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第8話

「それにしても遅いな」


砺波さんが腕時計で時間を確認する。


「まだ行かないだのなんだのごねてるんだろ。

来なけりゃ来ないで、速攻警察に駆け込むだけだけどな」


海星本部長が呆れたように肩を竦めたタイミングでドアがノックされる。


「はーい」


返事をして砺波さんは立ち上がり、ドアを開けた。


「三島様をお連れしました」


「はーい、ありがとう」


さらにドアを押さえて開け、砺波さんが来訪者を中に入るように促す。

大柄で髭面の屈強な男に引きずられるようにして入ってきたのは、高志だった。

確かにこんな男が相手では、逃げるなど無理だろう。


「とりあえず、座ってね」


先程まで自分が座っていた席に砺波さんが高志を無理矢理座らせる。


「いつもわるいな。

またよろしく頼むよ」


「いえ、こちらこそいつも、ありがとうございます。

では、失礼いたします」


男は礼儀正しくお辞儀をし、出ていった。

海星本部長が〝いつも〟とか〝また〟とか言っているから、懇意にしている方なのだろう。


「さて。

まずは自己紹介させてもらいます。

私はこちら、盛重海星さんの顧問弁護士をしている砺波と申します」


私たちと高志のあいだ、いわゆるお誕生日席に砺波さんは行き、高志へと名刺を差し出した。


「……で。

俺になんの用だよ」


高志は完全にふて腐れ、机に頬杖をついてそっぽを向いている。


「盛重さんが婚約者があなたから受けた不利益を訴えたいとおっしゃいましてね」


「婚約!?」


いきなり高志が立ち上がり、椅子が倒れそうになって大きな音を立てた。


「オマエ、二股してたのか!」


「やめないか!」


掴みかかろうと手を伸ばしてきた高志から、海星本部長が私を庇ってくれる。


「婚約したのはついさっきです。

知り合ったのも昨日ですし」


「はぁっ!?」


高志は驚いているが、まあそうだよね。

高志が出ていってから二日で婚約なんて私だって想定外だ。


「そんな昨日の今日で婚約なんてするかよ」


どさっと乱雑に高志は再び椅子に腰を下ろした。


「コンビニで偶然、手が触れあっただけで『運命だね』と花音さんの家に転がり込んだ人に言われたくありませんが」


唇を綺麗な三日月型につり上げ、海星本部長がにっこりと笑う。

それは酷く作りものめいていて、否定を許さなかった。


「……だいたい、オレがコイツに与えた不利益ってなんだよ?

反対にオレが受けたほうだけどな。

ああ、そうか。

オレが受けた不利益を訴えるって手もあるのか」


いいことを思いついたとばかりに頬を歪め、醜い笑みを高志が浮かべる。


「ええっと。

じゃあ、理由をお話ししますね。

まず、不当に坂下さんに背負わせた借金の即時返済」


砺波さんがひとつずつ読み上げていく。


「不当のなにも、コイツが勝手に借りた金だろ?

オレは知らない」


「そんな……!」


確かに私は高志に頼まれて借入証にサインした。

なのに、知らないなんて……!


「坂下さんに対する暴力の慰謝料。

以上になります」


「オレは暴力なんて振るってない」


逃げ切れると思ったのか高志がにやりと笑う。


「話はそれだけか?

どっちもオレは無実だ。

反対にそんな言いがかりをつけられたって名誉毀損で訴えてもいいけどな?」


私のほうへ身を乗り出し、高志はバカにするようにニヤニヤと笑っている。

それになんと言っていいのかわからなくて、黙って俯いた。


「借金についてですが。

新しく始める店の開店資金だと言って坂下さんを連帯保証人にし、借りたんですよね?」


「そんなの、言ってない」


証拠がないと高を括っているのか、来たときとは違い高志は高圧的な態度を取っている。


「坂下さんの他にも、複数の人間にそう言ってお金を借りている裏が取れています。

皆さん、急にあなたと連絡が取れなくなったと困っていらっしゃいましたよ」


一緒に店を出す友達が資金の一部を負担してくれるとは言っていた。

店の話が嘘となれば、当然そうなるだろう。


「うっ」


砺波さんから目の前に滑らされた紙を見て高志が声を詰まらせる。


「……アイツが金を借りている人間のリストだ」


そっと耳打ちし、海星本部長が教えてくれた。


「金は返す予定だった」


「あなたが派手にお金を使っていた証拠もあります。

高級ラウンジを貸し切ってパーティなど、無職のあなたには到底払える額とは思えませんが」


砺波さんが並べた写真には、高そうなプールバーで両側に女性を侍らせた高志が写っていた。

彼がこんな遊びをしていたなんて、私は知らない。


「営業活動してなにが悪い!

こうやってスポンサーを探してたんだ!

それに俺は主催じゃなくて招待されただけで……!」


高志がまだ、言い訳を喚き立てる。

震える手で写真を拾った。

そこにいる高志は女性にキスをしている。

この二日で高志の愛は嘘だってわかったはずだった。

それでもまだ信じていたみたいで、ショックが大きい。


「では、警察でそのように証言されてください。

皆さん、被害届を出すと仰っていましたから」


「なっ……!」


これ以上ないほど目を見開き、高志が驚愕の表情で砺波さんを見る。

けれど砺波さんは平静そのものだった。


「次に。

坂下さんに対する暴力の件ですが」


「座ってろ」


腰を浮かせた高志の肩を押さえ、海星本部長が強引に座らせる。

そのまま逃がさないとばかりに海星本部長は高志の隣に座った。


「日常的に彼女へ暴力を振るっていましたね」


「オレは暴力とか振るってない!

そうだろ、花音!」


「ひっ」


立ち上がった高志から唾を飛ばして怒鳴られ、身が竦む。

ガタガタと身体が震え、薄らと涙が浮いてくる。


「うるさいっ、黙れ!」


唐突に頭を押さえつけるような怒号が響き、部屋の中はしんと静まりかえった。


「キサマのせいで花音がどれだけ傷ついているかわかってるのか?」


眼鏡の奥からじろりと海星本部長が高志を睨み上げる。


「き、傷ついてって、いつもアイツはオレのためになんでも喜んで……」


恐怖からかすごすごと高志は再び腰を下ろした。

それでもまだ、反論はやめない。


「そうだろうな」


「だったら!」


言質は取ったと喜色満面で高志は顔を上げた。


「それはキサマがそう、花音を洗脳したからだ。

愛してるオレのためならこうするのが当たり前。

反論すればオレを愛していないのかとしつこく問いただしたのだろう?

そんなことをされれば、誰だって従順になる」


海星本部長の言うことはそのとおりだった。


『愛してるオレのためだ、できるだろ』


そう言って高志には家事はもちろん、いろいろさせられた。

嫌だったこともある。

しかし、渋ると。


『そうか、オマエはオレを愛してないんだな。

愛してないからできないんだな』


と、何度も傷ついたフリをして責められた。

だから私は、高志を愛しているから彼に言われるとおりにするのが当たり前だと従っていた。

でもあれは、洗脳だったんだ。


「……お前も同じ目に遭わせてやろうか?」


「ひ、ひぃっ!」


海星本部長からギリギリと頬を握りつぶされ、高志が悲鳴を上げる。


「はいはい、そこまでー!

これ以上やると、海星が傷害で訴えられちゃうよ?」


「それは困る」


砺波さんに止められ拍子抜けするくらいあっさり海星本部長は手を離したが、高志は怯えて彼を見ていた。


「これは坂下さんが被った、精神的苦痛に対する慰謝料……」


「あの!」


書類を置こうとする砺波さんを止める。


「慰謝料、とかいいので。

今まで世間知らずだった私の、勉強料と思えば全然」


「……『私だって言われなれない甘い言葉を言われて舞い上がってまともな判断ができてなかったと思うし、高志だけが悪いわけじゃないし』とか考えてるだろ」


考えていたことをそっくりそのまま海星本部長に言い当てられ、ぎくりと身体が大きく震える。

本部長はエスパー、エスパーなのか!?


「こういう男はそうやって女を騙し、洗脳して、食いものにするんだ。

花音はこれっぽっちも悪くない」


海星本部長の言葉に砺波さんも頷いているが、本当にそうなんだろうか。


「そうですよ。

僕もそういう事例をいくつも知っています。

みんな彼だけが悪いわけじゃない、私も悪かったって言うんです。

でもそれこそ、相手の思うツボですよ」


なんか弁護士さんに言われると説得力があるな、なんて思うのはやはり職業効果なんだろうか。

それでも。


「あの。

でも、慰謝料とかほんとにいいので。

その代わり、ひと言謝ってもらえたら」


今まで謝るのはいつも私だった。

全部高志が正しい、間違っているのは私だ。

そう思い込んでいた。

けれどこうやって海星本部長が、砺波さんが私のためにいろいろやってくれて、ようやく私はずっとつらかったのだと少しだけだが自覚した。

お金なんていらない。

ただ、謝ってくれたらそれでいい。


「誰がオマエなんかに……ひぃっ!」


それでも頑なに高志は謝罪しようとしなかったが、海星本部長に睨まれて悲鳴を上げた。


「オ、オレが悪かった!

これでいいんだろ!」


逆ギレして高志が吠える。


「誠意が足りない」


「オ、オレが悪かったです!

今まで申し訳ありませんでした!」


しかし海星本部長から高圧的に見下ろされ、今度は形ばかりに頭を下げた。

高志はどこまでいっても高志なんだ。

それでも謝ったら負けとでも思っていそうな彼から謝罪の言葉が聞けて、少しだけ気持ちが晴れた。


「これで話は終わりだろ!

じゃあな!」


誰もいいとは言っていないのに、勝手に高志が部屋を出ていく。


「よかったんですか」


私としてはもうこれ以上彼と話をすることなどなかったが、海星本部長が満足したのかはわからない。


「いいんだ。

それに」


私を手招きし、海星本部長がドアを開ける。

事務所の出入り口付近が騒がしい。

さらに彼が手招きしてドアを開ける。

そこでは高志がスーツ姿の男性たちと口論になっていた。


「警察の方」


「えっ?」


「このたびはご協力、ありがとうございます」


気づいたひとりが海星本部長に頭を下げる。

そのうち高志は彼らに連れていかれた。


「えっと……」


「詐欺事件の犯人が逃亡予定だと通報しておいた。

他にもアイツ、似たようなことやってたみたいだ。

ザマーミロ」


にっこりと笑った海星本部長は完全に胡散臭くて、おかげでなんか気が抜けた。

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