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第26話

「……ん」


寝返りを打ったら、なにかが身体に当たった。

目を開けたら海星が密着している。


「おはよう」


「……おはよう、ございます」


まだはっきりしない頭でさらに彼に身体を寄せた。


「まだ眠いのか?」


こくりと頷き、また目を閉じる。


「もうすぐ朝食の時間だけどな」


「……朝ごはん、いらない……眠い……」


もうすでに、意識は再びとろとろと溶け始めていた。


「わかった、断っておく」


布団を出ていこうとした彼の腕を掴む。


「いっちゃ、ダメ……」


「わかった、わかった」


私の頭を軽くぽんぽんし、彼は私を抱き寄せた。

それで満足して、また眠りに落ちた。




「……旅館の朝ごはん、楽しみだったのに」


目の前に座る海星を、上目遣いでジトッと睨む。


「いらないって言ったのは花音だろ」


「うっ」


そう言われると反論できない。

そういえば、言ったような気もする。

あれから予定の時間に間に合わなくなると海星に起こされた。

昨晩、汚れた身体を温泉でさっぱりさせ、ブランチで近くにあるカフェに連れてきてもらっていた。


「でもですね、海星が昨晩、寝かせてくれなかったせいじゃないですか」


それでも果敢に、反撃を試みる。


「……海星」


噛みしめるように自分の名を言い、彼は溢れ出る喜びを堪えるように唇をむにむにと動かした。


「やっと花音が呼び捨てしてくれた」


「あー、えっと」


そんなに嬉しそうに言われると恥ずかしくなるのでやめてもらいたい。


「今日はほどほどにして、明日はちゃんと起きれるようにしてやるからいいだろ」


「だったらいいですけど……」


あの、限界というものを知らない海星様が、本当にほどほどでやめてくれるのか疑わしいが、渋々納得しつつパスタを口に運ぶ。

とはいえ、このカフェのパスタは大変美味しい。

入っているベーコンと、別で取ってくれたソーセージは自家製だそうだ。

使っている野菜も近くにある、マスターの実家で作っているもので、毎朝穫りたてを届けてくれるので新鮮だ。

そのせいか普段食べているものよりもサラダはシャキシャキしている。

昨日のお昼のピザ店もかなり美味しかったし、きっと今回の旅行のために海星はいろいろ調べてくれたんだろうな。

そういうのは嬉しくなっちゃう。


美味しいブランチを堪能したあと、連れていかれたのは写真館だった。


「えっと、海星?」


「俺たち、結婚式まだだろ。

だから」


お店の方から説明を受けながら、海星が指した窓の外には道を挟んで小さな教会がある。


「あそこで簡単な式が挙げられるんだ」


結婚式はゆっくり、私の家族だけを招待して挙げようという話はしていた。

なのになんで?


「きちんと式場を手配して式を挙げるとなると、今から予約しても何ヶ月かかかるだろ?

そうなると花音は妊婦になっているだろうし、いろいろ制約もかかってくると思う。

子供が生まれて落ち着いてからってのもありだけど、その場合はそこまでおあずけなのが俺が耐えられない。

だからとりあえずだけど挙げたかったんだ。

ダメ、か?」


上目遣いで少し不安そうに彼が私を見つめる。

それにううんと首を振った。


「ありがとうございます、海星」


彼がそこまで考えていてくれたなんて思わなかった。

最高のサプライズだよ。


ドレスはかなりの枚数から選べた。

ここで小さな結婚式を挙げる人は多いらしく、そういうプランがあるらしい。

もちろん、今回はそのプランだ。


「どれにしようかな……」


気に入るドレスを選び、着せてもらったが。


「うっ」


鏡を見て固まった。

首筋にくっきりと昨晩、海星がつけた歯形がついているうえにキスマークもそこかしこに散っていた。


「……海星」


「どうした?

似合ってるけど」


私が不機嫌で海星は不思議そうだ。


「誰かさんがいっぱい、いっぱい……」


みなまでは恥ずかしくて言えず、声はそこで詰まっていく。

今日、こういう予定ってわかっていたんなら、つけないでくれたらいいのに!


「あー、うん。

ドンマイ」


ようやく私が言いたいことを悟ったのか、慰めるように彼が肩を叩いてくる。

いや、悪いのはあなたですが!?

結局、立ち襟でデコルテ部分はレースで隠れるものにした。

それでも肩の出るノースリーブはセクシーで気に入っている。


「眼鏡はどうしましょう?」


メイク担当のスタッフから当然、尋ねられた。


「なしで」


珍しく、海星が眼鏡なしを決める。


「でも、ないと見えないんですが……」


「式のときと写真撮るときだけ外せばいいだろ」


それはそうか。

移動のときは眼鏡をかけていいんなら、それほど支障はない。

でも本当にいいのかな、いつも海星は私に人前で絶対に眼鏡を外すな、って言うのに。


私が準備をしているあいだに海星もタキシードに着替えていた。

ただ、パンツの裾が……。


「……短い」


「あ、足が長くていらっしゃるので……」


スタッフの女性が焦っていて気の毒になった。

それでなくても無駄に背が高いせいで、選べる幅が少なかったのだ。


「仕方ない」


困ったように小さくため息をつき、海星は店を出ていった。

どうしたらいいのかと気を揉みながら、メイクしてもらう。


「これでいこう」


戻ってきた彼の手にはよくみるスーツバッグが握られている。

ファスナーを開けた中からはショルダーカラーの、黒のタキシードが出てきた。


「これは?」


どこかからすでにレンタルしていたのなら、わざわざここで借りる必要はなかったのでは?


「自前」


「自前……?」


「そう。

着る機会もあるし持ってるんだが、スタンダードな普通のヤツだからな。

新郎用の華やかなのを着たかったんだが」


なぜか憂鬱そうに海星がため息をつく。

タキシードを着る機会なんて、結婚式で新郎か父親くらいしか思いつかない。

が、それ以外に頻繁に着ているような口ぶりだ。


「海星ってセレブだったんですね……」


なんか改めて再確認した、っていうか。

いや、今までだって普通じゃない買い物したりしていたけれど。


「今頃!?」


海星は呆れ気味だが、まあそうなるだろう。


「でも、セレブの俺と結婚した花音もセレブなんだけどな」


「えっ、あっ」


そう、なのか。

それはまったく、自覚がなかったな……。


「今までは連れていってなかったが、パーティとか出る機会も多いし、花音のドレスや着物も近いうちに作らないとな」


「えっ、あっ、はい」


私たちの会話をスタッフさんたちは若干引き気味に聞いているが、その気持ちは私もわかる。


「綺麗だ」


準備のできた私の頬に海星が触れた。


「滅茶苦茶綺麗でキスしたい……」


傾きながらゆっくりと彼の顔が近づいてきたが。


「口紅が落ちるからダメです」


手で押さえて阻止する。


「……ケチ」


恨みがましく眼鏡の奥から睨まれたが、ダメなのものはダメだ。


「ケチでもダメ」


「じゃあ、式まで我慢する」


これで諦めてくれたとほっと気が緩んだ瞬間、ちゅっと軽く彼の唇が重なっていた。


「こんなに綺麗なのに我慢とかできるわけないだろ」


右の口端を上げて彼がにやりと笑う。

そんな意地悪な顔をされてなにも言えなくなった。


「でも、眼鏡なしって本当にいいんですか」


海星は頑なに私が眼鏡をかけるように拘っていたので、綺麗だと言われてもいまいち信じられずにいた。


「ほんとは眼鏡なしの花音とか誰にも見せたくないよ」


そこまで言われ、やっぱりノー眼鏡の私は酷い顔なんだと落ち込みかけた。


「だって滅茶苦茶綺麗だから、誰かに盗られたら困るだろ」


「……は?」


続いて言われた内容がよく理解できなくて、海星の顔を見ていた。


「少しでも眼鏡でその可愛い顔を隠して、人に知られないようにしておきたいからな」


うんうんとひとりで納得しているが、そこまで?


「でも、化粧を覚えてからの花音は眼鏡ありでも可愛いし……」


今度はなんか、腕を組んで悩み出した。

深刻そうだが、ただの私の眼鏡問題だ。


「あ、言っておくが!

俺は眼鏡の花音も愛しているし、もっといえば以前の化粧っ気のない、ひっつめ結びの花音も好きだ。

よくある、『眼鏡がないほうが可愛いね』とはちっとも思っていない。

眼鏡の花音も可愛いし、眼鏡をかけてない花音も可愛い。

ただ、ウェディングドレスに今日の黒縁眼鏡があわないだけで。

そうだ!

ご家族を招待して挙げるときは、ドレスにあう眼鏡を作ろう!」


がしっと両手で手を掴まれたかと思ったら、興奮気味に熱弁された。


「えっと……。

ありがとうございます?」


曖昧に笑い、戸惑い気味にお礼を言う。

いや、正直にいえば眼鏡の私、それも以前の地味な私を好きだと言ってもらえたのは嬉しかった。

ただ、海星の熱意があまりにも過ぎて受け止めきれなかっただけだ。


準備が終わり、教会へ移動する。

軽い打ち合わせのあと、すぐに式が始まった。


「坂下花音を妻とし、ともに歩むことを誓いますか」


「はい、誓います」


真っ直ぐに前を見て誓う海星さんの声には強い決意が溢れていた。


「盛重海星を夫とし、ともに歩むことを誓いますか」


借金の肩代わりの代わりに子供を産めなんて滅茶苦茶な条件から始まった結婚生活だが、後悔はない。

それどころか海星に出会わせてくれて、神に感謝したいくらいだ。


「はい、誓います」


私は絶対に海星から離れない。

死がふたりを分かつときまで、ずっと一緒にいる。

嘘だったら海星がそう言ってくれたように、私もこの命を海星にあげる。


「では、誓いのキスを」


海星が私のベールを上げ、唇が重なった。

今まで感じたことのないほどの幸福感が私を包む。

唇が離れ、瞼を開けるとレンズ越しに海星と目があった。

彼の瞳も濡れて光っている。


「愛してる」


彼が呟いた次の瞬間、抱き締められた。


「幸せすぎて夢でも見ているみたいだ」


「私も、です」


でも、これからもっともっと、海星を私が幸せにするんだ。

そう、心の中で密かに、神に誓った。

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