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第33話

「……許せない」


怒りで身体が震える。

確かに、不正を働いたのはよくない。

けれど事情を聞けば右田さんの行動を支持したくなる。


「いいんだ。

悪いのは僕だ」


顔を上げた右田さんは、なにもかも諦めた顔をしていた。

ただ、怒るしかできない自分が恨めしい。


「……砺波さん。

海星」


しかしここには法律の専門家が、頼もしい旦那様がいるのだ。

彼らならきっと、なんとかしてくれるはず。


「わかってる」


レンズ越しに目のあった海星が静かに頷く。


「右田さん。

高野森さんは、今度は自分たちが右田さんを助ける番だ、とも言っていました」


それを聞いて右田さんの顔が上がる。


「その施設についてはいろいろ不正があったという証拠を掴んでいます。

高野森さんも自分が知る限りの話をしてくれると約束してくれました。

右田さんも口止めされている事案があるんでしょう?」


じっと海星の顔を見つめたまま、右田さんはなにも言わない。


「会社を、告発しましょう」


驚いたように右田さんが大きく目を見張る。


「……いいんですか?

自分の親の会社ですよ?」


「元、親の会社です。

もうあの人たちとは縁を切りましたからね」


悪戯っぽく海星が笑い、ようやく右田さんも気が抜けたのか、つられるように少し笑った。


「これだけじゃなく私、いろいろ不正の証拠、握ってるんですよね。

あの人たち、私に知られてないと思っているようですが、全部バレバレなんですよ。

バレたら私に罪を被せるつもりだったみたいですが、その私に告発されるって、どんな気分でしょうね?」


本当に愉しそうに海星が笑い、背筋がぞっとした。

やっぱり頭の切れるセレブを敵に回してはダメだ。

それは右田さんも同じだったらしく、怯えた顔をしている。

砺波さんはおかしそうに笑っていたけれど。


その後は海星と右田さん、それに砺波さんを交えて相談をしていた。

上手くいくように祈る……いや。

私が祈らなくても上手くいくのだろう。


レジデンスに帰り、そろそろいい頃合いになったので、あれを持ってトイレに入った。

できればすぐに結果を海星に知らせたかったので、彼がいるときがいいと思っていた。


結果が出るのを祈る思いで見つめる。

そうだと確信していたが、違っていたら?

海星、がっかりするかな。


少しして浮かび上がってきた結果を見て、歓喜が全身を駆け巡る。

すぐにトイレを飛び出た。


「陽性!」


「ようせい……?」


いきなり私に抱きつかれ、海星は完全に困惑していた。

けれど、そんなのにかまっている余裕はない。


「陽性!

陽性だったの!

妊娠した!」


「にん……しん?」


しばらく彼はその言葉の意味を考えていたが、理解すると同時にその顔がみるみる輝いていく。


「ほんとか!?

本当なんだな!?」


私の肩を掴み、海星はぐらんぐらんと激しく揺らした。


「間違いないです。

検査キット、使ってみたら陽性だって結果が出て」


手に握ったままだった検査キットを見せる。

彼は信じられないといった顔で私と検査キットのあいだに視線を往復させた。


「やったな!」


今度は海星のほうから私を抱き締めてくる。


「あー、もー、幸せすぎて泣きそう……」


そう言う海星の目尻には涙が溜まっていた。


「私もです」


ちゅっと彼が唇を重ねてくる。

こんなに喜んでもらえるとは思わなかったし、それになにより彼の子供を身籠もれて、嬉しい。


「でも、あとほんのちょっと早くわかっていれば、海星が社長になれたんですよね……」


一士本部長の奥様の妊娠が告げられて、まだ半月しか経っていない。

こればっかりは私の身体の都合だから仕方ないが、それでも悔しかった。


「ばーか。

言っただろ?

別にどうしても社長になりたいわけじゃない、って。

まー、この告発で遅かれ早かれあの会社はなくなるだろうしな」


海星の掴んでいる不正の情報は多岐におよび、脱税から賄賂、一士本部長を含む役員の性加害にまでおよんでいた。

きっとこれらの証拠を掴み、従順に従うフリをして虎視眈々と復讐するそのときを待っていたんだから、恐ろしい。

やはり、海星は絶対に敵には回してはいけない。

でも、今までそれだけ踏みにじられ、いいようにされてきたんだから、気の済むまでやればいいと私は思っている。




その後。

海星らの内部告発は世間を騒がせた。

これまで煮え湯を飲まされてきた社員たちからも複数の証言が出てきて、会社は風前の灯火だ。

さらにどこから漏れたのか、長男と次男、跡取りを巡って骨肉の争い! などと面白おかしく騒ぎ立てられるのは腹が立つ。


「骨肉の争いって、海星は相手にもしてなかったっていうのに!」


「まー、怒るな。

胎教に悪いぞ」


「うっ」


彼に指摘され、口を噤んだ。


「それにしてもこれ、本当なんですかね……?」


つい、なにを書いているのか確認したくなって買った週刊誌だが、そこには一士本部長の奥様、ダイヤさんの赤裸々な生活の実態が載っていた。


「こんなものを買うなんて、花音は物好きだな」


呆れるように海星が肩を竦める。


「だって……。

事実と違う海星の悪口書いてあったら、嫌じゃないですか」


「そういうチェックは胎教に悪いからやめておけ。

それに言いたいヤツには言わせておけばいい。

甚だしい嘘はあとでまとめて、訴えてやるしな」


相変わらず海星の手は厳しい。

自分で買っておいてなんだが、週刊誌記者さんの平穏を祈っておこう。


「で。

この記事は概ね、事実だな」


ダイヤさんのホスト通いは会社でも噂になっていたが、結婚しているにもかかわらず複数の男性と関係を持ち、お腹の子の父親は本当に一士本部長か疑われていた。


「慌てて親子鑑定したら、一士は父親ではないと断定されたらしい。

それで、この電話だ」


本当に嫌そうに海星がため息をつく。

先ほど、社長から海星の携帯に電話がかかってきた。

携帯は一度解約し、番号が変わっているにもかかわらず、だよ?

しかも家族の携帯からだと出てもらえないとわかっているのか、人に借りた携帯からだよ?

その執念が恐ろしい。


「先に跡取りをもうけたのは俺だから、約束どおり社長にしてやる。

すべてを水に流すから帰ってこい。

……だとさ」


「なにそれ」


海星は呆れ果てているが、私も同じだった。

〝してやる〟って上から目線で何様?

水に流すからって、そうやって勝手に忘れようとして。

仮に今までの失礼をすべて謝罪するからと言われても私なら許さないけれど、海星はどうなんだろう。


「俺は会社に戻る気なんてまったくない。

あんな会社、潰れてしまえ」


海星の物言いは厳しいが、いったん肩の荷が下りたからだと思う。

右田さんとの話し合いのあと、海星は関係会社にこれから世間を騒がせ迷惑をかける旨、頭を下げて回った。

同時に自分のツテを頼りにこれから出るであろう大量の退職者の再就職先も確保し、自分もようやく退職にこぎ着けたところだ。

本当に凄い人で、改めて尊敬した。


「それよりしばらく時間できたし、なにするかなー?

どうせ今、仕事を始めたところで、すぐに子供が生まれて育休に入らないとだしな。

それなら子供が幼稚園入れる年になるまでのんびりするのもありだな」


なんか普通じゃない予定が出てきたが、聞き間違いですよね……?


「そんなに長く休んで大丈夫なんですか……?」


少なくとも三、四年にはなるはずだ。

私としては保育園に預けられるようになる頃から就活始めるつもりだったんだけれど?


「んー?

高校生の頃から投資やってるし、個人で持ってる物件もけっこうあるから……」


彼が耳打ちした収入は、私が思っていたよりもずっと多かった。


「だったら働かないでも大丈夫……ですね?」


そういう問題なのか?

考えちゃ負けよ、花音。


「まー、しばらくはのんびりしながらやりたいことを探すよ。

これからはなんでもできるからな」


嬉しそうに海星が笑い、胸が切なく締まる。

ずっと海星は親に押さえつけられ、やりたいこともできなかった。

これからはもう、なんでも好きにできるのだ。


「きっとこれから、忙しくなりますね」


「だからのんびり……」


「海星がしたかったこと、全部しましょう!

あ、でも、私は妊婦なんでいろいろ制限ありますけど。

すみません」


「いや、いい。

そう言ってくれるだけで嬉しい」


泣き出しそうに眼鏡の向こうで海星の目が歪む。

私はずっとひとりで頑張ってきたこの人を、絶対に幸せにするんだ。

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