【7月1日 部活終わり:塚原 祐介】
夏が始まる。
あの日、俺はクタクタになりながら高校の部活の練習から帰宅した。
「……ただいまー」
ゆっくりと俺は玄関のドアを開ける。
「あ、おかえりなさい! お兄ちゃん!」
俺……『塚原 祐介』の疲れ切った声に、妹である中学2年生の『塚原 杏奈』は元気良く反応し、リビングからひょっこりと顔を出してくる。
「今日も遅かったね……サッカー部の練習、そんな長いの?」
「ああ……まぁな。でも大会前だから仕方ねぇよ。それより俺、先に風呂入るけど良いか?」
「うん! 丁度お風呂湧いたみたい! お風呂上がる頃にはご飯も作っておくからね!」
「おう。いつもありがとな、杏奈」
「もう、今更なによー」
そして、妹の杏奈は駆け足でリビングにあるキッチンへと戻っていった。
俺は玄関で靴を脱ぎ、重い足を引きずるようにして風呂の脱衣所へ向かう。連日の過酷な練習で全身ひどい筋肉痛だ。
俺は現在、県内でも名門と呼ばれる高校のサッカー部に所属している。ほぼ毎日ある過酷な練習に必死についていくので精一杯な毎日だ。
運良くスポーツ推薦の枠で高校へ入学したまでは良かったが、名門と呼ばれるサッカー部の練習は予想以上に過酷なものだった。月に1度か2度の休み。朝練に加えて放課後の練習も夜まで行われるため、常に俺はヘトヘトだった。
だが、そんな辛い練習に耐えられているのも妹の杏奈のおかげだ。俺は杏奈にバレないように、チラッと風呂の脱衣所からキッチンの方を覗いてみる。
「ええっと……お兄ちゃんのは少し味は濃いめで……よし、おっけ」
杏奈は真剣な眼差しで味噌汁の味付けをしていた。杏奈は俺の好みに合わせて調整をしながら毎日料理を作ってくれているのだ。
辛い練習があっても家に帰れば温かい料理と笑顔の妹が迎えてくれる。なんて俺は恵まれているのだろう。
父は3年前に会社が倒産して借金を苦に自殺、母もそれを追うように1年前に身を投げた。
つまり、今の俺にとっての肉親は杏奈だけだ。
肉親を立て続けに失い、俺たち兄妹は深く傷付き、お互いに荒んだ時期もあった。
俺自身も心を塞ぎ込み、杏奈に強く当たってしまった事だってある。
でも、今の生活は辛くはない。今は借金の返済も終え、生活費は親戚が援助してくれている。
それに、こうやってたった1人の肉親が家で待っていてくれるのだ、俺はそれだけで十分幸せだった。どんなに辛くても、家に帰れば愛しい妹が待っていてくれるのだから。
「……幸せ者だな、俺」
脱衣所で制服を脱ぎながら、俺は静かに呟いた。
こんな恵まれた環境でサッカーに打ち込む事ができるなんて、幸せ者以外あり得ない。俺には杏奈さえいてくれればそれで良い。これが毎日、永遠に続いてくれればどんなに幸福だろうか。
その日はゆっくりと風呂に浸かり、杏奈の温かい手料理を堪能し、すぐに眠りに落ちた。
そして、この日常にはもう戻れない事を、この時の俺は気付いてすらいなかった。