【7月17日 南中学校 職員室:塚原 杏奈】
「え? 理科準備室に忘れ物かい?」
「はい……今日の理科の実験の片付けの時、ちょっと忘れてしまって……」
私は職員室で理科の担当教員と話をしていた。理由はただ1つ、理科準備室の鍵を手に入れる事。そして大切なものを得る為に。
「なので、準備室の鍵を貸してほしい……と」
「は、はい! 本当にすぐ済みますからっ! 本当に大事なものなんです……」
私は涙をうっすら浮かべながら理科担当の中年教員に懇願する。本当に大事にもののために、準備室の鍵がどうしても必要だ。
「うーん……でも今は私も手が離せない状況だしね……準備室には教員が付き添わないと危険だし、明日じゃダメか?」
「ダメなんですっ! どうしても今日じゃなきゃ……」
私は感情を表に出して大声で言う。職員室中の人間がこちらを一斉に向いた。
「本当に急いでるんですっ、大切なものだから……お願いします!」
私は大粒の涙を流しながら教員にもう1度懇願する。理科教員は困り果てた顔でぶつぶつと何かを言っている。
「しかしだね……生徒だけで準備室に行かせるのはやっぱりなぁ。危険な薬品もある事だし」
「大丈夫です、絶対に触ったりしませんから!」
いつまでも諦めない私に対し、理科教員は露骨な嫌な顔をする。あちらにしてみれば本当に面倒くさい生徒なんだろう、私は。
しばらく理科教員とそんな問答を続けていると、あまりの騒々しさに腹が立ったのか、隣の席の教員が呆れた様な顔でこちらの話に割って入ってきた。
「まぁまぁ、良いじゃないですか? 田無先生。鍵、貸してあげれば」
「……松本先生! しかしだね……っ」
松本……ああ、うちのクラスを担当してる国語教員か。たしか三十路手前の女性教員。
「この子はとても真面目な生徒ですし、大丈夫ですよ。普段から学級委員として率先して手伝いなどもこなしてくれている。今回も、その準備の時の忘れものなんでしょ?」
松本が私の半泣きの顔を覗き込むように聞いてくる。これはチャンスだ。
「……はいっ、自主的に実験道具を片付けてる時に……」
私はあえて自主的にの部分を強調した。
……よし、良いぞ。普段から模範的に振舞っていて助かったと心底思う。
「しかも、女の子がここまで大切にしているものですよ? 少しくらい見逃してあげても良いんじゃないですかね」
松本がややきつめの口調で理科教員を圧倒する。この女、気が強い事で生徒の中でもある意味有名な教員なのだ。
そして、松本に対して反論をあきらめたのか、理科教員がバツの悪そうな顔で口を開いた。
「……ふぅ、そうですか。松本先生がそう仰るなら、仕方ないですな」
そう言って理科教員は机の引き出しから渋々だが準備室の鍵を取り出し、私に渡してくれた。
「あ、ありがとうございます!」
「良かったわね、塚原さん」
「……使い終わったらすぐに返しに来るように」
「はいっ!」
楽勝、楽勝。私は思わず心の中でガッツポーズをしてしまう。大人なんてちょっと演技したらちょろいもんだなー、と私は思う。
「じゃあ、失礼しました!」
私は適当に教員たちに頭を下げて職員室を出る。松本の方は笑顔だったが、理科教員のほうはムッスリしたままだった。
……まぁ、そんな事はどうでも良い。これで欲しいものは手に入るんだし。
私は理科準備室に向かって廊下を歩き始める。そして、その道中で欲しいものが書かれたメモを制服から取り出した。
「お兄ちゃん、待っててね。すぐに助けに行くから」