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始動

「春香、また苦しんでいるみたいだね」

 私の胸の中で、ウサギがつぶやいた。

「え」

「わかるよ」

 黒いボタンの目が私を捉えた。

「虐められてるの?」

 瞬間、私の体が凍りつく。喉の奥が焼けるような痛みと共に、フラッシュバックのように記憶が押し寄せる。

 教室でのいくつもの笑い声。床に散らばった弁当。清掃時間の汚水。更衣室で撮られた写真。そして机の中の無数の紙切れ—『死ね春香』『消えろブス』—心を刺す言葉の数々。

 私の体から伝わる痛みを感じ取ったかのように、ウサギの片目のボタンが微かに赤く光った。

「大丈夫だよ。僕が春香を守ってあげる」

 その言葉に私は甘い安堵感を覚えた。まるで毒入りのキャンディーを口にしたような、危険な安心感。けど、まだこの時は知らなかった。これが、血で血を洗う悪夢の始まりになるなんて。


「君は何も心配しなくて良い」


 ウサギの口元が、人間の口のように大きく裂けた。私はその奥に、無数の牙が並んでいるのを見た気がした。




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