夢を見ていた気がした。そこには一冊の本があった。幼い私には少々理解が追い付かない、むつかしい事が書かれた本だった。
こういう事が、書いてあった。
「今日はZ。ズィーの話をしようと思うのです。
XとYと、それとZ。対を成す子を眺めるZがいるのです。
飽くまで、観測者がいる上で。あるいは作成者がいる上で。世界は成り立つ。芸術も荒野も。光差す場所へ、立つべきはズィー」
この文はいったい何なんだろうか。
「わからない?」
分からなかった。
しかし、どことなく惹かれる雰囲気を感じて、私は少し考えてみた。対を成す、ですか。そういえばこういう言葉があったっけ。
「魂の、片割れ」
声は私に話しかけてくる。魂の片割れ?それはつまり、私の、対のもの。
「何が正常で」
うん。
「何が異常か」
うんうん。
「指標――それは、計測器」
魂の片割れは、自分が例えば正常な判断を失い、まるでゼロとは言い切れない危険に陥った時、自分の異常を感じさせてくれる、鏡。そうだ鏡なんだ。
「おまえには、それがない」
え、ないの?
その直後、私の自我は、音を立てるか、あるいは無音で崩れ去った。それがどちらなのかは分からない。だって鏡が無いんだもの。
「愛せよ」
そんな言葉が、聞こえた気がした。
そして私は目を覚ました。幾度となくこれまで感じてきた、覚醒する、というこの感覚。その時点までの過去を否定し、あれは夢だったのだと諭すもの。
私はただ、単一の精神。私はただ、いつも独り。しかし、それでも。そんな自分でも。
愛せよ。ほかの誰にも理解できない、おまえの、私の、私だけの世界。相手に向かったその言葉は、球の中で反響して私に帰ってくる。
恋とかって、いいなって思った。私は書店にある漫画本に憧れた。できるだろうか?私にも。
ああ、そうだそうそう、できない訳は無いだろう。私には私がいるからね。いいんだ。とても。ああ、いい気分だ。
そしてまた、目が覚めるような予感がした。