二人は電話をし合うような仲でもなかった。ましてや杏奈の方から西崎に電話を掛けるなんて……おかしい。

 まさか、杏奈が何か事件と関係しているのか?

 俺は黙ったまま若槻と杏奈の話に耳を傾ける。


「それはっ……次の日のサッカーの試合に向けて話したい事があって……」

「へぇ……じゃあ、あんたらは、そんな親密な関係……男女の関係だったって事かい? 高校生と中学生のガキが……」

「ち、違います! ただの知り合いで!」

 杏奈は声を大きくして否定する。自分と西崎がそういう目で見られるのが相当嫌なんだろう。

 ……だが、杏奈がなぜあそこまで嫌っていた西崎に杏奈から電話をかけたのか。それが最大の疑問だった。

「じゃあどんな内容を話した? 言ってみろ」

「……っ」

 しかし、若槻の大声に杏奈はまた黙り込んでしまう。こんな間近で大の男に怒鳴られるんだから無理もない。俺だって怖い。

 ……しかし、実の妹が目の前でここまで怯えているのを見ると、兄として流石に俺も黙ってはいられなかった。


「ちょっと、あんた! 刑事だかなんだが知らないがさっきから怒鳴ってばかりで……良い加減にしてくれよ!」

 俺は流石に刑事の横暴な態度に我慢できず、杏奈と若槻の間に割って入る。

「どけ、小僧……俺はそのガキと話してんだ!」

「断る……」

「ちょっと若槻さん……落ち着きましょうって! 相手は一般人の子供ですよ!」

「……ちッ! うるせぇな!」

 新入りの刑事になだめなれ、少し落ち着きを取り戻した若槻。しかし、その顔はまだ満足した様子ではない。

 そして、俺は若槻が静かになったのを確認すると、俺は杏奈の方を向いて優しく声をかける。少しでも杏奈の恐怖を和らげるために。


「なぁ、杏奈……あの日、どうして西崎に……お前があいつに電話する理由なんて」

 まるで幼稚園児を諭すかのような、優しくて丁寧な口調。すると杏奈はそのおかげで少し安心したのか、ゆっくりだが口を開いてくれた。

「私は……お兄ちゃんとずっとサッカーのライバルでいてくれるって意味では……西崎さんに感謝してたの。そりゃ、女の子にだらしないとこは嫌だったけど……それでも、お兄ちゃんの妹としてせめてお礼を言おうと思って……高校でもお兄ちゃんとライバルでいてくださいって……」

 あの試合は練習試合とはいえ、俺の高校での初めての試合だった。いわば高校初の晴れ舞台だった。試合が決まったとき、杏奈も一緒になって喜んでくれていた。

 あの日、神社への勝利祈願に出掛けてくれたのを思い出す。中学の頃から杏奈が試合前にやってくれていた事だが、あの日はいつも以上に気合いが入っていた。

 ……それだけあの試合、俺に勝って欲かったんだと思う。その上、西崎にまで俺の事で電話をしてくれていたなんて……。


「杏奈……お前、そこまで」

 俺は思わず杏奈の事をじっと見つめてしまう。

 杏奈がここまでしてくれていたなんて……知らなかった。

「お兄ちゃんと中学からの唯一のライバルだもん。そりゃ、感謝もするよ……だから明日の試合、全力でお兄ちゃんと戦ってあげてくださいって電話したの……でも、なんであの後にあんな事に……」

 その先の言葉を言い終える事はできなかった。

 杏奈が涙を流しながら、しかし必死に悲しみを押し殺しながら泣き崩れる。隣にいる俺も涙が少し滲んできた。


「……」

 俺達2人のそんな姿を見て、流石に刑事達も静かになってしまった。

「……ホラ、若槻さんが怒鳴り散らすからですよ。事件の事でこの子たちも傷ついてるんですから……」

「っち! これだからガキは……泣けば済むと思ってやがる」

 若槻の方は新入りに意見されたのが気に食わなかったのか、そっぽを向いてしまう。


「うっ……ぐす」

「……ごめんね、お嬢ちゃん。怖がらせちゃって。ほら、これ使って」

 新入りの方が泣いている杏奈にハンカチを手渡す。さっきの刑事とは違い、紳士的な男だ。

「ありがと……ございます」

「君も悪かったね。妹さんに無神経な質問ばかりで……」

 新入りは俺の方に頭を深々と下げる。

「い、いえ……最後の通話相手を疑うのは、仕方ないとは思います」

 最初は杏奈が疑われた事に怒りを感じるくらいだったが、冷静に考えてみれば状況的に杏奈を疑わない方がおかしい。

「……すまない。ただ、事件の事でなにか知ってる事があるんじゃないかってだけで……若槻さんはちょっと疑い深い所があるから」

「……当たり前だ! 捜査は疑う所から始めるんだろうが!」

 新入りの言葉に若槻が突っ込む。さっきよりかなり機嫌が悪そうだ。

「そりゃ、そうですけど……」

「……まぁ、良い。西崎の話はとりあえずここまでだ。次は顔面溶かされた中学生の……峰岸の話だ。それと後で両事件のお前らのアリバイも……」


 ピリリリ……。


 若槻の言葉を遮るかのように携帯電話の着信音が鳴り響く。音源を辿ると、恐らく新入り刑事の胸ポケットからだ。

「あ、すいません……出てもいいですか、本部からなんですけど」

「……さっさとしろ」

 自分の言葉を遮られたのがかなり気に障ったのか、若槻の方は固く腕を組んでまた仏頂面を浮かべている。その隣で新入り刑事が電話口で誰かと会話を始めている。

「もしもし……はい……ええ……えっ、それって本当ですか? はい! はい! 投身自殺……分かりました、失礼します」

 新入り刑事の通話は終わった。物騒な単語を1つに口にして。

 ……投身自殺、一体誰が死んだんだろう。


「……オイ、誰が死んだ」

「それが……」

 新入りは一瞬、俺たちの方を見て表情を曇らせたが、結局若槻の耳元で何かをコソコソと告げた。

 それを知った若槻は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、それはすぐに薄ら笑いへと形を変えた。


「あんたら……呪われてるか厄病神かのどっちかだな……流石に気色悪い」

「……何の話です」

 俺はその言い草に少し苛立ちを覚え、強めの口調で返す。人の事を呪いだとか厄病神だとか……なんなんだこいつは。


「……峰岸 怜奈が病院の窓から投身自殺した」

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