私は誰だ。ここは、どこだ?荒野を歩くのだ。ただぼんやりと。
歩くのだ。ここはどこだ。トンネルを歩くのだ。ただぼんやりと。
トンネルを抜けると、そこはトンネルだった。そのトンネルを抜けると、またトンネルだった。
私は、ここか。ここにいるのか?
荒野にはいつ戻れるのだろうか。そもそも戻るべきなのだろうか。私は目的を見失っていた。言葉の意味が、曖昧だった。
トンネルを抜けると、芸術はあるか。読んで字のごとく、芸事と術にまみれた、それはそれであると思うのであった。
「ずいぶんと、熱中しているね」
金色の光がサンルームに差し込んだ。私は何かを作っていた。それは世界で、荒野だった。
とある芸術家の噺。楽しいお話、おたのしみ。
趣味に勤しんで、熱心でありました、荒野を歩くように、私は我を忘れてものを作りました。自分のことなどどうでもよかった。自分が誰であったとしても、私は一向に興味が無い。それよりも、私の作った愛しき子らの、つまりは作品の事こそが重要だった。
愛しき、我が子。
誰との子?
何を作ろうか。さあ今日もサンルームへ。ここである必要は、ひょっとしたら無いのかも知れないが、ともかくも私はみんなが大好きだった。
お日様に、当ててあげなくっちゃね。
干からび、綻び、乾いてゆくその絵本たち。日の目をみたか、天道虫は、そこにいたか?
ついでに私は、読みかけの本を日光にさらしました、それはきっと老化するでしょう。私の中でもその思い出は、擦れて薄れて、古くなるでしょう。
それでも、読んだ本も、作ったものも、私はすべてを太陽に当てたかった。
日の目を、見せてあげたかった。
よし、今日もサンルームへ。うん。そうそう総合的に。日常含めて芸術である。
「そうだよ」
ところで、最近少し気を張り過ぎたかも知れないな。
腰が痛い。足が痛い。うーん困った。どうしたものかね。恐らく荒野だと思うのだ。私は荒野を歩いている。走っているか、歩いているか?
本当に、そうなのだろうか。トンネルを抜けると、トンネルだった。
ゆらゆらと移ろう誰かの気配。どこかから持ってきた受け売りの言葉。金色の光がここにも差して、場所が変われど、心地好い。
サンルームは、どうなっただろうか。
歩くのだ。ここはどこだ。荒野を歩くのだ。ただゆっくりと。
荒野なのだ。私はここだ。ただ歩くのだ。ただししっかりと。
自分を犠牲にして、作りたいものがある。私にはそれがありました。金色の光が目に飛び込んで、私は不安定に生まれました。
疑問符と、ともに。芸術ってそういうもの。飽くまで持論。それは不安定で、複数の意味を持ち、原型をとどめず、ゆらゆらと。
作る。そう。それでいいのだ。自分の事など、どうでもよかった。
迷走の、瞑想の、迷妄のトンネルを、抜けたらそこは病院だった。
私は目を覚ました。長い長い夢を見たようだった。
友がいた。見舞いに来ていた、彼女はたいがい、私の芸術を見てくれる部類だった。
「なにかね、私は死んだのかね」
あの世かと思ってそう訊ねた。すると友は簡潔に答えた。
「心配には及ばない。きみは回復している。なに、ただの熱中症だということだよ」
そうか。それならまあ。いや違う、サンルームは?どうなっている?
「どうもこうも。あるよちゃんと。一日二日空けたところでどうという事は無い。それよりもきみは、自分を省みるべきだ。この間の奇妙な事。聞いて驚いてしまったよ」
私は暫く前に、息抜きにと思ってレストランに並んだ時、順番待ちのところに、自分の名前が書けなかったのだ。そう、思い出せなかった。
「だから言っただろう?きみは――」
説教をされた。そして私は彼女に言った。
「なあ、友よ」
なんだい、と簡潔に返事をされて、それに。
「私と、兄弟にならないか」
疑問が、彼女に浮かんだだろう。兄弟なのか?姉妹ではなく?
すると、彼女は、私をじっと見て、そして答えた。
「やめておくよ」
何故?そうか、残念だが、理由を聞かせてはくれまいか。
「私ときみは、似通いすぎている」
なんだって?
「よくないんだ。そういうのは」
えぇ?なになに?
「ほら、またそういう顔をする。崩せよ、もうちょっと悲しそうにしてくれたら、私も考えない事もないんだがねえ」
えー、ではですね。そう語りだす教授がいた。ではですね、今日はZ。ズィーの話をしようと思うのです。XとYと、それとZ。対を成す子を眺めるZがいるのです。飽くまで、観測者がいる上で。あるいは作成者がいる上で。世界は成り立つ。芸術も荒野も。光差す場所へ、立つべきはズィー
わからない?