周囲の護衛騎士なり侍従なりは、その様子を注視しているが、彼等は将棋には詳しくない。
だが皇帝は円盤にガングル・バレスの細かく設定した配置の意味を理解し、その上で対戦している様だった。
いや、対戦というよりは、対話だ、と護衛騎士の一人は内心思った。
実際時々二人は声に出す。
だがそれ自体が、戦術の一環であるかの様に、互いにその言葉をまた咀嚼して駒の動きに反映させるかの様だった。
……十五時間くらい経った時に、一旦休憩となった。
睡眠と食事をする様に、と皇帝はガングル・バレスに命じた。
「了解しました」
広い卓一杯に置かれた巨大な円盤には、おびただしい数の駒が置かれている。
「私もここで少々食べて寝る。交代する者があるなら、今のうちにしておくことだ」
周囲は二人の集中度合いについていけなかった。
ずっと立っている中には、雰囲気に呑まれて脳貧血を起こす者もあるくらいだった。
起きて顔を洗い、頭の中をすっきりさせた上で再び盤に向かう。
政務に関しても「よほどの緊急事態でなければ後にする」と皇帝は言い切り、結局この状態が、四日続いた。
立ち会った護衛騎士は交代に次ぐ交代。
何よりこの空気に耐えられな、と解放されるとぐったりする者が多かった。
そしてガングル・バンスが最後に王の駒に肉迫した際、皇帝は「負けました」と頭を下げた。
周囲はどよめいた。
皇帝がスパイ容疑者に頭を下げるとは!
ありえない!
「陛下!」
さすがにその場に居た最も高い地位の護衛騎士や侍従は声を上げた。
「黙るがいい。私は今までずっと、この帝国が海外から攻撃される場合について、この者と対戦していたのだ。そしてこの者に私は負けた。すなわちそれは、この男の持つ才能は消してはいけないということだ。ガングル・バンス!」
「はい」
思わず皇帝の声に、彼はその場に直立する。
「其方を私の直属の軍師として迎えよう」
「へ、陛下!」
「ただし! 一応他の目もある。其方から自由は奪う。宮中は自由にして構わぬが、外へ出ることは許さぬ。そして名を変えよ」
「自分はそもそも出場した段で殺されると思っておりましたので、そこはもう、陛下のお望みのままに。名もできれば付けていただければ」
「うむ、それでは――」
*
この後しばらくして、南西辺境伯令嬢がイスパーシャ王国の第二王子の元へと「婚約者」として派遣されることとなる。
彼女は皇帝の命により、この一件を確実なものとして調べ上げる様にと指示された。
やがてその結果として、第二王子は死亡し、第三王子がイスパーシャ王国を継ぐことなるのだが、それはまた別の話である。