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「……ごめん、ちょい、来て」


 そう言うと、腕を唐突に掴まれ、引っ張られた。

 突然のことで反応できず「え? え?」と困惑している間に、図体も力も大きい彼の引っ張られるままに、奈海は動かされていた。


「あ、え、ええ?」


 奈海が素っ頓狂な声を上げるのを構うことなく「こっち」と市郎は半ば強引に引っ張り、2人は体育館裏へと来ていた。

 ここは草が鬱蒼と生えているためあまり誰も近寄らない場所であるが、文化祭ということで少し手入れされていて少し整った芝生、といった具合になっていた。

 彼は左右に首を動かして辺りに誰もいないことを確認すると「よし」と小声で呟き奈海に向いた。

 そこで、自分がずっと奈海の手首を力強く握っていたことに初めて気づいたようで「わわ、ごめん、痛かった?」と慌てて離した。

 奈海の手首は少々赤らんではいたが、少しジンジンと痛む程度だったので「平気平気。部活の捻挫に比べたらこれぐらいっ」と制服の袖を引っ張って赤らんだ部分を隠し、さすった。

 実は突然の行動にちょっと恐怖心のあった奈海であったが、彼が真っ赤になって慌てるのを見て悪気がなかったんだと安心し、心配させないようそう返した。


「どしたん? 急にこんなとこ誰もおらんとこ連れてきて……さー……」


 言いながら、とある可能性を導き出した奈海の賢い頭脳に、顔がハッと強張る。

 さらに、彼の耳がしょっちゅう赤らんでいたことも思い出す。


 いやいやいや

 そんな、まさか

 いやいやそんな――


「あ、あのっ!」


 市郎の上ずった声に、「は、はい!」と妙に奈海も緊張して上ずった声を出してしまった。

 彼を、見上げると。

 真っ赤な耳が、目を合わせてくれない泳いだ目が。


 清美に告白しようとしていたあの男子の様子と重なり、まさかいやまさか、と奈海の全身が熱くなった。


「あ、あの、俺と、おお、俺と……っ」


 彼は一旦そこで言葉を切るとぐっと生唾を飲み込み、深く深呼吸をし、奈海をきっと見据えた。

 真っすぐな目が、奈海の緊張し強張った身体を射抜く。


「お、俺と、つつ付き合ってもらえませんか! そそ、それで、その、あああ明日、一緒に屋台回りませんかっっ」


 そう言って、彼は綺麗なお辞儀の角度で頭を下げ、片手を差し出した。

 野球部らしい、告白だった。

 言葉は、深呼吸で落ち着けたにも関わらず、何度もつっかえながらだったが。

 でもそれは、紛れもない、告白の言葉であって。


「わ……私!?」


 思わず自分を指しながら尋ね返してしまう奈海に「はい、新田さんです!」というこれまた几帳面な返事が返ってきた。

 奈海の頭は、衝撃でぐるぐる回っていた。

 そもそも、異性同性問わずあまり人と関わってこなかった奈海。というより、奈海から接するということが皆無だったのと、向こうから寄ってくる人も全くいなかったということからそういう状態になっていた。

 一匹狼、という称号が手に入ってもおかしくない状態だったであろう。

 それなのに、白雪姫などの大役を任されただけでなく、こ……告白までされて。

 高校1年は何の変動もなかったのに、学年が起こってからの変化が目まぐるしくて奈海の思考は追いついていかなかった。

 何が、どうなって、ここまで変わったのだろうか。


 告白されるのが初めての奈海の心は、ぐわんと揺れ動いていた。


 好きって言われるのが、これほどまでに緊張するものだとは。

 これほど嬉しくて、泣きそうで、そして、予想だにしない時ほどこんなにも困惑するものだとは。

 そうやって混乱しっぱなしであるのに、いくつもの告白を華麗にいなしてしまえる清美は尊敬ものだな、などと関係ないことばかりが頭に浮かぶ。


 ――そうだ、早く、返事を


「あ、の――」


『俺には、一番可愛いって』


 ふと、拓の言葉が脳裏をよぎった。

 瞬間、思う。


 あの言葉は……嘘じゃ、ないんじゃないんかなぁ


 急にそう思うと、高ぶった奈海の気持ちや熱くなっていた身体の緊張も解けてきて。混乱していた頭もスッと落ち着いてきて。

 気づいたら、奈海は微笑んで「ごめんね」と言う言葉を口にしていた。


「好きな人が、いるんだぁ」


 言ってから、気づく。

 そっか、私。


 拓のこと、好きになってたんだ


 急に理解して、ストンと納得した。

 多分、大分前からそういう気持ちだったんだと思う。


 何を抵抗していたのだろう。


 何で、自分の気持ちに嘘ばかりつこうとしていたんだろう。

 友達が大事だからと、見ないふりをしていた。

 私には関係のない感情だとどこか割り切ってしまっていたから、ちゃんと言葉にして気づくのが遅れたのだろうか。

 ……でも。

 好き、という気持ちをぶつけられたら。


 ――なんか、止まらなくなっちゃった


 奈海の目の端に、ツ……と涙が筋を作った。

 今更気付いたって遅いだろうに。

 もしかしたら、彼はもう清美のものになっているかもしれないのに。

 それでも、止まらないものは止まらない。


 ――いっそ、私も彼みたいにぶつかって砕けて、スッキリした方がいいのかな?


「やっぱり、久藤か?」


 落胆したトーンの低い声に尋ねられ、ハッと奈海は我に返り、伝った涙を急いで袖で拭って「んー……どうだろ」と誤魔化すように乾いた笑みを浮かべた。

 その奈海の曖昧な反応に市郎は苦笑すると「ま、好きな人いんならしゃーないか」と言った。

 深く聞かないでいてくれる彼に、ああいい人だな、と奈海は思い、振ったことに小さな罪悪感を抱いた。


「でも、ね。ありがとう。気持ちは、すごくうれしかった。なんてったって、私、告白されたん初めてやし」


 えへ、と何とか笑ってみると「うーわ、それ言われると未練残るわぁ」と言われたので、奈海の顔がボッと赤くなった。


「え、あ、ええ!?」

「ハハ、ごめん。そんな困らんといて。……あーあ、振られた。……傷心やし、どっかで泣き叫んでくるわ」

「野球部の泣き叫びって凄いボリューム出そう……」

「なんやそのイメージ」


 奈海の真剣な面持ちでの言葉に、市郎は苦笑し、真顔に戻ると「……あー、でも、ごめん。やっぱいっこ、思い出」と言い、奈海の腕を引いた。


 土臭い、野球部らしい匂いが奈海を包んだ


「……!?」

「ごめんな。強引で。……じゃ!」


 匂いが離れた、と思った瞬間、見えたのは全力疾走のごとく逃げる市郎の背中で。

 驚きで固まっていた奈海は目をぱちくりさせて見送ることしか出来なかった。





「びっ……くり、したぁ」


 そう呟いて、口をそっと手で覆うと。

 あの野球部独特の匂いがまだ残っていて「フッ」と思わず笑ってしまった。

 と、ジャリ、と地を踏む音がした。

 それは背後の方でした音で、驚いて振り向くと「あ……」と気まずそうな表情と眼がばっちり合ってしまった。


「え、く……久藤!?」


 声を上げてから、奈海の顔は途端に赤くなり「え、あ、見て」と戸惑って言葉につまっていると「うん、見てた」と拓は正直に頷いた。

 そして、「好きな人いんだね」と微笑んだ。


「え、あ、え、その……っ」


 本人から言われれば動揺と混乱で言葉が上手く出ず、ただひたすら赤くなることしか出来ない。

 それでも奈海は、何とかコクンと頷いた。


 気づかれた。

 好きな人がいるとバレた。

 ……なら、もう、正直に述べていいんじゃないか?


 その考えに至った奈海は意を決し、拓に向くと息を吸い込み、勇気を振り絞った。


「あ、あの、ね」

「人の気持ち弄ぶの楽しい?」


 拓の冷たい言葉が、奈海の言葉を遮った。 

 同時に、風が、さっと吹いた。 

 その風は、目を見開いた奈海のポニーテールを持ち上げ、高ぶっていた気持ちを攫っていった。

 ――頬に当たった風の感触が、異様に冷たかった。


「え――」

「今まで迷惑かけて、ごめんな」


 そう言って、拓はにっこり笑って。

 奈海に背を見せた。

 拒絶をしてきたあの時の怖い顔ではなかった。

 でも、そのいつも通りのさわやかな笑顔が。

 ……今までで、一番怖かった。


「待――」


 去る背中に手を伸ばしたが、言葉が上手く出てこなかった。

 必死に声を出そうとするのに出てこない。


 息苦しくて出てこない。展開が早すぎて気持ちが追い付かない。

 追いついてくれない。


 だって自覚したのは今だから。今自覚したばかりだから――

 そうこうしている内に拓の姿は角に消えていき。


 残された奈海の目から涙が流れた。

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