あの日のことを清美にも拓にも聞けることなく日が過ぎてしまった。清美がずっとご機嫌な様子で、拓と一緒にいる様子を見かけることも増えていたから、猶更、聞けなかった。
友人の幸せを壊すという行為になりそうなことは、奈海には出来なかった。
「文化祭楽しみだねぇ」
文化祭当日が近づくにつれて、そう言って笑う清美。
それに対して、奈海は「そうだね」とぎこちない笑顔を返すことしか出来なかった。到底そんな気分になれる状態ではないくらい、モヤモヤが住み着いて離れない。
それでも、文化祭は2日間ある。準備だってあわただしく、役が重要なものなのでセリフや立ち回りも覚えなければならない。
その忙しい毎日に身を任せることで、奈海はこのモヤモヤを晴らすことにした。
所詮は、もともと諦めていた事柄だ。
それに、今まで拓の気持ちをあっさり踏みにじってきたのに、自分が心変わりしたからって受け入れて、なんて身勝手すぎる思考にもほどがある。
――もう、いいや
わかんないから、いいや
「文化祭、楽しもうね」
今までのように、友達と笑っていればいいや。
拓のことも、クラスメイト、で止まってればいいや。
その結論に至った奈海が微笑んで言葉を返すと、清美はどこか安心したような柔らかい笑みを浮かべて「うん、思い出作ろうね」と返してくれた。
文化祭の日程は、2日間ある。
1日目は各クラスの演劇の日と屋台の日。
2日目は生徒会の催し物と引き続き屋台の日、というスケジュールだ。
奈海たちのクラスの演劇は大トリとなっていた。
何でそんな大層な順番を引くんだ、と思ったが「これで目立てるよ。人気1位間違いなし」と文化祭委員の
そのせいで、奈海は緊張で他の余計なことを考えずにすんでいたが、正直あまり気分はよくなかった。
元々、目立つことは好まない属性の奈海だ。
――どうか、無事終わりますように
出番が近づくにつれ、ドレスを身に纏ってから余計緊張していた奈海は気休めに人の字を掌に書いては飲み込んでいた。
そんな奈海の様子を不審に思ってか、拓が「何してんの?」と奈海の手を覗き込んできた。
声と、突然近くなる顔にドキリとはしたが、緊張の方が勝っている奈海は「緊張ほぐしっ」と端的に答え再び書いて飲み込んだ。
すでに人の字を何度も飲み込んでいるところを見ていたのか「腹こわすぞ?」と笑いを抑えた声で拓が言った。
なんとなくカチンときた奈海は「うっさいなぁ、目立つの慣れてへんねん。笑うなら緊張ほぐれる方法教えてよ」と睨みつけてやった。
すると、拓は「じゃあ、ここに人って書いて」と奈海の手首を掴み、掌を指した。
そんなのさっき私がしてたことと同じやん?
と思ったが、首を傾げながらも奈海は素直に従った。
手首を掴まれたことに多少意識はしたが、とにかく今は緊張をほぐすのが一番なので、言われた通りに人差し指で綺麗な人の字をすっと指を滑らせて書いた。
パク
書き終わった途端。
それを、拓が食べた。
唇が、少し触れたのは。
多分、気のせいではない。
「ん、な……!」
慌てて周りを見渡しが、それぞれセリフや動きの復習に夢中でこちらを見ていなかった。
それに一旦安堵しつつも、キッと拓を睨みつけると「ほら、ほぐれた」と会心の笑顔を向けられた。
別の緊張が、奈海の身体を走った。
ああ彼は、本当に私の心をいつも動かす
「……バーカ」
真っ赤な顔で憎たらしく睨みながらべっと舌先を出す、実際は可愛らしいだけの彼女の小さな抵抗ともいえる仕草に。
拓は「馬鹿で結構」とピースしながら再びいい笑顔を向けてやった。
***
『ちょっと、私と付き合いなさい』
奈海の背中を見送ってすぐ声をかけてきたのは、企み顔を浮かべた清美だった。
その後ろには、すべてお見通しだと言わんばかりのいい笑顔を浮かべた
「……いや、これどういう状況?」
拓の素直な疑問に、2人は顔を合わせにんま~と笑みを浮かべると星が「さぁ久藤君。文化祭の生徒会の催しは何だか知ってるかい?」と一枚の紙をぺらっと見せてきた。
「いや、<運命の人は君だ!>ていうタイトルしか知らんけど……つうかあのふざけたタイトルなんなん? て皆言ってっけど」
「失敬な。私が考えた案だぞ」
「マジかよ……」
あのタイトルを考えた人はきっと脳内がお花畑なんだろなぁ、と誰かが言っていたことを言わなくて正解だった、と今にも出そうだった言葉を拓はそっと飲み込んだ。
「で、だ。本題。……さぁ久藤君。君は、意中の彼女がいるね?」
「いるけど?」
「うっわ、動揺せずにサラっと言いやがった。ホントイケメンってこういうとこが……ねぇ?」
訝し気な表情を浮かべながらも戸惑うことなく平気で答える拓に、文化祭委員、
いやお前もある意味同類、という突っ込みを入れたかったが、今それを言うと無駄に話が長引きそうなので、そうなるとそれはそれはとても面倒臭そうなのは目に見えているので「で、それが何?」と本題の続きを促した。
「ああそうそう。それで……今回の催しは、そんな久藤拓君を応援できるものなのだよ。本当はやっちゃいけない、特別大サービスをしてあげよう。面白そうだから」
ふふん、と鼻高々に腰に手をあてふんぞり返り言う星に、拓は嫌な予感しかしなかった。
「なんか……あんまりいい案やなさそうやけど?」
「まぁまぁ、とりあえず話だけ聞いてみなって。てことで私は忙しいから後はクラスのプリンセス清美ちゃん、よろしくー」
「はーい」
星がウインクしながら清美に託し、ささっと教室に引っ込むのを清美は顔の横で可愛いらしく手を振り笑顔で見送った。
そんな清美に、拓は訝し気な顔のまま「……何? 何たくらんでんの?」と声のトーンを落とした。
それに対し清美は再びにんまり微笑むと「友人の恋路の応援」と言い「ほれほれ、誰にも聞かれたくないからもっと顔近づけて」と招き寄せられ、半信半疑ながらも清美の話に耳を貸した――