【7月21日 帰宅:塚原 祐介】
あの後、杏奈が呼んできた看護婦が峰岸の病室に駆けつけ、俺達は病室からつまみ出された。突然、患者が嘔吐したのだ。お見舞いどころではない。
少し早めだが仕方ない、俺たちは家に帰る事にした。あの峰岸の嘔吐の様子を見た後ではどこかに寄り道する気にもならなかった。
「峰岸……大丈夫だろうか」
「もう! お兄ちゃんはさっきから心配し過ぎ! お兄ちゃんがいくら心配したって変わんないんだからさ、もう心配すんのやめよ!」
杏奈は呆れたように俺に言う。俺がさっきから峰岸の事を口に出すと、露骨に嫌そうな顔をする。
杏奈。どうして、どうしてそんなに簡単に割り切れるんだ? お前と峰岸は深くはなくても一応は友達関係だったんじゃないのか? 友達があんなに苦しんでいるのに、どうしてそんな冷たくできるんだ? 友達ならもう少し心配くらいしてやっても良いだろう。杏奈の粗暴な態度に苛立っているのが自分でも分かった。
「なぁ……杏奈」
「んー?」
俺は少し躊躇ったが、杏奈に確認する事にした。ここでしっかり真相を聞かなければいけない気がしたからだ。
「お前……本当に、峰岸と友達だったのか?」
俺は少し失礼な質問だとは思ったが、勇気を出して聞いてみた。
「えっ……」
杏奈は質問に対して驚きの表情を見せた後、黙ったまま俯いてしまう。なぜ、俺がこんな質問をしたのかというと理由は2つある。
1つ目は病室を出てから杏奈のあまりにも冷たい態度。友人が苦しんでいるのに、あまりにも冷たいというか……興味が無いようだ。さっきまで病室ではあんなに励ますような素振りを見せていたのに、病室を出た今ではまるで興味が無いような態度だ。
2つ目は峰岸の様子だ。杏奈が姿を現してからずっと様子がおかしかった。まるで、杏奈の事を見て怯えているようだった。
しかも、杏奈が近くに寄り添って手を握ると、それが引き金になったのか口から激しく嘔吐した。
明らかに異常な様子だった。少なくとも心配して見舞いにやってきた友人に対しての反応とは思えない。これらの疑問を踏まえて、俺は杏奈にこの質問をぶつけたのだ。
「実は……ね」
杏奈は言いづらそうに口籠る。やはり何か事情がありそうだ。
「私、峰岸さんに嫌われてたのかもしれない……」
消え入りそうな声で杏奈が言った。
「……どういう事だ?」
「私……峰岸さんと遊んだ事があるって言ったじゃん?」
「ああ」
「その時ね……喧嘩しちゃったんだ、好きな人の話で」
杏奈は俯きながらもその経緯を少しずつ語ってくれた。
年頃の女子中学生が集まった時、やはり自然にそういった話……恋愛の話になってしまうのが性であり、杏奈たちも例外ではなかった。
杏奈はそういったジャンルに疎く、あまり積極的には話をしたくなかったのだが、その場の友人たちの雰囲気で好きな人を言わざるを得なくなってしまったらしい。
そして、杏奈は渋々だったが好きな人を友人たちの前で発表した。友人たちは大いに盛り上がったようだが、1人だけ杏奈の好きな人を聞いて不機嫌になった人間がいた。それが峰岸だったらしい。
「その場は盛り上がって話は終わったんだけど……その帰りにに峰岸さんに呼び出されたの、人気のないとこに」
「呼び出された?」
「うん。それでね、最初に髪を鷲掴みにされてお腹のあたりを思いっきり蹴られたの。その後にこう言われたんだ……お前になんて渡さないって」
女の世界は修羅場だというが、まさにその通りだった。つまり、峰岸と杏奈の好きな人が被ってしまった事を知り、峰岸は杏奈を呼び出して暴行して宣戦布告をしたらしい。
「それでね、私も流石にイラッときちゃって……手が出ちゃったんだ」
「手が出たって……殴ったって事、か?」
俺は思わず声を上げてしまう。杏奈が人を殴る事など今までなかったからだ。
「……うん。それで峰岸さん……しばらく私に殴られた事がトラウマになって対人恐怖症気味になっちゃったらしいんだ。本当に悪い事をした思って……だから、その後に何度も謝ったんだけど……許してもらえなくて」
杏奈はうっすら涙を浮かべながら嗚咽交じりの言葉を続ける。
「それでも、ずっと謝り続けたの! 今日も仲直りするつもりでお見舞いに行ったのに……あんな嫌われてるなんて……ショックで」
杏奈は大粒の涙を流しながら、必死に俺に訴えてくる。
「そりゃ、私も悪いよっ……けど! 今日も許してもらえなくて……もう峰岸さんなんかどうでもいいやって思い始めちゃって……最低だよね、私」
小刻みに震えながら涙を流す杏奈を、俺はゆっくりと抱きしめた。つまり、杏奈の病室を出てからの冷たい態度の理由はいつまでたっても峰岸に許してもらう事が出来ずに苛立っていたから。
峰岸が杏奈に怯える様子は、杏奈に殴られた事がトラウマになっていたから。
そして、杏奈を見た事によって過去を思い出してしまい、フラッシュバックしていた事があの怯えようの原因らしい。俺は震える杏奈の肩を優しく抱き寄せる。
「……お兄ちゃん」
「そうか……そんな事情があったのか。野暮な質問しちまって済まなかった」
そう言って俺は力強く杏奈を抱きしめた後、杏奈の艶やかな髪を愛でるようにして頭を撫でた。
「お兄ちゃん……ありがとう。明日、またお見舞いに行くよ。そして今度こそ……許してもらう」
「ああ、俺も一緒に謝ってみる。だから、平気だ。心配すんな」
俺は杏奈ともう1度、峰岸の病室へ向かう事を約束する。妹がここまで真剣に友達と和解しようとしてるんだ、兄である俺が少しでも協力してやる事が当然だと思った。
「……本当、お兄ちゃんがお兄ちゃんで良かった……」
杏奈は俺の胸に顔を埋めながら小さな声で言う。
「……俺もだ」
明日、もう1度峰岸の見舞いに行くという杏奈との約束。
たったそれだけの約束なのに、それは永遠に叶わない事になると、俺たちは明日の朝になって知る事となる。