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 本当に困惑しきっている奈海が次に奏斗を見たときには、彼はもう人ごみの中にするっと姿を消していくところで、助けの求めようがなかった。

 奈海は、生唾を飲み込みながら舞台の方を改めて見上げた。


 この人ごみの中を無理矢理かき分けて。

 注目の的になること確実のあの舞台の上へ一人で向かうなど。


 ――そんな勇気を、奈海は持ち合わせていない。


 むしろ、今すぐここから逃げ出したい。

 でも、拓の元へ行きたい気持ちもある。

 いや、むしろその気持ちの方が大きい。

 けれど、けれど、私は、1人では――


 ガシッ

 ――グイッ


 困惑している奈海の手を掴み、誰かが強く引いた。

 それは見知った可愛らしい手で――だけど、今まで感じたことのないほど力強く引く手で。

 その手は、奈海の困惑する気持ち事引っ張ってくれていた。


「ほら、早く! 折角親友の私が計画したんやから。奈海の、恋のために! ホンマ、こんなチャンス滅多にないからな! ちゃんと、答えんとあかんでっ」


 いつも綺麗に整えてある髪が乱れるのを気に留めることなく、がむしゃらに人ごみをかき分けて進む彼女は、息を切らしながらそう言った。


「え、清美!? てか計画って――」

「今まで私と拓が一緒にいたの知ってるやろ!? それで勘違いしてたんやろ!?」

「え……っ!」

「ごめん、全然気づかんで! まさか、噂になってるとか、思わんかってさっ。さっき、市郎君から聞いて、バカ王子と一緒にいるって。やっぱり、ちゃんと傍に居ればよかった」

「ねぇ、清美、話が……見えないっ」

「すみませんっ新田奈海、通りまーす! 道あけてー!」


 親友の登場にホッとしたのもつかの間、矢継ぎ早に話される清美の話についていけず、奈海が再び困惑しながら清美に尋ねるも、清美は走るのと生徒たちに道を空けるよう声をかけるのとに忙しく、それ以降は辛そうな息遣いが返ってきていた。


 私を探すために、ずっと走っていたのだろうか


 いつもさらっとしていて触り心地のいい清美のてはじとっと汗ばんでいて、綺麗にしているみなりも突風に吹かれたかのようにあちこち乱れていて、清美はそれを整えようともしない。

 ただただ、必死に、舞台の上にいる拓へと奈海を届けようとしてくれていた。


 奈海は、意を決して、引っ張ってくれる清美の手をぎゅっと握り返し一緒に走った。


 まだ状況を理解していないし頭は混乱で全く整理できていない。

 けれど、それよりも、目の前の親友の必死さに答えたいという気持ちが勝った。

 一緒に走ると早いもので――清美が叫んでくれたおかげで察した生徒たちが道をすんなり空けてくれたこともあり――2人は、数分もしない内に舞台袖にたどり着いた。

 瞬間、清美の手がぱっと離れた。


「それじゃ、いってらっしゃい」


 そう言って、清美の手が奈海の背中を押した。


「え、待って。待ってよ! わかんない、私、私――」


 走ったからか、心拍数が異様に早い。

 息を切らしていて、呼吸も上手くできない。


 頭が、まともに、動いてくれない――


「奈海!」


 清美の手が、奈海の両頬をぎゅっと挟んだ。

 息を切らした美少女の真剣な瞳が、困惑する瞳を射抜いた。


「言ったやん!? 応援しちゃるって」

「応援……」

「せやから、ずっと拓に提案しててん。もう、奈海が他の奴らから嫌な目に合わんようにって」


 清美はへらっと笑うとぎゅっと奈海を抱きしめた。

 優しく甘い香りが、ふわっと奈海を包んだ。


「よく話してた、奈海のお祖母ちゃんの小説。……あれ以上の青春、しておいで」


 そっと、囁いて。

 清美は離れた。


「いってらっしゃい」


 背に手を組み、会心の笑顔で見送りの言葉を発した清美は、今までで一番輝いていた。


 ――今まであった猜疑心の原因であった拓と清美が並ぶ姿の意味を……奈海は、今この瞬間理解した。


 でも、本当に?

 清美は、私を……?


「ほら、いって!」


 そう言って、清美は奈海の背中を再び強く押した。

 その勢いによろけながら進みつつも、舞台を上がる階段に足をかけたところで、つい止まってしまう。

 これだけ言われ励まされても疑ってしまう自分に嫌な気がするが、どうしてももう一歩勇気が足りなかった。

 目立つことが嫌い、というのもある。

 ただ、どうしても、これが自分をからかうためのものじゃないんだろうかっていう疑いも晴れなくて――


『後悔するなら――』


 お祖母ちゃんの声が、聞こえた気がした。


「あっ――」


 不意に、何度も読み返したお祖母ちゃんの小説のフレーズが蘇る。

 全ての物語を読み終えた、エピローグの主人公のフレーズ。

 奈海の中に、ずっとずっと残っている言葉


『後悔するぐらいなら、失敗しまくりな。それが、青い内にやるべき大切なことだと私は思うから』



「青い内に」



 そうだ。

 私は、まだ、青い。

 友達を信じ切れないほど。

 好きと言われたら他の人に揺らいでしまうほど。

 でも、私は、私の気持ちは。


「……スキの気持ちは」


 奈海は、舞台へと。

 舞台の上で待つ彼の元へと。

 一歩、踏み出した―――

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