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着替えより顔の火照りを抑えることの方に時間のかかった奈海は、それでも尚残る名残のようなものを頬に感じながら、もう熱くないよね?、と頬を両手でぎゅっと挟みつつ元の制服姿で教室へと戻っていた。
腕には、元は制服が入っていた手提げに丁重に畳まれた白雪姫のドレスが入った手提げがゆらゆらと、奈海の動揺を誘うように揺れていた。
ドレスを持っているだけで先ほどのみんなの視線や拓の言葉や表情が思い出されて落ち着かなくて、どうしようもなくて、髪もいつものような雑なポニーテールへと戻していた。
昔の自分に戻ればきっと気持ちも戻るかも、という小さな抵抗だが、やはり一度変わったものは、そう簡単に戻ることはできない。
『俺には一番可愛い』
油断すると、自分に都合のいい言葉ばかりが頭で繰り返し再生され頭がボンっと爆発したような音を立てた気がした。
「だからあれは誰にでも言うんだってばっ」
一生懸命自分に言い聞かせて頬を何度もぱしぱしと叩いた。
――平常心平常心。
が、もうすぐ教室というところで足が止まった。
目の前の角を曲がれば、拓がいる。
そう考えるだけでどうしようもなく高鳴る胸に奈海は生唾を飲み込んだ。
出来るだけ目を合わせないように、とこれまでに何度も言い聞かせてきた言葉を胸に、一つ深呼吸をしてから意を決して角を曲がった。
が、その足は一歩出たところでピタっと止まった。
「え」
思わず、声が漏れた。
そして、慌てて戻る。
口を押え、壁にもたれかかった。
心臓が、嫌な音をたてて早鐘を打つ。
火照っていたはずの身体が徐々に冷えていくのを感じた。
拓、だけだと思っていた場所には。
もう一人別の人物がいた。
さっきまで、美麗なドレスを身に纏っていた美少女。
――どうして、清美が、一緒に?
一瞬しか見ていないので、2人きりのように見えた。
……でも、実は他の子もいたかもしれない。
嫌な音を立てる心臓を無視し、奈海は、よし、と意を決して角からそっと覗き込んだ。
――胸が、嫌な気持ちに近い感情でざわざわするのは、きっと、悪いことをしようとしているから――だと、思いながら。
そうして覗き込んだ奈海は、角を曲がった先の光景に。
心臓を鷲摑みされたような苦しさに苛まれ、急いでその場を離れて近くのトイレへと駆け込んだ。
――足音が聞こえたかもしれない。声を少し上げてしまったから覗いたのがばれたかもしれない。でも、色んな人が通っているから大丈夫だろう。
……なんてことを考える余裕なんて、なかった。
どうしよ、苦しい
どうしてこんなに苦しいんだろう。
きっと見間違いだろうに。私の勘違いだろうに。
勝手に覗いて、ショックを受けて。
私は何がしたいんだろう。
一瞬でよく見えなかったが、顔が重なっているように見えた。
そうなっていると、考えてしまうのは――
首をぶんぶんと横に振り、トイレの鏡の中の自分と向き合う。
泣きそうな自分の表情が、あの日泣きじゃくった清美のことを思い出させた。
『拓とは私が付きあいたい』
『だから、諦めへんし』
「……っ」
ああ、そうだ。
清美の気持ちは、きっと彼を好きなまま。
だったら、清美がアイツにアピールするために。
――――してても、おかしくないじゃない
そんな答えが導き出されて、奈海はしゃがみこむ。
今度は、目元が異様に熱くなっていた。
もし清美の気持ちが変わっていないのなら、さっきのは見間違えじゃない可能性が大きいだろう。
だって、耳に聞こえてきた言葉は、今もまだ耳に残っている。
「奈海には内緒、わかった?」
「りょーかい」
耳のいい自分を奈海は恨んだ。
明らかに小声のヒソヒソ話だったのに。
地獄耳とも言える奈海の耳には、聞こえてしまった。
聞きたくない、その会話を。
猜疑心しか生まない、その言葉たちを。
ズキ――ズキ――ズキ――――
燃えかけた気持ちの温度が一気に下がり、同時に胸が痛んでいく。
時間が立たないと消えてくれない厄介な痛みに、奈海は胸元をぎゅっと握りしめた。
「……ああ、やだなぁ」
顔をもう片方の手で覆って、ぽつり、と独り言をつぶやく。
誰にも聞こえない、自分に向けての言葉を。
――どうして、心は勝手に動くのだろう
こんなに苦しいなら、もう、動いてほしくないのに
心は、言うことを聞いてくれない