王太子の夏離宮滞在は二週間程だった。
その間セレジュは毎日の様に伯爵夫人にうながされ、夏離宮へと通わされた。
その隙を縫って、俺達はひたすら六角盤に向かった。
「駒だったらそれでも上手く動かせるのにね」
通い出してから、めっきりセレジユの機嫌が悪くなった。
と言っても、かつて馬の鞍の件で叫んだ時の様なものではなかった。
それまでになく、酷くいまいましそうに、低い声で。
「辛いのか?」
バーデンは訊ねた。
「辛いって言うか、退屈だし、疲れるし、話してる内容がつまらないもの」
「王太子様はどんなことをセレジュと話すんだ?」
「……記憶に無いわ」
一応少しの間考えてから彼女は言った。
おそらくその場に合わせてそれらしい応答をした、ということだろう。
「向こうが内容のある話をするならそれに答えられるし、覚えてもいられるけど、何かずっとお天気の話ばかりして感じなのよね」
「ああ、でもなセレジュ、そのお天気の話ってのは大概きっかけだろ?」
「まあね。それは判るわよ。で、『会話』をして、その反応でどういう気持ちを持っているのか探るのよね。お母様もその辺りを私に散々注意してきたわ。地を出すな、ってね!」
地は今出しているものだ。
よっぽど鬱憤が溜まっているのだろう。
その日のセレジュの攻め方は強引だし自棄になっているとしか思えなかった。
「あー! 駄目だわ」
大きく息を吐きだし、彼女はテーブルに伏せた。
「できるだけ無難に私のことを嫌ってくれないかしら、王太子様」
「好かれてるの?」
俺は慌てて訊ねた。
「残念ながらそういう視線がびんびん飛んできているわ」
「でも王太子様にはもう婚約した方があるんだろう?」
「だ・か・ら、お母様は側妃を狙っているのよ! 私に」
「側妃?!」
「いやそれは前々セレジュには似合わないだろ」
バーデンはずばりと言った。
俺もそう思った。
能力ではない。
求められる役割というものだ。
正妃はそれこそ「女王」の駒の様に、自由自在に動いて王を守って補佐する役だ。政治的権力もある。
だが側妃はこの盤の上には居ない。
盤の外で、子供を産むだけに必要とされる存在だ。
「俺はむしろセレジュは伯爵家を継いで領地経営をする方が似合ってると思うぜ」
「本当にそう思う?」
俺達は黙ってうなづいた。
彼女の表情が一気に明るくなる。
だがすぐにそれは陰った。
「うちはお母様が強いから駄目よね。お父様がもっとお母様にびしっと言ってくれればいいのに。私だって、あんた達の様に留学して、もっと勉強も、向こうの将棋も知りたいのに!」
だが娘が留学、というのは貴族社会ではありえないことだった。
そしてそれが俺達の最後の幸せな夏となった。