「随分大きくなったね」
その声は、まるで長年使われていなかったオルゴールが急に動き出したような、軋んだ音色を帯びていた。
恐怖で背筋が凍る。私は這うように後ずさろうとしたが、腰から下が重い鉛のように動かない。床に転がったウサギが、ゆっくりと、不自然な角度で首を曲げながら這い寄ってくる。
「どうしたの、春香?怖いの?」
ウサギの声は甘ったるい。
「嬉しいな、君の匂い……。十年ぶりかな。でも僕は、ずっと覚えていたんだ」
「嘘...嘘よ...」
私の声が震える。胸元のペンダントを思わず握った。
「ぬいぐるみが...話すはずない...」
ウサギは薄汚れた手足をひきずりながら、さらに近づいてきた。片方のボタンの目が、濡れたように光っている。
「嘘じゃないさ。覚えてるだろ? 君はよく僕を抱きしめて眠っていた。その時、僕は君と一緒に羊を数えたじゃないか」
確かにそんなことをした記憶はある。でも、あれはあくまで私のひとり遊びで。母が入院して、寂しくて、それを紛らわすためにやっていたことで。
「違う」
私の考えを見抜いたかのようにウサギは言う。
「僕は本当に話していたんだ。君は羊を数えるとすぐ眠ってしまった。僕は、君の寝息を聞きながら、僕は何時間も君の髪の匂いを嗅いでいたんだ」
ウサギの声が上擦っていく。
「幼い頃の君は全てが愛おしくて」
その口元が、人間の唇のように赤く染まった。
「本当に食べちゃいたいくらいだった」
私は喉から悲鳴を上げようとしたが、声が出ない。
「大きくなって君も素敵だ。綺麗な髪、白い首筋、なんて素晴らしいんだ」
「違う、私のウサちゃんは、こんな……」
「違う?」
ウサギは首を大きく傾げた。
「違わないよ。僕は君をずっと待っていた。ここで、ずっと」
ふと、私はその声に、どこか湿った響きが帯びているのを感じる。
「ずっと待っていたんだ。暗くて怖くかった。でも、いつか春香が来てくれると信じていた。寂しくなった時は、春香が教えてくれた歌を歌った。ねえ、春香」
人形が、私に両手を差し出す。
「もう一度、僕を抱きしめて」
真っ白の体を、恐る恐る私は引き寄せる。埃の匂いが鼻をついた。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。