【7月20日 帰り道:峰岸 怜奈】
「いってて……」
あたしはスカートの汚れを手で払いながら起き上がる。まさかあそこまで怒られるとはなぁ、ちょっと大胆すぎたかぁ。
「実際、焦り過ぎたなぁ」
西崎先輩がもう目覚めないって聞いて、代わりを探すのに必死になり過ぎちゃった。もう西崎先輩で遊ぶのは無理っぽいから。
あの人はあの人で結構良かったんだけどなぁ、家柄が良いのかお金だけはかなり持ってたし。いつ目覚めても良いように毎日お見舞いに行ってたのに……もう、目覚めないなら、お見舞い行く意味もないな。
それに塚原先輩にも顔合わせ辛いし。実際、私を幸せにしてくれるなら誰でも良かったのかもしれない。
「……ついてないなぁ、次、誰にしよっかな」
あたしはとぼとぼと家の方角に歩きはじめる。もう日が暮れるし、早く帰ろう。
昔からあたしは学校でも、家でも独りだ。昔から人と話すのも苦手で友達もいなかった。
家族は……お父さんがお母さんや弟、あたしに暴力を振るうような環境だった。特にあたしには性的な暴行を何度も加えてきた。辛くて辛くて仕方なかった。
でも、こんなあたしでも人並みの幸せを味わってみたい、そう思ってわざわざ知り合いのいない私立の中学を受験して、家を出た。学費はお母さんが必死に集めてくれた。
ここなら、新しい自分に生まれ変われると思った。中学に入ってからは一生懸命おしゃれをして、可愛くて好かれる女の子を何年もかけて演じてきた。
可愛くて、都合の良い女の子を演じて色んな男の人の家に泊めてもらう毎日。けど、いつか……いつか、あたしも幸せになると信じて。
「なんで……あたしの周りの人はどんどん離れて行っちゃうのかなぁ……」
いつもご飯や洋服を買ってくれた西崎先輩、遊び相手には最高だった。あの人もあんな性格のせいで部活でも孤立してたし、あたしが仲を深めるのは簡単だった。これからもずっとあたしのために奉仕してもらおうと思ったのに……。
しかも、代打の塚原先輩も使えそうにないし。お金はそんな無さそうだけど、顔もそこそこだし優しい感じだと思ってたから……残念。
恋愛慣れもしてなさそうだし、ちょっとキスしちゃえば1発で堕ちると思ったのになぁ。まぁ、でも代わりならいくらでもいるし、良いか。
「……仕方ないなぁ、次は高3の高城先輩辺りでも……」
「……あの、すいません」
私が次の目標を口走りかけたその時、背後から女の声が聞こえた。
振り返ると、そこには黒いパーカーのフードを頭にかぶり、その下にジャージといったラフな格好の少女が立っていた。顔は隠れてるけど、声的に多分女の子。
「え? は、はい」
やば、今の独り言聞かれてたかなぁ、見た感じあたしと同じくらいの年齢っぽいけど、まさかうちの中学じゃないよね……?
「私、東神社の方に行きたいんですけど……道が分からなくって」
東神社? すぐそこじゃん。なんでわざわざあんなとこに……。
「あー、東神社ですか? じゃあ一緒に行きます? どうせ帰りにそこ通るんで」
「ありがとうございます……」
黒パーカーは軽く会釈する。丁度いいや、あそこ1人で通るのちょっと怖かったしね。なんせ西崎先輩が轢かれた上に右足の親指まで切り取られた現場だもん、流石に気持ち悪い。
「あなた、もしかして西高中等部の子?」
あたしは黒パーカーに話しかけてみる。
「え、違います。普通の公立中ですけど」
黒パーカーは感情のない声で答える。なんだ、うちの中学じゃなかったんだ。助かった、あんな独り言を同級生に聞かれてたらあたしのキャラが完全に崩壊するとこだった。
「ふーん、そうなんだ」
しかもこんなだっさい格好だし、うちの中学なわけないか。
黒パーカーと2人で歩き始めて大体5分くらい、もう東神社の近くの茂みまでやってきた。
夜じゃ街灯も無くて辺りもまともに見えないくらい暗い場所。近隣住民も夜は気味悪がって近寄らない。普通ならこんな時間にこんな場所に用なんてないと思うけど……。
「はい、ここ。着いたけど?」
「……ありがとうございます」
黒パーカーはフードを外さずにぺこりと頭を下げる。なんか全体的に暗い奴だなと思う。
ま、いっか。どうせここでお別れだし。
「それじゃ、あたしはかえ……」
黒パーカーに背を向けて帰ろうとしたその時、事は起こった。
突如、後ろから肩に手を置かれ、物凄い勢いで後ろに引き戻された。あたしの体は容赦なく地面に叩きつけられる。
「きゃあ!」
抵抗しようするものの、いきなりの事だったので反応がどうしても遅れてしまう。
私は何もできずに地面に転がされ、黒パーカーに馬乗りにされる。
「ちょ、ちょっと! なんなのっ……」
「この唇で……さっき、したんだ」
「はぁっ? 何を……」
あたしの言葉は完全に無視して黒パーカーは私の唇に触れる。
「ちょっと……あたしにそういう趣味無い……っ」
「さっき、キスしてたじゃん。この唇で」
ああ、こいつにさっきの塚原先輩とのキス見られてたのか。でも、それがこいつに何の関係があるんだろう。気持ち悪い。
「ちょっと静かにしてて」
黒パーカーはそう言ってあたしに顔を近づけてくる。被ったフードから黒パーカーの髪が垂れてきて、あたしの目の前で揺れている。
「ちょ、ちょっと!」
馬乗りになられているので身体の自由は完全に奪われている。私は黒パーカーの唇があたしの唇に近づくのを黙って見る事しかできなかった。
「……っぐ」
唇を唇で強引に塞がれる。あたしにそんな趣味は無かったのに……。黒パーカーは目を閉じてこの時間を楽しんでいるようだった。時間に表すと、5秒くらい。
「……っはぁ!」
やっと黒パーカーがキスをやめたので、あたしの呼吸が再開される。肺に新しい酸素が一気に流れ込んでくる。
「……お兄ちゃんの味、よくわかんないや」
黒パーカーは不思議そうな顔で自分の唇を舌で嘗め回している。
「……あんたっ! 頭おかしいの!? 一体、何なの……」
私は黒パーカーに罵声を浴びせようとする。
しかし、私の言葉は黒パーカーに喉を鷲掴みされる事によって中断される。
「あんたは……したんだから、良いよね? キス」
黒パーカーの表情はさっきと比べて一変していた。憎しみの籠った歪んだ般若のような表情。
「あんたはっ! あんたは良いよね! この唇でキスできたんだから! なんであんたみたいな雌豚が! なんで!」
黒パーカーがあたしの首を絞める力が強くなる。あたしは必死に手足をバタつかせるけど、全く抵抗になっていない。ギリギリとあたしの首は絞まっていく。頭がぼーっとし始めた。
「……っぐ……や、やめ!」
声もまともに出せない。
嫌だ、死にたくない! まだ全然幸せなんて味わってないのに!
「……」
私は声を出す事もできなくなっていた。手足を動かす事も。やばい。もう意識も持たない。
そして、あたしがゆっくりと瞼を閉じ始めたその時だった。
「……っは! ごほっ! はぁ……」
突然、黒パーカーが首を絞めるのを止めた。いきなり肺に空気が入ってきたので、あたしは激しくむせてしまう。でも、なんで首を絞めるのをやめたんだろう。
「あー、そういえば理科室から借りてきたんだったぁ。とっておきの玩具」
「理科室……? ごほっ、何よ……それ」
あたしは黒パーカーがポケットから取り出したその小瓶に入っている液体が、何かをすぐに理解する事ができなかった。