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第16話

車は高速を下り、山間の道を進む。

高速に乗ってからそろそろ二時間が経とうとしていた。


「あのー、海星さん?」


「ん?

もしかしてトイレか?

しまったな、この辺りはコンビニもないから……」


彼は心配してくれるがそうじゃない。

それに高速を下りる前、最後のパーキングに寄ってくれたのでその心配はなかった。


「あ、いえ。

それは大丈夫なんですが。

まだかかるんですか」


「ああ。

もう少しで着く」


……もう少しってどれくらいなんだろう?


周囲を見て不安になった。

まさしく山道!という道を車は走っている。

確かにこれではコンビニはないだろう。

社長は会社近くのマンションに住んでいて、たまにしか家に帰らないというのは納得だ。


ようやく山を越えた先には町が広がっていた。

けれどそこまで下りず、中腹にある大きな屋敷に海星さんは車を入れた。


「凄いですね」


そこはまさしく、名家というのがふさわしい大きな屋敷だった。


「昔はここいら一帯の大地主だったんだ」


こそっと耳打ちされ、納得した。


「ただいまかえりました」


玄関で母ほどの年の女性が出迎えてくれた。

そのまま長い廊下を歩き、庭に面した座敷に通される。

海星さんに指示され、下座に彼と並んで座った。

しばらく待ったがお茶を出されて以後、誰も来ない。

どこかにししおどしでもあるのか、カコーンと長閑な音がした。


「えっとー、海星、さん?」


「まだ父が帰ってないか、母が会いたくないとごねているのかのどちらかだと思う」


私の戸惑いに気づいたのか、彼が苦笑いで説明してくれる。

さらに少し待った頃、どすどすと乱雑な足音と、甲高い女性の声が響いてきた。


「いっそ、帰ってこなければよかったのに」


「そういうわけにもいかんだろ」


言い争いながら年配の男女が入ってくる。

もちろん、男性は盛重社長だ。


「待たせたな」


まったく悪いなんて様子はなく、社長が目の前に座る。

女性――母親は嫌々といった感じで腰を下ろした。

すぐに新しいお茶とケーキが運ばれてくる。

ただし、私たちのお茶は淹れ直してもらえなかった。


「それで。

話とは?」


ちらりと社長の視線が、私へと向かう。

それはまるで値踏みされているようで、嫌な感じがした。


「結婚いたしましたので、ご報告に上がりました」


実の親相手に海星さんは座布団を避け、頭を下げた。

私も慌てて同じようにする。


「結婚、だぁ?」


不快そうにその語尾とともに社長に右眉が跳ね上がった。


「そこの女と籍を入れたというのか」


「はい。

先日、こちらの女性、坂下花音さんと結婚いたしました」


畳に額を着けたまま、海星さんは頭を上げない。


「親はなにをしている?

仕事は」


横柄な態度で社長は海星さんに問いかけた。


「花音さんのご両親は洋菓子店を営んでおります。

花音さん自身は我が社の開発部に所属する社員です」


「町のケーキ屋風情の娘でお前の部下か」


見下すように言われカッと腹の底に火がついたが、海星さんを不利にするわけにはいかないので、堪えた。


「花音さんは支店勤務ですので、直属の部下ではないです」


冷静に海星さんが訂正する。

それに対する社長の答えはない。


「……まあいい。

お前が誰と結婚しようと問題ない。

後を継ぐのは一士だからな」


はっ、とバカにするように社長が吐き捨てる。


「そうですよ、後を継ぐのは一士です」


さらに母親が追従する。

言い返したい。

後を継ぐのは海星さんだって。

海星さんなら会社を潰し、たくさんの人を路頭に迷わせたりしない。


そっと隣に座る彼の顔を盗み見る。

それにしてもどうして、海星さんは反論しないんだろう。

立場から親の言いなり……は、ありえなさそうなんだけれど。


「わかりませんよ」


ゆっくりと海星さんが頭を上げる。


「私は一士と同じ条件になりました。

あとは一士より先に子供を授かればいいだけの話です」


レンズ越しに彼は、社長と目をあわせた。


「それとも他にもなにか、私に不利な条件でもつけてきますか」


私に見える右頬だけを歪め、彼が不敵に笑う。

みるみるうちに社長の顔も母親の顔も真っ赤に染まっていった。


「愛人の子風情が!」


いきなり水滴が飛んできて、なにが起こったのかわからなかった。

隣を見ると海星さんの前髪からぽたぽたと雫が垂れている。

前に視線を戻した先では、母親が荒い息で彼にお茶をかけた姿勢のまま立っていた。


「気に障ったのなら申し訳ありません」


眼鏡も拭かず、また海星さんが畳に額をつける。


「親にも捨てられたお前を、育ててやった恩を忘れたか!」


さらにカップが海星さんに向かって飛んでくる。

それはごん、と重い音を立てて彼の後ろ頭に直撃したが、彼は微動だにしなかった。


「お母様には感謝しています」


「お前に母など呼ばれたくない!」


さらに彼に向かって罵声が飛ぶ。

どうしてここまでされなければいけないのだろう。

海星さんが――愛人の子、というだけで。


「申し訳ございませんでした」


「ふん!」


彼がこれ以上ないほど畳に額を擦りつけ、ようやく溜飲が下がったのか母親は腰を下ろした。


「式は花音さんのご親族のみで行いたいと思いますが、よろしいでしょうか」


「勝手にしろ。

お前の結婚式など誰も関心はない」


「ありがとうございます」


なんであんなに言われて海星さんはお礼を言うの?

口を挟みたい、けれどそれで彼の立場を悪くするのは申し訳なくてできない。


「話はそれだけか」


「はい。

本日は私などのためにお時間をいただき、ありがとうございました」


再び海星さんが頭を下げるので、私もさげた。

もう私たちなどいないかのごとく、社長は大きな口を開けてケーキに食らいついている。

促されて立ち上がり、座敷を出た。


「うまいな、これ。

どこの有名店のものだ?」


社長の声が聞こえたのと海星さんが足を止めたのは同時だった。


「お父さん」


海星さんが社長を振り返る。

そこでは私たちの前にあったケーキにまで社長は手を伸ばし、母親も自分の分に手をつけていた。


「そのケーキはお父さんが町のケーキ屋風情といった、花音さんの実家のものです。

お口にあったのなら、よかったです」


これ以上ないほどいい笑顔でにっこりと海星さんが笑う。


「かーいーせーいー」


社長はぶるぶると震えだし、目の前のケーキを叩き潰した。


「誰がお前などに後を譲るか!」


社長の咆哮がびりびりと空気を震わせる。

しかし海星さんは涼しい顔をしていた。


行こうと促されて五歩ほど歩いたが、どうしても彼らに言いたいことがあって戻る。


「あの!」


「なんだ!」


じろっと社長に睨まれたが、かまわずに続ける。


「私、絶対に海星さんの子供を身籠もって海星さんを社長にしますが、こんな最低な家の嫁になる気はないので。

では、失礼します」


ぺこりと頭を下げて振り返った途端。


「キサマはクビだー!」


凄まじい社長の雄叫びが背中から追ってきた。

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