やがてひとしきり、納得するまで読むとユルシュ様は手紙を私に返してきた。
「如何でしたか?」
「どうと言ってもね。まあクイデが楽しく過ごしていることと、帝都はもの凄く広いことと、帝室の後宮の具合を現地から知らせてくれたのはありがたいわ。ああもうクイデったら私には儀礼的なお手紙だというのに!」
「だってそこまでユルシュ様、クイデ様と仲が宜しかったですか?」
「クイデは友達少なかったからね…… まああの母親の元で心を殺していたんだから仕方ないとは思うけど。だから今の嫁ぎ先は良い感じで良かった良かった。あの場所に決めたのは、その手紙にもあった、例のカイシャル先生とやら、だけどまあクイデのことをよく判っていたと思うわ。周囲がお節介なくらいの方があの子はいいと思うのよね。愛情が欲しくて欲しくてたまらなさそうだったから、まあああいう直球で感情をぶつけてくれるところの方がいいわ」
「……ユルシュ様はご結婚なさらないのですか?」
ちょっと嫌味を込めてみる。
「お姉様が結婚なさるまではしないわよ。恋人は居ない訳ではないけど、結婚までしてくれる根性なさげだし」
それはそうだろうな、と私は思う。
「降嫁する気ないもの。少なくともこの施設をチェリ全体で上手く作って回す方法を確立させるまでは私にはその暇は無いわ。それに私が子供作る必要無いし」
「え、そうですか?」
「だって私でなくともまずお姉様に王配が就けばいいし、お姉様がそれは面倒だとおっしゃるならミルトやナギスが次の王になればいいし。この二人だったら、お姉様ほどでなくとも、お父様よりはまともな判断はできるんじゃないかしらね。――セインは、と」
少しユルシュ様は考える。
「大人しく、勉強し直していたけど、国政には関わらせられない。さすがに。と言っていつまでも遊ばせておくのも何だから、そろそろ何処かに臣籍降下させようか、という話はあったのよね」
「臣籍ですか」
「でもそれはそれで厄介なのよ。下手に一つの貴族の家を立てるのには、手続きと資金が必要になってしまうわ。この後アマニとトバーシュの降嫁のこともあるし、ミルトとナギスに相応のお嬢さんを入れなくてはならないし。そうすると、やっぱり飼い殺ししておくのが一番理想的ではないかと思ってしまうのね」
「当人はどうおっしゃってるのですか?」
「最近は来ないの? あの子」
「来ませんね。大人しく飼い殺されておくとは自分で言ってましたが」
「あまり暇だと、下手なこと焚き付ける奴が出てくるから、時々貴女のところへ愚痴を吐く程度に来ればいいのにね」
「そればかりは当人の気持ち次第ですから」
ふうん、とユルシュ様は大きくうなづいた。
「貴女はあれのことはどう思ってるの? 今は」
「今ですか? そうですね。手のかかる弟的な。身分としては畏れ多いですが」
「今更」
くすくす、と彼女は笑った。
「セイン王子が、ただの庶民だったなら、まあ一度仕事とは言え付き合った男だし、ということで行き先が無いなら一緒に暮らさない? とか言うかもしれませんね。根は悪いひとではないですから。宮廷内にごまんと居る質の悪い輩に比べればずっとましですよ。まあ、思い込み激しいのは、ご両親譲りなんでしょうね。一人に執着するお父上と、何かに取り憑かれたら止まらないお母上と。クイデ様はその辺りを自分で分析して何とか良い相手の方と上手くいきそうですが、下手に王子だっただけに」
「ふうん。じゃ、当人が王子は辞める、庶民になるって言い出したら?」
「いやそれは無理でしょう?」
「さて、どうかしら?」
ちら、とユルシュ様は明後日の方を向いた。
何だろう、と思ってみると、何やら見たことのある人が。
ただ、以前と違って、ずいぶんと質素な格好をしている。
「うちの職員になりたいんですって」
「はあああ?」
ほらほら、とユルシュ様はその人を手招いた。
「はい、先輩にはちゃんと挨拶をしなさいよ」
「ルセインです。宜しくお願いします」
偽名。
そして少し伸びた髪。前より筋肉がついている。
なるほど、ただ飼い殺されている訳ではなかったのか。
「貴女の直属の部下にするから。厳しく仕事を叩き込んでやってね」
そして私達は取り残された。
「何考えてるんですか」
「もう俺の方が格下です。敬語は無しで」
「住むところは?」
「この建物の中に用意してもらいました。院長は俺の正体は知りません。読み書き計算のできる男、ということで」
「貴方馬鹿ですか」
「そうですね」
そう言って、王子を捨てた男は、私に向かって微苦笑した。
私ももう、こうなったら苦笑するしかなかった。