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第27話

「花音、おはよう」


今日も海星にキスで起こされたが、瞼を開けてちらっとだけ見てまた閉じ、もそもそと布団に潜り込んだ。


「かーのーんー。

起きないと遅刻するぞー」


彼が私を揺すってさらに起こしてくるが、断固拒否だと布団にしがみついた。


「ほんとに遅刻するぞ!」


おりゃっと勢いよく布団を剥がれ、それでもまだ身体を丸めて起きない。


「なー、なんか怒ってる?」


ため息をついて海星は私の枕元に座った。

また彼をちらっとだけ見る。


「かーのーんーさん?」


完全に彼は困り果てているが、言わせてもらおう。

誰のせいで朝だというのに、まだ身体がだるいと思っているんだ。

昨晩ももう無理だっていうのに何度も求めてきて。

だいたいあれだよ?

先週末の身籠もり旅行はちょうど、排卵日近辺だったのもあったわけで。

帰ってきてまでこんなにスる必要はない。


「仕方ないだろ。

今日は花音も俺も泊まりで出張だし。

その分、花音を充電しておかないと、死ぬ」


「……死ぬんですか」


深刻そうな彼がおかしくて、つい頭を上げていた。

その隙を見逃さず、海星が私を抱き起こす。


「そう。

一晩花音と会えなかったら、死ぬ。

だからいっぱい、花音を充電しておかないといけないの」


証明するかのように彼がキスしてくる。

なんかもうそれで、許していいかという気になっていた。


私がぐずぐずしていたせいで家を出ないといけない時間が迫っており、急いで準備をする。

今日は車に向かう私の手にも海星の手にもキャリーケースが握られていた。


「同じホテルに泊まるのに、部屋は別とかやめてほしいよな」


運転しながら海星は不満げだ。


「仕事だから仕方ないじゃないですか」


今回の出張はある施設の落成記念パーティに招待されていた。

私が入社してやっと一人前になった頃から携わっている仕事で、それからもう五年になる。

そのあいだに携わっている人間も変わり、いつの間にか私が右田課長の下で取りまとめをするようになっていた。


「確かに仕事だけどさ……」


まだ彼は文句を言っているが、だから昨日あんなにシたのでは? と口から出かかったがやめておいた。


午前中は普通に仕事をし、午後から右田課長の運転で出発する。

海星は朝から別件で出掛けていて、別で行く。

そもそも、私たちは担当だから招待されているが、海星は関係企業の重役として招待されているのだ。

私たちとは待遇から違う。


車の中で右田課長はずっと無言だった。

FMラジオからパーソナリティの明るい声が虚しく響く。


……き、気まずい。


海星が迎えに来てくれたあの飲み会から、右田課長とは仕事の話しかしていない。

あんな話を聞かされて、どんな顔をしていいのかわからなかった。


途中、トイレ休憩をかねてコンビニへ寄ってくれた。

用事を済ませ、喉が渇いていたのでお茶を買って店を出る。

右田課長は外で、誰かと電話をしていた。

すぐに私に気づき、ロックを解除してくれる。

小さく頭を下げ、先に乗って待った。


「待たせたな」


「いえ」


少しして戻ってきた課長はシートベルトを締め、車を出した。


また、無言が車の中を支配する。

あと一時間はこの状況に耐えなければならない。

今までなにを話していたっけ?

考えるけれどちっとも思い出せない。

けれど少なくとも、こんなに居心地の悪い時間ではなかったのだけは確かだ。


「盛重さんはなにも聞かないんだな」


唐突に声をかけられ、飲みかけていたお茶が変なところに入る。


「ごほっ、ごほっごほっ、ごほっ」


おかげで盛大にむせた。


「あ……。

すまん」


申し訳なさそうに課長が詫びてくる。


「……はぁ。

いえ」


呼吸を整え、どうにかそれに応えた。


「それで。

あんな話を聞いて、僕になにも聞かないんだな」


その問いにはどう答えていいのか困った。


「その。

ああやって第三者から勝手に話をされるのは、右田課長も不本意じゃないのかなって思って」


だからこそ、聞かなかったことにするのがいいと思っていた。

なのに彼から話を振られて、どうしていいのかわからない。


「盛重さんらしいな」


小さく笑った課長は、どうしてか淋しそうに見えた。


「僕は盛重……あえて坂下さんと呼ばせてくれ。

僕は坂下さんが好きだったよ」


そういう課長の顔は、さっぱりしている。


「改めてこんな話を聞かされても困るとは思うけど。

でも、僕の口からきちんと気持ちを伝えておきたかったんだ」


吹っ切れた、彼の表情からはそう読み取れた。


「いえ。

尊敬する右田課長にそう言っていただけて嬉しいです。

ただ、気持ちには応えられないですが」


「いや、いいんだ。

結婚してしまった君に後出しでこんなことを言うのは僕の傲慢だとわかっている。

聞いてもらえただけ、嬉しい」


こんなふうに言える課長はやはり、誠実で素敵な人だ。

もし、海星より先に彼に告白されていたら、高志と別れて課長と付き合っていたんだろうか。

想像してみたが、少しもできない。

課長には悪いが私にとって右田課長はあくまでも尊敬できる上司であって、運命の相手はやはり海星なのだ。


会場であるホテルに入る。

宿泊する部屋も同じホテルに取ってあった。

私と右田課長はシングルだが、海星はスイートらしい。


一度、部屋に入り持ってきたドレスに着替える。

紺のミモレ丈Aラインドレスは今日のために海星が買ってくれたものだ。


「いい、かな?」


鏡の前で回り、姿を確認する。

髪は巻いて甘めのお団子に結ったが、黒縁眼鏡は健在だ。


「仕方ないよね」


つい、苦笑いが漏れる。

絶対に眼鏡は外さないように今日も海星から言われた。

これが男避けになっているのなら、従うしかない。


パーティは普通といえば普通だった。

私も、右田課長も挨拶回りが忙しい。


「この度は大変お世話になりました」


「えっと……」


相手の男性はぼーっと私を見ていたが、挨拶をされて戸惑いの表情を見せた。


「盛重……坂下です」


「ああ!

坂下さん!」


私が名乗り、合点がいったとばかりに彼は明るい声を上げた。


「すっかり変わられていて、驚きました」


「ありがとうございます」


苦笑いでそれに答える。

最近は対面でのやりとりをほぼしていなかったので、ほとんどの人が同じような反応だった。


にこやかに相手と会話を交わしながら、前方の人だかりをさりげなく見る。

そこでは海星が、多くの女性に囲まれていた。


「マグネイトエステートの社長の息子さんなんですか」


「ええ、まあ」


会話をしながら海星の視線がこちらを向く。

目のあった彼は私にだけわかるように、右の口端を僅かに持ち上げた。


……なにあれ!

デレデレしちゃって。


私には人に盗られると困るから眼鏡を外すなとか言っておいて、自分はあれとか許せない。

やっていられないと、お酒を呷ったのがいけなかった。

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