土曜日、実家へ向かう海星は硬い顔をしていた。
私だってあそこになんて、彼を行かせたくない。
しかし呼び出されたからには、行かないとまたなにを言われるかわからない。
通された座敷には今日も、誰もいなかった。
おかれた座布団は六つ。
上座に四つ、下座に二つだ。
海星は迷わず下座に座った。
今日はさほど待たされず、社長夫婦と一士本部長夫婦が現れた。
しかも上機嫌だ。
「わざわざ来てもらって悪かったな」
どさっと横柄に社長が座る。
腰を下ろした他の面々も、気持ち悪いくらいニヤニヤと笑っていた。
「話というのはな。
ダイヤさんが身籠もったのが判明してな」
勝ち誇った顔で廊下側の一番端に座っている、派手な女性――一士本部長の奥さんが笑う。
「それはおめでとうございます」
頭を下げる海星にあわせて私も下げた。
……ああ。
私は海星を社長にしてあげられなかったんだ。
血の気が一気に引いていく。
そのせいか視界が暗い。
「約束どおり、一士に後を譲る」
「悪いな、海星」
悪いなんてちっとも思っていない顔で、にやりと醜く一士本部長が笑う。
海星さんがどんな顔をしているのか怖くて見られない。
今後について社長はいろいろ言っていたが、私の耳には入っていなかった。
めでたい日だから食事をしていけと料理が出される。
あんなに海星と同席すら嫌がっていた義母だが、一士本部長が後を継ぐと決まって機嫌がいい。
「ダイヤさん。
うちの一士の子供を身籠もってくれて、本当にありがとう」
「いえ、お義母様。
これも盛重の嫁の勤めです」
ちらりと私に視線を送り、これ見よがしに義母とダイヤさんがバカにするように笑う。
「そうよねぇ。
それにあちらの方は盛重の嫁ではないらしいし。
あら?
ならなぜ、こんなところにいるのかしら?」
私を嘲る笑いは続いていく。
けれど私はそれに反応する気力すらない。
「海星もせっかくその女と結婚したのに、無駄だったな」
一士本部長の指摘でぴくりと指が反応する。
「右田にその女を誘惑するように指示を出したオレも、無駄だったけど」
おかしくもないのに一士本部長が笑う。
「……指示を、出した?」
それであの日の、右田課長の不自然さに合点がいった。
一士本部長に指示されて、彼は不本意ながら私にキスしたりあんな態度を取ったりしたのだ。
どうして一士本部長に従ったのかは疑問が残るが、きっとなにかを盾に脅されたに違いない。
「……あなたのせいで右田課長は」
ふつふつと怒りが湧いてくる。
そこまで彼にさせておいて一士本部長は右田課長を切るつもりらしく、よくて左遷、悪いと解雇の処分が下りそうだと海星さんは言っていた。
「お?
なんだ」
不穏な空気を感じ取ったのか、一士本部長が身がまえる。
「あなたなんて……!」
「花音」
勢いよく立ち上がり、開いた口は海星の手に塞がれた。
「落ち着け」
彼に目配せされ、なにか考えがあるのだとおとなしくする。
「次の社長もこの家の跡取りも決まったようですし、もう私の役目も終わりかと思います。
私は戸籍も抜いてこの家から離れます。
会社も去ります」
「かい……せい?」
真っ直ぐに家族を見つめ、静かに語る彼がなにを言っているのかわからない。
「あとはあなた方でお好きになさってください。
愛人の子である私を育てていただき、ありがとうございました。
お世話になりました」
海星が頭を下げたが、誰もが黙っている。
それくらい、彼はなにも言わせない空気を醸し出していた。
「花音。
もうここに用はないから行こうか」
私の背を押し、彼が行こうと促す。
しかし部屋を出かかったところで立ち止まり、海星は振り返った。
「ああ」
いまだに固まっている一同を彼が見渡す。
「私の妻をバカにするのは、いくら家族でも許しません。
……いえ。
もう家族ではないのでしたね。
家族なら多少温情で手加減いたしますが、家族でないのなら」
一度、言葉を切った海星の目が眼鏡の奥で切れそうなほど細くなった。
「……徹底的にやり返してやる」
彼の声は地の底にまで響きそうで、魂まで冷える。
それは他の人間も同じだったみたいで、みるみる顔の色が失われていった。
「いこう、花音」
今度こそ、海星と一緒に車へ向かう。
彼がロックを解除するタイミングで我に返った社長と一士本部長が追いついてきた。
「海星!
キサマ、どういうつもりだ!?」
社長が海星の胸ぐらを掴む。
海星はそれを、冷たく見下ろした。
「どういうつもりも、先ほど言ったとおりですが」
「兄弟仲良く揃って会社を盛り上げていかなくてどうする!?」
仲良くなんてどの口が言っているのだろう。
海星をあんなに酷い扱いしておいて。
「そうだぞ!
兄は弟を助けるのが当たり前だろ!」
いまさら家族面をしてくる彼らに反吐が出る。
しかもそうやってご機嫌を取っているつもりなんだろうが、本音が透けて見えて気持ち悪い。
「はぁっ。
やめてもらえますか」
短くため息をつき、海星が社長の手を払いのける。
「今まで私はあなたたちに尊厳を踏みにじられ、酷い扱いを受けてきました。
もうこれ以上、あなたたちのいいようにされるのはごめんです」
「なんだと!」
再び社長が海星の胸ぐらを掴む。
「育ててやった恩を忘れよって!」
「忘れた?
先ほど、感謝して差し上げましたのに?」
薄らと彼が笑う。
見下すそれは触れるだけで切れる日本刀のようで、社長と一士本部長の喉仏が緊張からかごくりと動いた。
「とにかく。
今後一切、あなたたちとは関わり合いにはなりたくありません。
会社は引き継ぎ等がありますので今しばらく籍は置きますが、それが終われば完全に縁を切ります。
では」
海星に押し退けるように振り払われ、社長が尻餅をつく。
目で車に乗るように言われ、シートに座ってシートベルトを締めた。
無言で海星が車を出す。
「かいせーい!」
すぐに社長と一士本部長の怒号が追ってきた。